博多を巡る冒険 その8 鮨田可尾編 (2003/12/04) |
今年3月に旅して以来久しぶりの博多訪問であるが、今回のツアーもかなり濃い内容になり、関係各位に感謝と共に、すこしばかり記してみたいと思う。
「悲しかろうが 淋しかろうが 苦しかろうが 屁のかっぱ」 これは、福岡の中心地・天神から程近く、福岡市中央区渡辺通りに店を構える「鮨 田可尾」のトイレに貼られた色紙の文句である。(私のように)お鮨屋さんのトイレに行くことを楽しみにしている方には、大変申し訳ないと思いつつ、博多を巡る冒険その8の冒頭で紹介させていただこう。なぜならば、この一言に、ご主人高尾友之さんの人生観が代弁されているかと思われるからだ。そうか「屁のかっぱ」なんだ、そう思うと、日頃落ち込みがちな我が人生に、絶大なる勇気を与えてくれるから、うれしくなる。そしてまたこの一言で、初めて入る鮨屋の緊張感もほどけていくからありがたい。 この江戸前鮨の名店は、福岡のガイドブック「美味本2004年版」では紹介されていないが、日経ホーム出版社刊の「日経おとなのOFF」2003年12月号「こわくない鮨の名店」特集の60ページにその雄姿を見ることが出来る。私は雑誌の記事を見て、この店を訪ねたわけではなく、東京は中野坂上にある「鮨さわ田」(通称さわ田劇場)のご主人に、「九州に行くことがあるなら是非寄ってみて下さい」と紹介されて、「さわ田」の名は伏せたまま予約の電話を、(予約が取れないさわ田の例があるので)、二ヶ月前に入れて、待ちわびることしばらくの時を経て、ようやくたどり着いたわけである。(予約は、土曜日を除けば、その日でも大丈夫のようだが、雑誌に掲載されたこともあり、他の地方からの来客も多いらしく、念には念を押した方がいいようである) 帰りの飛行機の関係で、五時の開店と同時に入店すると、店内に客はおらず、ご主人がつけ場での仕事を一瞬休めて、「いらっしゃいませ」と声をかけてくれた。お手伝いさんの女性(お袋さんかな)に「靴はこちらに」といわれて、靴を脱ぐ。一段上がったカウンターの、奥からふたつ目の席に案内されようとすると、私に遅れて常連さんと思しき若社長系の同年代の男性がひとり入店してきた。ご主人と立ち話で一言二言会話する間に、私は入って早々恐縮だが、トイレで身支度を整えようと思った。田可尾さんの鮨に集中するためには、中座の無礼を避けるためもあり、そしてトイレの貼り紙フリークとしても、まずはトイレに行かなければならないのだった。そして、冒頭の文句に出会うわけである。ひとりで、初めてのお鮨屋さんに入るというこの緊張感が少し和らぎ、ようやく用意されていた席に着く。 ビールを飲みつつ、付け出しのアンキモに箸を延ばしていると、ひとつ席を置いて座った若社長とご主人の会話がそれとなく耳に入ってきた。えっ。のっけから「さわ田」の会話が展開されているではないか。私は来たるべく今夜、田可尾で「さわ田」の名を出すべきか、出さざるべきかで大いに悩んだ日々を過ごしていたのだ。トイレに行ったもうひとつの理由もそこにあったりした。確かにご主人と親交の厚い「さわ田」の名を出せば、良きにつけ悪しきにつけ、特別の逸品が出て来る事は想像に難くなく、しかし一方で、ごく普通の旅人としてごく普通にお鮨を食べたいという気持ちもあったりした。福岡という偉大にしてちょっと遠い街ゆえに、早々足を運ぶわけにも行かず、さりとてせっかくの「さわ田」ルートも活用したい。ううう。どうしようかと悩んだ末に、一発目から隣で「さわ田」話が展開されていようものなら、この話、私も僭越ながら参加させていただきます、ということになるのは自然の成り行きだろう。結果的にこれがよかったのか、悪かったのかは永遠の謎のひとつになったりしているが・・・。 結論を急ぐなら、田可尾は名店である。 地元の新鮮な魚と江戸前の仕事。ここは福岡にして、東京の味が楽しめる店であり、東京の鮨屋が憧れると言われる白身のオンパレードが惜しげもなく、ズイズイ出てくる鮨屋なのである。いくつか造ってもらい、おまかせで握ってもらうパターンは「さわ田」と同じ。お酒は地元の「寒北斗」を冷で頂くのもまた、いい感じである。この時期の福岡は魚が旨い。やはり白身が俄然旨い。ご主人によれば、今朝は海が荒れて余りいい魚は市場になかったと言うが、ご主人の包丁にかかれば、そんな納得ずくでない魚にも新たなる命が宿るから不思議である。例えばアラ。皮目を少し炙ってもらい、この何ともいえない香ばしい香りと共に、新鮮な魚ならではの食感を大いに楽しませてもらう。捨てるところがないといわれるアラの胃袋の炙りは、これは初体験ながら、ちょっと止められない止まらないおいしさだったりもする。そして、貴重品ゆえに、おそらくは常連さんにしか用意できないであろうフグの白子を昆布の上に乗せて軽く焼いてもらった日にゃ、生から焼き目への白子の繊細かつ芳醇なグラデーションに、私の頬は緩みっぱなしになるのである。 握りもまたよし、である。大きさは「さわ田」と「鮨おさむ」の中間くらいで、最後に親指でグイッと力を入れるためか、シャリ(ごはん)は固めである。「さわ田」のメスライオン系の握りと比べれば、いわゆる見慣れたお鮨の形をしているが、地の魚に一仕事加える鮨は、隣の若社長をして、福岡で一番旨い鮨と言わしめる実力を、(おさむさんも旨いっすよという言葉をぐっと飲み込みつつ)、なるほど自分自身の味覚で確認できたりもする。 この夜、特筆すべきネタは、アオリイカ。白く、細かい包丁が入ったアオリの美しさもさることながら、その食感は絶妙である。粘り気を感じるまったりとした食感と、シャリがもう、うううというくらい合うのである。これは、イカの熟成感だ、と思った。鮨屋で魚の産地や仕込み具合を聞くのは、野暮の範疇に入るかもしれないが、包丁の合間にちょっと訊ねてみた。ご主人の答えは、私の想像を超えていた。なんと今朝市場にあがったばかりのイカと言うではないか。活きのいいアオリイカのこのまったりとした熟成感に戸惑っていると、ご主人は説明を続けてくれた。「本当は一日前のアオリがいいんですが、日曜は休みですし。包丁を細かく入れてますからね。そのまんまだったら硬くて食えたもんじゃありません。」 アオリイカの例を見るように、田可尾の醍醐味は、地元の新鮮なネタ(特に白身)に決めの細かい包丁使いの仕事にあり、と悟る。ご主人のやさしく穏やかな表情の中に、「悲しかろうが 淋しかろうが 苦しかろうが 屁のかっぱ」の言葉が重なるとき、田可尾の魅力に浸っている自分に気付くことだろう。「屁のかっぱ」が根底にあるのかと思うと、繊細な包丁さばきとは裏腹の、えもいわれぬ人間くさいワールドを意識するのである。職人の意地と呼んでいいのだろうか。素人には安っぽい想像しかできないが、私なりの田可尾ワールドが構築されていく様は、ちょっとうれしかったりもする。 さて、 ここで、私があるひとつの壁に突き当たってことを白状しなければならないだろう。「さわ田」との比較である。私見によればご主人もお客も、相当「さわ田」を意識している。極太の山葵は「さわ田」と同じものを使い、最後の玉子焼きも「さわ田」に酷似していて、仕事の端々にもかなりの共通点を見出すことが出来るからだ。おそらくは仕入の多くは同じであろうし、ご主人通しの親交の厚い情報交換の賜物だろう。 しかし、「さわ田」との比較は、心に動揺を与えはするものの、結局は何も生み出さないものだと結論付けたい。あの独特の「さわ田劇場」と比べれば、お手伝いさんがいる田可尾は分が悪くなる。「さわ田」のお茶室にも似たあの緊張感は、たったひとりで6席の店を切り盛りするところから発せられるものだろう。しかし、田可尾も基本的には一人で切り盛りされているが、お酒やお絞りはお手伝いさんがやってくれる。欲しいと思うタイミングで出されるお絞りやお酒になんら落ち度はないのだが、「さわ田劇場」にて握りの合間を見つけては、お客に背中を見せつつ、焼酎を用意するあの瞬間の待ち時間に勝るものなし、なのである。田可尾のタイミングのよさが、逆に緊張感にふっと隙間が開くような、そんな、そんなこといわれても困りますよね、と言われそうな客のわがままではあるが、やはり分が悪いのである。大胆かつ繊細な包丁でお客の度肝を抜き、そして客の来店に合わせて魚を仕込み、熟成させる「さわ田劇場」に対し、地元の利を最大限に生かし、穏やかで繊細な包丁使いで魚のうまみを引き出す「田可尾の鮨」。 同じ食材を使い、同じ鮨というジャンルにして、両者を比べたがるのはお客の心理ではあるものの、両者はやはり違うんだと思うとき、両者のすばらしさが両極で輝きはじめる。遠い九州の田可尾で、東京の鮨を思い出しても、感動はない。せっかく感動のステージの最前列にいるのに、遠方のステージの最後尾にいてどうするんだという疑問が浮かび上がる。いまここにある「食」への集中力が研ぎ澄まされるとき、田可尾のカウンターで鮨を食べる醍醐味に感動を覚えるのだ。田可尾には田可尾の鮨がある。その至極当たり前の理屈に、当たり前に対応できれば、田可尾の鮨に心動かされている自分に気付くことだろう。おっと。だんだん仰々しくなってきたぞ・・・。 たとえば、「さわ田」と築地の「すし大」と長住の「鮨おさむ」は、同じ鮨ながら全く違うカテゴリーの鮨である。この三店が競合することはありえない。これは三店に行ったことがある人なら分かってもらえるだろう。そして田可尾と「さわ田」もまた微妙に接点をもつものの、その違いを意識すれば、きっと鮨の奥深さに触れることが出来る。なぜ両者の比較にこんなことに悩んでいるのか自問自答しつつ、こればっかりは個人の感性の問題のような気もするし、ぜひ両者の鮨を味わって、その違いを大いに楽しんでもらいたいと思いつつ、妙に肩に力が入っているこの心境に、筆の収めどころを探したりもするこの頃なのである。 ふう。 肩の力を抜いて、田可尾の世界に身を任せよう。うまいっすよ。 おしまい Copyright (C) 2003 Yuji Nishikata All Rights Reserved.
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