痛快 「さわ田劇場」 (2003/10/08) |
中野の鮨さわ田の魅力を「さわ田劇場」と評したのは、フランスワインにも造詣が深い大谷浩己氏(注)であるが、昨夜まさにその「劇場」ですばらしい時を過ごさせていただいた。鮨さわ田を訪ねたのは、今回で三回目だが、三度、鮨の魅力を全身で感じることになり、鮨さわ田のご主人をはじめ、いつものメンバー(大森さん(仮名)含む)に大感謝なのである。
鮨さわ田はたった5席の鮨屋で、完全2回転制(ただし今回のように貸切にすると6席までOK)である。完全2回転とは、お客は同じ時間に集合し、同じ時を過ごし、そしてそれが一夜に二度だけ繰り返されるという意味である。6時半、または10時にお客は同時に集合し、3時間弱の「さわ田劇場」を満喫して、同時に帰るのだ。洗い物から飲み物の用意、握りまでのすべてを一人でこなし、一日に相手をするのはたった10人だけという独特のスタイルを持った鮨屋なのだ。 この瞬間に日本で入手しうる最高の食材に、江戸前の仕事を加え、豪快かつ繊細な味わいを醸しだす鮨。食材のうまみにこだわり、時に食材の熟成に重きを置くその姿勢は、鮨の本当のおいしさを伝えたいという一心がお客の心と胃袋にずしずし迫ってくる凄みがある。その凄みを称して、「さわ田劇場」なのだろう。ここには、想像を超えたサプライズといつまでも震える感動がある。そして何よりとても幸せになれる場所なのである。漁師さんが獲り、市場で仲買人の鋭い視線に耐え、それを運送業者がしっかりと届けた最高の食材を、さわ田のご主人が握る鮨。時に大胆にぶつ切りされた高級食材を頬張り、時にお客の前で熟成の頂点を迎えるべく事前に用意されたネタ(それは食材によって8時間前だったり、前日だったり、数日前だったりする・・・)を頬張り、時に絶妙な炙り加減、〆加減、煮加減を楽しみ、そして小手返しの技法(お願いすると「本手返し」でも握ってくれる・・・「石塔返し」は無理みたい(笑)・・・)によって握られたメスライオンの姿に重なる鮨を頬張る時、ブルゴーニュの筆頭銘醸ワインが到達しうる官能的な世界に似た感動が、広くない鮨さわ田の時空間を支配するのだった。あの銘醸ワインを口に含んだ瞬間のあの衝撃と同じ感覚がここにある。 ここに感動がある。この一点が、「さわ田劇場」の醍醐味である。 最近はインターネットの普及によって、誰もが評論家のごとく自分の意見を日本全国に発信できる時代になった。賛否両論が交わされる鮨さわ田をして、批判めいた文章を発表する人もいる。批評したいがために鮨を食べているのではないかと勘ぐりたくなる人もいる。最高の鮨に難癖をつけることによって自分に地位を慰めようとしている人もいる。 しかし、それって楽しいことなのだろうか。私は、鮨を巡る驚異の連係プレーに終止符を打つのは、実はさわ田のご主人ではなく、お客ひとりひとりなのだと実感している。そのたすきの重みを感じつつ、「さわ田劇場」の鮨で最後に問われるのは、お客の資質だ。お客はただ金を払うだけの存在ではないはずで、おいしい食空間をご主人と共有してこそ、今宵の「さわ田劇場」はフィナーレを迎える。今宵のために待ちに待った三時間の「時」を大いに楽しみたい。そうでなければ、せっかくのお鮨が泣いてしまうっす・・・。 ところで、「さわ田劇場」のチケットはますます取りにくくなりそうだ。来月は某誌の巻頭を飾るとの噂もある。そうなれば予約の電話も殺到し、縁遠い存在になるかもしれない。しかし、たとえその予約が困難だったとしても、「さわ田劇場」には行く価値がある。もうそこは金の問題でもなく、時間の共有の問題かもしれない。江戸前鮨のおいしさと日本人に生まれた喜びを、ひしひしと感じつつ、次回は何時がいいかなあと思う日々がまた楽しいのである。トコブシのおいしい季節が間近に迫っているし、コハダも食べたいし・・・。 おしまい <姉妹コラム> 極上寿司を巡る冒険 「きららの仕事」 注 大谷浩己 著書に「フランスワインの12ヶ月」講談社現代新書などがある。発言は「東京最高のレストラン2004」ぴあ 76ページ参照 Copyright (C) 2003 Yuji Nishikata All Rights Reserved.
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