訃報 アンリ・ジャイエ  にしかたゆうじ 2006/09/23
 ブルゴーニュの地元紙等の報道によれば、現地時間2006年9月20日(水)、神の手を持つ男と絶賛されるアンリ・ジャイエが、入院先のディジョンの病院で、癌のために他界された。84歳だった。ブルゴーニュワインをこよなく愛するものとして、ここに謹んで哀悼の意を捧げたい。大地の奇跡 ロマネ・コンテイに対して、伝説の人 アンリ・ジャイエ。そんな評価が囁かれるブルゴーニュにおいて、もっとも偉大な人物が、この世を去った。

 人は死んでもワインは残る。そしてそのワインはもいつかは飲み干されても、思い出は、人の心に宿り続ける。それこそが、ワインが芸術と受け止められる要因だと思われるが、ブルゴーニュワインにとって彼の死は何を意味し、それによって何が失われ、そして新しくは何が生まれうるのだろうかと自問する。

 私は、アンリ・ジャイエに何度かあって言葉を交わし、握手をしたことがある。ワインも決して少なくはない本数を抜栓し、その喜びを共有させていただいてきた。そのなかでも、最も印象的なことはなんだろう、と思い出すなら、初めて彼に出会った朝のことになるだろう。それはまだブルゴーニュを訪れ始めて間もなかったころだった。その日は、ジュブレ・シャンベルタン村の宿を早朝に出発し、日に何本かしかないバスをヴォーヌ・ロマネで降りて、ロマネ・コンティの畑に向かっていた。ヴォーヌ・ロマネには、どこかのドメーヌのアポイントがあり、そのために訪問したのだが、バスの運行時間により、待ち合わせの時間よりも相当早くに着いてしまい、畑で時間をつぶそうとしていたのだ。

 当時は、村のどこに、どんなドメーヌが館を構えているのか、情報は持っていなかった。(今では、ほとんどのドメーヌの所在地も的確に把握し、その多くは実際に訪問し、共に畑を歩き、試飲もさせていただいている)。バス停は、国道74号線沿いの村の北端にあり、昔のドメーヌ・ペルナン・ロサン、今のドメーヌ・クリストフ・ペロミノの醸造所の目の前にあり、そこから斜面を目指して、村の中に通じる小道を歩き始めたのだが、ほどなくして左にカーブしてすぐの屋敷の前で、私は小躍りすることになった。

 そこに、アンリ・ジャイエの表札が掲げられていたからだ。あ。ここがアンリ・ジャイエの家か。私は興奮を覚えた。ここが、あのアンリ・ジャイエの館なのだ。うおー、うおー、うおーと何度も叫んでは、こぶしを握り締め、カメラのシャッターを何度か押したのだった。アンリ・ジャイエの館を発見して、私は、そのまま素通りは出来なかった。時間は早朝といっても、朝ごはんは食べ終わっていそうな時間帯。道路から館をくまなく見つめれば、カーテン越しに中に人の気配を感じ、私は恐る恐る勇気を振り絞って、玄関を叩いてしまった。

 まず、カーテン越しに見える女性が玄関先の私の存在に気がつき、朝から何の騒ぎだと思われたと推測しつつ、そして間を少しばかり置いて、玄関横の窓ガラスがガラリと開いてくれたのだった。むすっと、丸い顔の、坊主っくりの年配の男性が、窓から顔を出してきた。私はどもりながら、必死のフランス語で「あなたはアンリ・ジャイエさんですか」と問いかけた。「そうだ」という答えが返ってきた。うおおおお。「は、はじめまして(訳=にしかた)」一気に緊張が走る私の行動は、意外にも俊敏で、窓に向かって右手を差し出し、あっというまに握手をしてもらうことに成功した。もうこの時点で、私のテンションは強烈なピークを迎え、心のガッツポーズは天高く突き上げられていた。握手をしたまま、私は朝早くにアポなしで訪問したことを詫びつつ、立て続けに、ずうずうしいお願いを試みた。

 「あなたのワインが好きで、ここまでやってきました。ぜひワインを試飲させていただけませんか」
 答えは、もちろんノーだった。すでにワイン造りから引退しているので、試飲は受け付けていないという。

 「では、ワインを1本。記念に売っていただけませんか」
 その答えもノーだった。理由は同じで、すでに引退しているので、売ることは出来ないし、第一、ワインはストックしていないという。早朝、窓際に手を差し出しては、その手を引っ込めない異国の訪問者を前にして、アンリ・ジャイエは寛容だった。しかし家の女性の第二声が、アンリ・ジャイエをリビングに戻すきっかけを作ってしまった。窓を閉めたがるアンリ・ジャイエに向かって、私は写真撮影の許可を求め、それに快諾していただいたのだ。

 興奮して、なぜだかシャッターを一回しか押さなかったが、その写真は今でも私の手元にあり、その中でアンリ・ジャイエはやさしく微笑んでくれている。時間にして、30秒以内の出来事。あれから数年を経た今でも鮮明にあのときの光景も仕草も、覚えており、まさに史上最大級の瞬間だった。その後、ヴォーヌ・ロマネとパリで何度か見かけ、声を掛けさせていただいた。ここしばらくはお会いする機会には恵まれず、ヴォーヌ・ロマネの館の前も何度もレンタカーで通り過ぎては、そのたびに家の中の様子をうかがったが、結局はあの朝のような出来事は、やってきてくれなかった。

 昨年は、10回を超える数で、東京と神奈川において、アンリ・ジャイエのワインを抜栓し、それをロブマイヤーグラスに注がせていただいた。銘醸リッシュブールの凄み、特級エシェゾーのうまみ。伝説になりうるヴォーヌ・ロマネ1級クロ・パラントーの美しさ。ブルゴーニュの古酒の生き生きさと、パストゥーグランの不思議なおいしさ・・・。今年になってワインもことさら入手が難しくなり、途方にくれている矢先の氏の訃報。偶然にも、来週末にひさしぶりに1982年のニュイ・サン・ジョルジュ1級ミュルジェのマグナムをセミナーで提供することになっているのだが、アンリ・ジャイエのワインを口に含むとき、どんな世界観を体感できるのか、今からとても楽しみであり、そして氏の冥福を祈らずにはいられなくなりそうだ。

 アンリ・ジャイエとの初めての出会いを思い出すとき、あのときの興奮が、今も両手に汗を握らせるから不思議だ。鮮明すぎるあのときの出来事を思い出し、そしてなぜだかいつも、誰かの死に接するときは、必ずといっていいほどピノ・ノワールが飲みたくなるのは、なぜなのか不思議がる。

 今日のブルゴーニュにおいて、最高の功績と最大の影響を残した男がひとり、亡くなった。

 アンリ・ジャイエのワインで献杯・・・は、やはり厳しいので、誰かのピノ・ノワールを静かに飲みたいと思う。



おしまい


ご意見・ご感想は、こちらまでお願いします。
無断転載お断り
Copyright (C) 2006 Yuji Nishikata All Rights Reserved.


ドリンキングレポートへ ワインコラムへ  HOME

Copyright (C) 1988-2006 Yuji Nishikata All Rights Reserved.