ワインの味わい  2004/11/15
 
 最近、というかここ数年、同じ銘柄のワインを複数回飲む機会に恵まれていて、大変ありがたく、嬉しい限りなのだが、少し感じるところがある。それは、その全てにおいて完璧に味わいが同じになるということがない、ということだ。たとえば、直近では、グロフィエの2002シャンボール・ミュジニ1級レザムルーズやハッピーボジョレーと勝手に名づけているジャン・ジル・シャスレーの2003ボジョレー、アラングイヨの一連のマコンシリーズなどを毎週のように口に含ませていただいているが、その全てにおいてニュアンスが異なっている。

 それは、グラスの形状、抜栓時間、デカンタの有無、室温、液温、湿度、自身の体調、店のコンセプト、あわせた料理、サービスした順番、そのときのワインへの集中度、などの違いによるもので、そこにワインのおもしろさが実は隠されているとおもうのだが、同じ造り手の同じ畑の同じビンテージの同じ出荷ロットにもかかわらず、それぞれに別々のニュアンスを醸し出してくる。もちろん、同じワインなので、基本的な味わいの要素は同じといっていいほどかもしれないが、味わいの強弱や香りの開き具合等々微妙なニュアンスが異なっているので、なかなかに飲み方も難しくなってくるのだ。

 紹介する側としては、時に意図しない力強さが残ってしまったり、香りにボリューム感がなかったり、味わいが硬く閉じていたり、それぞれにいろいろハプニングがあって面白く、メンバーの微妙な表情を察知しつつ、ワインの味わいを共有させていただいている。

 また、一本のワインを複数のグラスに均等に次ぎ分けた場合でも、それぞれのグラスの中でワインは多様な表情を見せてくる。たとえば、先日もコント・ラフォンのムルソーなどを10人ほどでテイスティングしたのだが、それぞれのグラスは均等に一本のボトルから注いだにもかかわらず、(高級ワインなので、かなり慎重にかつ厳密に注いだりする・・・・)、時間の経過と共に全く違うワインかのような変化をみせてきたりした。同じリーデルのヴィノム・ブルゴーニュに注いだにもかかわらず、なのである。隣のグラスのコント・ラフォンの味わいが、微妙に、時に全く違う趣を表現してくる時、ワインをどういう状況・条件で飲んだかを明記しない限り、本来の味わいは第三者には伝えられないと思ったりする。(是非とも隣の人のグラスの香りを嗅がせてもらおう)。

 そして、その飲み方が、ベストを目指しているものの、必ずしも最善の方法でないケースも多く、それは好みの問題も浮上しつつ、「ブルゴーニュ魂的には、こんな味わいになりました。次回の参考にしてください。」的に飲んでいただいているこの頃だったりする。

 ワインは、特にブルゴーニュは、畑、ビンテージ、造り手によって味わいが異なるが、そこに飲み手の個性などを加えてこそ、ハッピーワインライフが展開される。誰がどうやってサービスしたかも検討してこそ、ワインの本質に近づけると思う。ブルゴーニュワインは知的で奥深い。ブルゴーニュワインを飲むたびに、そう感じるこの頃である。


おしまい


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