千住真理子のヴァイオリンとブルゴーニュの魅力  2002/12/23
 某日某所にて開かれた千住真理子ヴァイオリンリサイタルを鑑賞し、予想通り心打たれてしまった。
 千住真理子はいわゆる千住三兄弟のひとりで、もちろんヴァイオリンの第一人者である。そして今年3月まで放送されていたNHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」の音楽を演奏していた記憶もよみがえったりする。

 当日のプログラムは下記の通り。

第一部
 G線上のアリア (バッハ)
 アヴェ マリア (グノー)
 アヴェ マリア (シューベルト)
 ワルツ (ブラームス)
 子守歌 (アウリン)
 シャコンヌ (ビターリ)

第二部
 ボカリーゼ (ラフマニノフ)
 亜麻色の髪の乙女 (ドビュッシー)
 愛の夢 (リスト)
 夢のあとに (フォーレ)
 歌の翼に (メンデルスゾーン)
 想い出 (ドルドラ)
 スペイン舞曲集より
  プライェーラ (サラサーテ)
  サパテアード (サラサーテ)
 チャールダッシュ (モンティ)

アンコールとして
 愛のあいさつ (エルガー)
 愛の喜び (クライスラー)
 「ほんまもん」テーマ曲 (千住明)


 音楽について私は門外漢であり、単なる一鑑賞者としての立場を超えないが、それでもなお彼女のヴァイオリンとブルゴーニュワインの魅力に親密な接点があるように感じたのだった。

 上記のプログラムはピアノの伴奏とともに千住真理子のヴァイオリン一本で演奏された。クリスマスシーズンということもあり超メジャーな小曲集だ。プログラムにはヴァイオリンの定番曲もあれば、ヴァイオリン用にアレンジされた曲もある。そのどれもが心に響き、あるものは涙腺を緩ませ、あるものは気持ちを高ぶらせ、そしてあるものは遠く故郷を思い起こさせたりした。千住のたった一つのヴァイオリンは時に重奏に響き渡り、荒々しく高ぶる重低音をか細い腕で豪快に押さえつけ、時に胸に突き刺さらんばかりの高音が背筋に緊張感を与える。音響、音圧、音調を巧みに操り、様々に繰り出される音の連続。千住自身の目にさえ、何千回も同じ曲を演奏しているはずなのに、演奏を終える彼女の瞳はうっすらと潤んでいたりする。空気の振動がダイレクトに伝わってくるヴァイオリンの音色に、時差ぼけでぼけまくる私の脳みそと全細胞が反応している。細胞が音を欲し、その音に癒される感覚は、ライブ演奏の最大の魅力。そして何より一本のヴァイオリンから発せられる音に温かみや冷たさなどの温度を感じることに、生きている実感を覚えたりする。完璧なテクニックと愛が伝わるハート力は、「たいへんよくできました」レベルをはるかに凌駕する偉大な芸術であった。ご一緒させていただいた某氏は一曲目から涙をぬぐい、背筋をこわばらせていた。圧倒的な存在感が目の前にある。テクニックを超えた、ある一線を越えたものにしか表現できないであろう感動が、狭くないコンサートホールを支配していた。某氏は、これを木下シェフや成澤シェフの存在感と表現した。納得である。そして私はこれを、この細胞レベルの動揺を、ブルゴーニュワインの魅力になぞらえたりする。ヴォグエのボンヌ・マールやジャン・ガローデのノワゾン、ビゾーのヴォーヌ・ロマネVV、レシュノーのダモードなどなど、それぞれのピノノワールの味わいに共通する何かを連想したりする。


 ブルゴーニュは単独葡萄品種から造られる。赤はピノ・ノワール、白はシャルドネだ。そしてその味わいは場所の個性を反映し、強烈な多様性を提供してくれる。葡萄は同じなのに味わいがまったく異なってくる。例えば特級シャンベルタンが同じく特級ワインであるクロ・ド・ラ・ロッシュやボンヌ・マール、ミュジニ、リシュブールらとはまったく違う個性を表現しているのと同様に、千住はたった一本のヴァイオリンであらゆる個性を表現する。その違いは目を閉じればより一層顕著なものとなり、あたかもオーケストラが演奏しているかのような錯覚に陥ったりもする。この感覚はとても不思議であり、そしていいようのない感動が全身を襲ってくる。楽器は同じくヴァイオリン一本。葡萄品種はピノ・ノワールだけ。芸術の域に達するものにしか共通しない表現力を「音」と「ワイン」に見つけるとき、私の細胞は打ちひしがれるのだった。そして両者に共通するもうひとつの事柄。それは決して残しておくことが、保管しておくことができないということ。ライブの臨場感はCDやMDでは表現しきれないし、ワインは飲んだらなくなる。しかしこの儚さは、全身の細胞に記憶されているはずだ。棺おけに現金は持ち込めなくとも、この細胞の記憶は「三途の川の番人」」には見つけることが出来ないかもしれないから、あっちの世界でも(多分今までの行いを鑑みれば灼熱か針の山の方かな)その余韻を楽しむことができるかもしれない。言葉では表現し得ない、物として残すことが出来ない感動が、確実に地球上に存在している。ただそのことに感謝するのみである。


 今回のプログラムを同じヴァイオリニストの高嶋ちさ子が奏でたら、また違う趣があるだろうし、村治香織がギター一本で弾くことがあれば、それもまた興味深い。楽譜をワインに当てはめれば、それは、マコネ地区の第一人者ドメーヌ・ド・ラ・ボングランのジャン・テブネが表現するように、テロワール=大地の恵みだ。大地の恵みをいかに表現するかは、人間しだい。それは哲学の領域にも入るし、芸術の域にも達することがある。やばい。またクドイ文章になってきた。そろそろやめにしないと酔っ払いのたわごとになってしまう。

 
 ともかく千住のヴァイオリンに酔いしれたら、当然今度はブルゴーニュが飲みたくなってくる。
 どのテロワールを楽しむか、しばらくはワインボトルの前で薄ら笑いをしていよう。

(敬称略)


以上



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