自然派のエコ・システム ワインを見つめる角度とともに にしかたゆうじ
ある日、鏡で自分の顔を眺めながら、ふと、こんなことを思った。
目は、口の上にある・・・。
ワインを鑑賞する時、味わう時、楽しむ時、口に運んだワインを、口より高い位置にある目で見つめる時、どうしても斜め上からの角度になることに、戸惑いを覚える。その斜めな角度は、ワインへの批評を招き、見当違いな点数評価をさせ、生徒を評価する教師の視線に陥ってしまう。そこに勘違いと高慢が生まれ、ワインを少しばかりつまらないものにしてはいないだろうかと。
今回のブルゴーニュ&ロワール合宿では自然派と呼ばれるロワールの造り手に多数会う機会に恵まれ、彼らと共にビオロジーまたはビオディナミの農法によって耕作される畑の中を共に歩き、共に土に触れることができた。彼らと畑に立つと、土をいじりたくなる。土に体を接触させたくなる。それはワイン造りが農業そのものであることを認識させてくれるからである。
かつて、畑やぶどうの写真をとるときの姿勢は、ワインを見つめる角度に似て、斜め上からが多かった。斜め上から、ぶどうを撮り、畝を撮り、石垣を撮った。同じ角度でグラスのワインも撮った。しかし、今では盆栽を鑑賞するかのごとく、大地すれすれに顔を落とし、そこから見上げるようにして、ぶどうと、葉っぱの裏側越しに広がる蒼い空と白い雲がフレームの中に納まる写真が増えてきている。ぶどうの幹や根っこと同じ視線から畑を眺めれば、今までとは違った世界が展開されてくることに気づいたからだ。大地の視線である。それは子供とおしゃべりをするときには、子供の目と同じ高さになるように、自らがしゃがんで話すのと同じように。あるいはそれは、歯医者さんが嫌がる子供の口を開けさせるために、自らの口もあーんと広げるように。大地の視線に近づけば、大地の音が聞こえてもくる。畑の中に身を埋めれ、そこで風を感じ、音を聞く。ジーンズについた土を払うことも忘れ、畑の土が体についていることに、つかの間の安堵も覚えたりもする。
畑に膝を落とし、両手を突いてうつ伏せになり、大地を間近に見つめれば、草生栽培された畑の合間に昆虫を見つけることもでき、うまそうな土を頬張りたくもなってくる。畑に仰向けになれば、天高く伸びようとするぶどうの緑の向こうに空を感じることができる。ぶどうと等身大になること。まずはそこから。それが彼ら自然派の造り手の言うエコ・システムの理解につながることと思う。
自然派の言うエコ・システムとは何か。クロード・クルトワの裏ラベルに描かれた、森とぶどう畑とリンゴの木と池とボートと太陽と、鳥とウサギと雑草の絵を見つめれば、それこそがエコ・システムそのものであることに気がつく。それは自然に忠実な農業と解釈し、広大な敷地には手付かずの森林を確保して、ぶどうのほか、リンゴも植えて、羊も鶏も飼い、虫や鳥、野生動物との共生を図ろうというものだ。ぶどうは単一品種を植えるのではなく、数種類栽培するのが良いと言う。それは大自然にイメージする「自然」とは違い、人間の管理と放任のバランスで成り立つ「自然な農業」を意味するように思われる。広大な敷地の中に実現する人間が介在する小宇宙。複雑多岐にわたる植物相と動物相、そして微生物相をトータルで実現し、それが延いてはワインの中に反映される。有機農法によって育てられる農作物であるぶどうは、時に野生動物や昆虫に食い散らかされる時もある。しかし、それは自然の営みにおいては真っ当なこと。虫も食わないぶどうが、野性動物も食べないぶどうが、おいしいはずはないだろう。造り手たちの、この一列全部、動物に食べられちゃったよというおどけた笑顔が忘れられない。
工業製品ではない、自然の営みを尊重されて造られるワイン。自然派の言う有機農法は、十人十色。それぞれが自身の哲学を形に変えようと、自然の営みのままにぶどうを育てている。大地と同じ視線にたって、その音を聞こうと耳を大地にあてがえば、自ずと口と目の位置は同じになり、冒頭に上げた口と目の位置的違和感を払拭できたりする。口と目の位置が同じになれば、勘違いな斜めな角度からワインを見つめることもなくなって、ワインのおいしさをそのままに、体全体で体感できる。ワインをグラスの中だけの世界に閉じ込めては、ワインはちっともおいしくない。心の中でぶどう畑に膝を落とし、そしてグラスに注がれたワインから、そのエコ・システムを空想し、体感しよう。それが自然派ワインを楽しむということにつながることと、信じてやまない。
グラスの中の世界に固執して、まっとうに育まれた大地の恵に点数をつける・・・。そんな愚考が、この国の価値観からなくなることを祈りながら、今宵もおいしい自然派ワインを喉の奥にある味蕾にあてて、そのミネラルとうまみを体感したい。自然派ワインは、おいしい御飯と共に、プハーと飲んで、眠たくなったら、ごろんと寝転んで・・・。それがとても自然なお酒との付き合いのように思えたりする。
さて、今宵も畑が想像できるワイン、造り手の顔が浮かんでくるワインに手を伸ばしてみよう。
おしまい
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