にっぽんハッピーワイン



 コルクの喜び。

 日本のワインのうち、日常的に飲まれる1000円台のワインのコルクは、比較的短めのものが採用されているようです。とかく高コストになりがちな日本でのワイン造りにおいて、コルクも経費削減のターゲットになりやすい材料からでしょう。ワイナリー経営は、ぶどう栽培から醸造、販売に至るスパンが長すぎて、決して儲かる商売ではないようで、質と価格のバランスを考えながら、短いコルクにも経営努力がにじみ出ていたりします。

 コルクには、密閉性において優れた性能を発揮しますが、ブショネという最大の欠陥を否定できず、せっかくのワインが台無しになることもしばしばで、スクリューキャップの導入や、シリコン系の代用コルクの採用も各社で検討され、導入されているようです。

 私もブショネには、数多く泣かされてきて、スクリューキャップへの全面切り替えも歓迎しているのですが、先日、こんなワインに遭遇し、コルクの喜びを改めて意識したりしました。

 それは、フジッコワイナリーの甲州シュールリー2004を抜栓したときのこと。

 コルクが、おやっと思うほど長いのです。肌触りから推測すると、材質にもかなりのこだわりが見受けられ、とても上質なものになっているのです。(高価格帯のブルゴーニュワインよりも上質です。)一般的に、甲州ワインは、10年単位で熟成を期待するワインではなく、リリース後すぐに食卓を彩るワイン。コルクはここまで長い必要はなく、数年間のワインの酸化を防げるだけなら、もっと短くてもいいかと思われます。

 実際、他社のコルクは往々にして短く、しかし、その短かさは性能の本質やワインの販売価格を考えると、妥当な長さであることがわかります。ところが、フジッコは1500円ほどの甲州ワインに、長いコルクを採用してきました。無駄に長いという説もかなり有力ではありますが、なぜこんなにも長くて上質なコルクを採用してきたのでしょう。

 あの佃煮のフジッコを親会社に持つフジッコワイナリーの経営体力のよさも、高コストコルクの採用を可能にしたと思われますが、ここに会社としてのワイン愛を感じるのは、わたしだけでしょうか。

 ワインを単なるアルコール飲料としてではなく、食文化を彩るものとして捉えるならば、あえて高コストなコルクを採用してでもワインにこめられたメッセージを伝えたいのだと思います。上質のコルクを触れば、そのワインを飲む前から、ちょっとうれしくなってきます。放たれたメッセージは、ワインを口にするよりも早く、しっかりと飲み手に伝わってきます。

 ワインの楽しみは、コルクを抜くところから始まっている。

 ソムリエが、そのコルクの長さを意識した時、自ずとそのメッセージをお客様に伝えられなければなりません。それができないのであれば、そんなソムリエは、ただのむにゃむにゃむにゃで、ワインの喜びを共有するというレベルには達することができないと思われます。

 収益性を犠牲にしてまで、コルクに秘めたワインへの愛情を感じる時、経営効率として削っていいものと、守らなければならないものがあることを知らせてくれるようでもあります。フジッコのコルクを耳たぶを触るように掴みつつ、その先のワインへのいとおしさを感じます。

 しかし、それは資金的な体力があるからこその余裕とも受け取ることができ、逆にせっかくのワインを、コルクが短いというだけで否定するのはちょっと見当違いで、コルクの長さにこだわったフジッコというワイナリーの特徴と見たほうが、ワインは楽しくなると思います。

 雑誌のテイスティングコメントを読むのもいいですが、自分でコルクを抜いたりするなら、そのワインのおいしさは、指先から伝わってくるものなのです。おいしいは、指先から始まることもある、そんなことを思いつつ、肝心の中身を飲まなきゃ(笑)・・・。


2005/11/16記

つづく





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