2004年9月28日 夜のポマールにて  2004/10/07
 
 深夜のポマールの丘は、とても静かだった。

 誰もいない闇夜の畑の斜面に腰掛けて、頂上からの少しの風を感じ、

 ビール片手にボーヌの街で買った、安サンドウィッチをかじるなら、

 その咀嚼する音だけが、畑にこだまするほどの静寂。



 私は、丘のてっぺん近くの斜面に車を止めて、

 遠くにボーヌの街の明かりと、国道の交差点を照らす外灯と、

 その道を、かなりの間隔をあけて走る幾つかの車のライトを見ていた。

 それらの灯りのためか、ポマールの丘には完璧な暗闇は訪れることはなく、

 それは外灯のないシャンベルタンの斜面の真っ暗闇な夜とは、

 意外にも対照的な風景・・・なのかもしれない。



 星を見上げれば、オリオン座のラインが浮き上がる。

 それにしても星が、とてもきれいな夜だった。

 明日はきっと晴れるだろう。



 明日のポマール1級クロ・デ・ゼプノーの収穫を控え、

 今夜はなぜだかポマールの斜面で眠りたくなり、

 9月下旬も押し迫ったその夜は、風も冷たく、

 ビールの力を借りなければ少しばかり寒すぎて、

 音の途絶えた畑に耳を寄せては、

 自分の心臓の音を意識した。



 少し、歩く。

 粘土石灰質の斜面を進むその足音もまた、独特の音を奏でてくる。

 それはアスファルトからは決して発せられることのない音。

 私はまだ収穫されていない葡萄に、

 そっとオリオンのほのかな明かりを誘導し、

 この葡萄の実だけには、いつもとは違う夜の風景を演出してみた。

 

 葡萄に触れて、誰もいない深夜のポマールの斜面で大きく深呼吸。

 ポマールの空気は、ことのほか澄みきっていて、とても清らかで、

 その冷ややかな空気の一部が我が肺に断続的に送り込まれてくる。

 そしてその中に、畑の真ん中にして、海の香りを確認した。

 この磯の香りは、葡萄がワインとなっても消えることはなく、

 その繊細で奥深い味わいに、ミネラルをもたらしてくれることだろう。



 今夜。

 ホテルに宿を求めなくて正解だ。

 ポマールの丘で収穫間際の葡萄と共に過ごす夜が、

 薄汚れた自分に清らかさを思い出させ、

 盆栽のように木目細かく手入れされた畑に、

 天の恵みと地の恵み、そして人の英知を思い知り、

 ボーヌからのほのかな明かりに葡萄の整列を探す時、

 生命の不思議な尊さが芽生えてくる。


 
 車に戻って、目を瞑る。エンジンも暖房も、もちろんかけない。

 あと数時間もすれば、自ずと夜もあけるだろう。

 それは、一人のジョギングによってもたらされる朝かもしれない。



 明日。

 この葡萄は、世界中から集まる収穫人によって樹から切り離され、

 ワインへの第一歩を踏みしめることになる。

 それは予期された葡萄の死を意味し、

 ワインの誕生を期待させる貴重な一瞬。

 耳を澄ませば、ワインの産声が聞こえてくるような、

 そんな音が、深夜の斜面からも聞こえてくることだろう。



 その夜の深夜のポマールの丘は、とても静かな夜を迎えていた。

 葡萄にとっては畑での最後の夜。

 私にとっては畑で眠る始めての夜。

 窓ガラス越しに見つけたオリオンのゆらめきに、

 明日はきっと晴れるにちがいない。



 そして、数年後・・・。

 2004年のポマールが食卓を彩る夜のこと。

 私はきっと、闇夜に照らされた葡萄畑の風景を思い浮かべながら、

 その液体をゆっくりと体に流し込むことになるのだろう。

 まるで、9月28日の夜の寒さに震えた体を、温めるかのように。



おしまい


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