ワインと煙草  2004/06/13
 
 某日。
 私は、とある都内のワインバーで、誰かを待ちつつ、店内の様子を見るでもなく見ていた。私の席から遠く離れたところで、女性客が多い店内には不釣合いなテーブルがあった。どうやら男性二人が資料を見ながら打ち合わせをしているようで、片方が上司、片方が部下のような感じだった。彼らのテーブルには赤ワインがたっぷりと入ったグラスがふたつ置かれていた。(まだ口をつけていないのかなあ・・・)。ワインには見向きもせずに、がなり声ともいいたくなる品のない声で部下に指示する上司にあっけにとられつつ、ここは居酒屋じゃないんだからもう少し静かに飲んでくれないかなあと思っていた。

 しばらくすると彼らの声がしなくなり、私の「念」が通じたのかなあと思い、彼らを見やると、とんでもない光景が展開されていた。なんと二人ともが煙草を加え、両手には資料をもち、ひっきりなしに捲っているではないか・・・。彼らからはテーブルが離れているために、幸にして煙の被害はなかったが、それでもその光景にはある種のカルチャーショックを受けつつ、ふと思ったりした。

 ワインが食生活に浸透している人たちにとって、ワインのある席で煙草を吸うのはタブーになっている。けだしワインの香りが煙草の煙に巻かれてしまい、微妙なニュアンスが感じられなくなってしまうからだ。ワインの香りを楽しむという行為に対し、煙草は絶対的かつ侵略的にその楽しみを奪ってしまう。この場で明言するまでもなく、ワインを楽しむ席で、煙草は死ぬほどご法度なのである。

 ワインと共に煙草を吸う人に対し、私は今まではデリカシーのない人だなあ、またはマナーのない人だなあという認識だった。しかし、その夜の食わえ煙草は、そんな感覚を一気に吹っ飛ばしたのだった。

 それは、彼らは、煙草とワインのタブーについては、それを認識すらしていないということだった。彼らにとって、ワインはたまたまビールや日本酒、焼酎、ウイスキー、カクテルの代わりに頼んだだけで、香りを楽しんだり、食事とのマリアージュを楽しんだり、といった食生活は皆目眼中にないのだ。酒を飲むときに、煙草を吸うのは当たり前だと思っている人に、デリカシー云々やマナー云々を論じても、彼らには、その意味するところが通じないのかもしれない。せいぜい「なんだコイツ、通ぶりやがって」と逆切れされかねない印象に、幻滅サインが点灯しまくってしまった。

 かつて麻井宇介はその著において、平気でコーラ割りのワインを飲むアメリカ人に対して、クレーム・ド・カシスで白ワインを割り、キールとして食前酒を楽しむフランス人と比較して、ワイン文化の内側にいる人と外側にいる人との違いだと論じたが、都内のワインバーにおいては、煙草とワインの関係を食生活に取り入れている人と、そうでない人とのギャップを痛烈に感じざるを得なかった。なぜに彼らはこの店を選んだのだろうか。居酒屋の常識?をワインバーに持ち込まれると、そこには集う客筋が違うのだということを、認識していない彼らに、何を言ったらよいのでしょうか。。。

 このとき、お店のスタッフは、煙草を止めさせることが出来るのだろうか。お客として来店している輩に、ガツンといえるかいえないかは、売り上げやその店の評価にも繋がるところだろうが、私はガツンといってもらいたいと思いつつ、ガツンと指摘できない店にも同情しつつ、次に訪れる機会はめっきり減りそうだったりする。

 ソムリエや店主はワインを意識して飲む人にはマナーを啓蒙できるかもしれないが、ワインに興味のない人、ワインをただの酒のひとつとしてしか認識できない人に対して、何が出来るのだろうか。幾度のワインブームを経験しつつ、まだまだワインが食生活に定着していないことに苛立ちを覚えつつ、ブルゴーニュ魂的にもこのテーマ「煙草とワイン」には俄然注目していきたかったりする。



おしまい



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