博多を巡る冒険 その3 お寿司編 (2003/03/20)

 
 ある日、博多でのワインセミナーを終えた翌日、憧れの寿司を食べる機会に恵まれた。

 福岡市南区長住の住宅街に、この名店はある。「鮨おさむ」である。一部の熱烈なファンからは、「東の寿司大、西の鮨おさむ」と言わしめるこのお寿司屋さんは店主の名前にちなんで命名されているようである。綺麗な店構えからして、カウンターに着席する前から高ぶる気持ちを抑えて望む。12時ジャストに入店したので、客はまだいないが、職人の目を持つご主人が笑顔で迎えてくれた。ここの名物はお稲荷さんと鮪のズケとの事前情報は持っていたが、私たち一行は初めての入店につき、4000円のお任せコースを注文した。ところで、すしは寿司と鮨があるが、ここでは店名にちなみ鮨に統一しようとおもう。

 ここの鮨は、江戸前である。ネタは一仕事してあり、シャリは小ぶり。下ろしたてのサビは気持ち多めである。醤油は九州の人が好むたまり醤油と関東人が好む生醤油の二種類用意されているが、基本的には不要である。酢橘や岩塩などの隠し味を消しかねないためだ。ご主人が、手のひらに小さい鮨を四つほど載せて、順繰りに差し出してくれる。ネタは一貫ずつ。女性客には気持ちシャリも少な目のようである。箸を使って鮨を食べる。指先にネタの味を残すと次のネタに影響を与えるため、鮨は箸で食べることにしている。厳しい目をしながら無駄のない動きで鮨を握り、若い衆に的確に指示をするご主人にはある種のオーラがある。そのオーラが目に表れていて、それはまた若い衆たちの萎縮した態度に現れたりもする。しかし客に鮨を説明する目は非常に優しい。自信に満ちた職人の優しい目である。一度つかんだシャリを捨てることはなく、見ていて気持ちのよい仕事振りだ。

 極うまである。やわらかめのシャリを崩さないようにすばやく口に放り込むと、ネタが非常に上品にとろけていく。寿司大と違う点は、口に含んで一度、弾力性のある食感を味わった後にとろけていく点だろう。寿司大は、口に入れてから噛まずともネタがとろけていく印象を持っている。ネタは近海ものを中心に15種類。これに味噌汁と漬物がつく。ネタはどれもが上品な味わいで、ご主人の巧みがネタのうまみをやさしく引き出している。「最近は贅沢になりましてね。生で食べてもおいしいネタに軽く火を通すと、これがうまいんですよね。」笑顔のご主人は、次々に鮨を握ってくれる。圧巻は予想通り鮪の赤身のヅケ。「昔はトロなんて捨ててましたからね。鮪で本当にうまいのは赤身なんですよね。」

 うーん。なるほど。ヅケの名に相応しく漬け込まれた醤油が鼻腔をくすぐり続けている極上の味わいだ。ただ惜しむらくは、口の中でみるみるうちにとけてしまうので、もう少し味わいたいと思わせるところがニクイ。この鮨を食うと、わざわざ東京まで行って鮨を食べることなんかないんだと思う。いやいや、私の住まいから福岡は、東京の20倍も遠いではないか。東京の方が近いんだった・・・。福岡に住みたい。鮨おさむのまん前に住みたいと思わせる凄いパワーを上品さの陰に隠し持つ驚きの味わいだ。

 巻物はなく、代わりに「あなたの言いなり」と笑顔で差し出されたお稲荷さんを食す。独特の形状が関東人には珍しく、これまたうまいから泣けてくる。具体的な形状や味わいは、行ってのお楽しみにとっておこう。仕上げに唐津産のネギを握ってもらって、ごちそうさまでした。

 ネタが新鮮で、そこに一仕事してある匠がすばらしい。職人のこだわりに共感するお客も多いらしく、いつの間にか隣で食されていたご年配の常連客が、ここの鮨がいかにすばらしいかをご主人に説いていた。照れながらもしっかりとうなずくご主人の笑顔がかわいらしかった。客層も上品でなお良しである。福岡恐るべし。鮨おさむ恐るべしである。ここを紹介してくれたこの町出身の某氏嫁によれば、鮨おさむは出前をしていないので、近所では評判は悪いらしい。当たり前である。この鮨は握りたてを食せずして、いつ食べるのか。この繊細な味わいは、出前では決して味わえるはずもなく、そんなこぼれ話がますます私の心をひきつけるのだった。

 最後に、ここのトイレも用事がなくとも立ち寄ってみたい。いわゆる相田みつを系のことばがいくつか飾られていて、妙に説得力がある。その中から特に気に入った言葉を紹介して、この項を終わりにしよう。

 「続いてこそ道。」

つづく


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