11月28日(金曜日) シャトー・パルメ見学の巻

 朝。まだ外は薄暗かった。しかも雨。このたび初めての雨だった。僕は嫌な予感がした。そして その嫌な予感は的中しまくることになった。

 9時も近くなったので、チェックアウトして隣の銀行でトラベラーズチェックを現金にしよう かと思った。地元の銀行らしいが、窓口は一つしかない。日本の銀行のようなカウンターではな く、普通の事務机の向こうに女性が一人座っていた。彼女の前に紳士が何やら商談している。他 に窓口はあるかと聞いたが、あっけなくないと言われた。僕は長いこと待たされることになった。 僕はフランスの新聞に目を通すが、さっぱり時間は潰せなかった。もういい加減にしてくれ状態 になったとき、僕の番がきた。ソムリエナイフを買いたかったので少し多めに600フランほど 現金化した。この村ではチェックが使えなかったからだ。コンピュータヘの入力が終了して彼女 が差し出したフランは、570フランしかなかった。5%の手数料を取られた。ディジョンのク レディリヨネ銀行ではノーコミッションだったので、すっかり油断していた。昨日の夕食と同じ 額を何もせずに失ってしまったのだ。これからは両替時に手数料のことも問いただそう。

 気を悪くした僕は、折り畳み傘を出して歩き出した。午前中はポイヤック村の南側のシャトー を見学して、午後にバスでマルゴー村に移動しようと考えたからだ。ところが、この折り畳み傘、 小さすぎて何の役にも立たなかった。もう少し大きくないと持ち運びは便利だが、雨避けにはい ささか不十分だった。両肩を濡らしながらも、取り敢えずシャトーを目指した。土砂降りという ほどでもなく、これなら何とか歩けそうだったからだ。手作り地図によれば観光案内所の向こう 側にスーパーマーケットがある。そこでしばらく雨宿りしながら朝食でも買おう。

 スーパーマーケットは確かにあったが、地図の位置と少し違う気がした。それでも結果オーラ イで、僕は濡れた肩をタオルで拭いて入店した。店内は、日本のコンビニエンスストアとは違い、 まとめ買い戦略を取っていて、どれも僕には多すぎた。仕方なく、一番小さいクッキーと缶ジュ ースを買ってレジに並んだ。傘もあったが、2000円近くしたために、勿体なくて買えなかっ た。

 レジでは、僕は疑われていたようで、背負ったバッグの中身を見せろと要求された。何にも取 ってねーよと日本語で対抗しつつ、バッグを開けて無実が証明された。全く朝から不愉快が能く。

 雨は止んでいなかった。仕方なく傘をさして、地図を頼りに歩き出した。しかし、どう歩いて も、目的地のシャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランドの看板が見当たらな い。昨日ここに来るときに窓から見えたシャトーなので国道沿いにあるはずなのだが、地図で確 認した場所には見当たらない。そして僕は同じところをぐるぐる回ってしまってから気が付いた。 この地図が間違っていると。どうも学校や教会の位置関係が歪んでいるのでおかしいと思ったが、 本来まがっている道が、省略されて真っ直ぐの道に描かれていたのだ。交差点も省略されている。

 ああ。結局悲しいかな、僕はこの村を3周もしてしまっていた。晩秋の何もない村で一人寂し く雨に濡れている姿は、寂しかった。しかも、靴がその防水を忘れていたために、グヂャクヂャ に濡れていた。

 全く今日は運がないと思って歩いていると、全く見当違いの道を歩いていることに気が付いて、 僕は朝から途方に暮れてしまった。来た道を戻る。戻り過ぎた。2時間も歩いていたのに、泊ま っていたホテルが見えたりするのだ。

 そんな最悪の日も雨が上がると一変した。ようやく目的の看板を見付け、ジロンド河ぞいに南 下した。しばらく歩くと、カフェがあった。ここで道でも確認しようかと、ふと反対側の民家の 壁の文字を読むと、昨夜飲んだワインのラベルと同じ図柄だった。レフォール・ド・ラトゥール。 おおっ。ここだ。ということは近くにシャトー・ラトゥールもあるはずだ。僕は道を聞くのも忘 れ、走り出した。あ。シャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランドだ。こんな に長い名前もすらすら言えるようになって、僕はそのシャトーを見つめた。反対側には、シャト ー・ピション・ロングヴィルもあった。まさに貴族のシャトーだ。このときめきは、ロマネ・コ ンティの時と同じだ。写真を何枚もとり、その建物やら壁に手を触れた。ここから全世界に、銘 醸ワインが送り出されているのだ。世界のワイン作りの頂点に立つシャトーにきてしまっている のだ。

 さらに僕の感動は追い討ちを掛けられた。道の切れ目に、城壁マークを見付けたのだ。シャト ー・ラトゥールだった。おおおお。僕は再び走り出した。そこはジロンド河に向かって一面ラト ゥールの畑だった。ここも広大だ。城門に駆け寄る。どうやらこの城門は、ラベルのデザインと は違うものらしい。ムートン畑と同じくここでも農夫が大勢作業をしている。僕は晴れ上がった 空を見上け、おもいっきり深呼吸をした。こんなに空気がうまいとは。僕は覚めやらぬ興奮を押 さえきれず、その場で立ち尽くしてしまった。ここまできて本当に良かった。僕の拳はしばらく ガッツポーズのままだった。

 ラトゥールを十分堪能した僕は、バスに乗ってマルゴー村へ移動した。マルゴー村では、シャ トー・マレスコ・サンテグジュペリを探した。このシャトーが、僕が始めて飲んだ格付けワイン であり、その意味では思い入れのあるワインだった。生憎、門が閉ざされていたので、村の観光 案内所で情報を仕入れることにした。どうやらこの村でも冬季はシャトー見学ができないらしい。 残念無念である。もちろんシャトー・マレスコ・サンテグジュペリも例外ではなかった。ところ が例外もあった。シャトー・パルメである。

 僕は耳を疑った。シャトー・パルメといえば、シャトーマルゴーに次ぐワインとして最近特に その実力を発揮しているという。かくいう僕も今まで飲んだワインの中で最も高額なワインが、 このシャトー・パルメだったのだ。案内所の女性に詳しく聞くと、何と、アポイントなしでもO Kとのこと。しかも、道順は至って簡単で、目の前の道を2キロほど下った左手にあるという。

 僕は空腹にもかかわらず、食事は後回しにして、パルメを目指した。

 シャトー・パルメに着いた。ビジター用の呼び鈴を押す。隣の建物からオヤジさんが出てきて、 僕は要件を告げた。うまく通じただろうか。心配できょろきょろしていると、背後から女性が近 寄って来た。美人だった。握手を求められ、彼女が何か言っている。どうやら彼女がマンツーマ ンで案内してくれるという。おお。無茶苦茶ラッキーだ。

 彼女の後についてシャトー見学が始まった。まず最初に訪れた建物には、ステンレス製の巨大 タンクが幾つもあった。収穫されたばかりのブドウがここに集められるという。タンク内の温度 は完全にコンピュータ制御され、どうのこうのと言っている。次に案内されたのは、樽の部屋だ った。幾つもの樽が置かれ、一人の職人が作業をしていた。ここで熟成を待っているのは、97 年のブドウだそうだ。今年のだ。さらに奥の部屋には、96年の樽が静かに出荷の時を待ってい た。正面の窓から見えるシャトーが、あのシャトーマルゴーだという。僕はシャトー・パルメ内 の部屋で、ワイン作りの説明を受けるのだ。しかも二人きりで。感動だ。

 樽の部屋を出て、次の建物に入ると、そこはテイスティングルームだった。瓶の倉庫も見たか ったが、ここまでで十分満足だ。薄暗い部屋の一角がワインや写真で華やかに飾られていた。テ イスティング用のボトルが何本もあり、そのうちの一本に彼女がワインオープナーを立てる。グ ラスに注がれるワインはとても綺麗な色合いの赤だった。彼女は優しく僕にグラスを手渡した。 一朝前にテイスティングの格好をしたが、香りや味をゆっくり楽しむ余裕はなく、ただただ震え る体を押さえ、飲み込むのがやっとだった。飲み干してしまうのが勿体なかったが、彼女との会 話ももたなかったので、えいっと飲んでしまった。味覚を越えた感激が僕を襲い続けていた。

 これで見学は終了だという。記帳コーナーもあったが、先客の男性が何やら書いていたので、 諦めてしまった。彼女に見送られ、僕は外に出た。料金は無料だった。

 僕は思いがけなくシャトー見学を達成してしまった。

 その喜びがひしひしと込み上げてくる。お金を掛けなくても、感動は得られるのだ。

 このシャトー・パルメでの感激様は、客観的に見れば極めて阿呆臭く、いい歳して誠に情けな いが、いまだに思い出し笑いをしている始末である。自力でのアポなし見学。しかも美女と二人 きり。もう笑いが止まらない。僕の笑顔を皆さんに見せてあげたいくらいであります。切りがな いので、話を進めよう。

 シャトー・パルメで気を良くし過ぎた僕が次に目指したのは、シャトー・マルゴーだった。失 楽園で一躍有名になったこのワインは、他の一流シャトー同様美しかった。並木道の突き当たり に白亜のシャトーが、でんと構えていた。並木道を歩く。右側に広がるブドウ畑。左手には黄色 みがかった醸造所。砂利道を歩くと、一本の鎖が門柱から門柱へと渡され、それはこれより先立 ち入り禁止を意味していた。シャトーマルゴーの見学ができないことは日本でも確認していたし、 村の案内所でも念を押されていた。

 例え、中の見学はできなくても、こうして目の前に白亜のシャトーがあるのだ。それだけで十 分だった。飲みごろのシャトー・マルゴーは3万円以上するが、いつの日か、僕の食卓に飾られ ようぞ。シャトー・マルゴーからシャトー・パルメを眺めると、異国の観光客でも歓迎してくれ た懐の深さに、何か熱いものが込み上けてくるのだった。

 感動の次にかならずやって来るものがあった。空腹感だった。一人で歩いていると、どうして も食事を省ってしまいがちだ。今日もたいしたものを食べていなかった。シャトー・マルゴー、 シャトー・パルメ、シャトー・マレスコ・サンテグジュぺリという、僕にとっての三大シャトー 見学を終えて、その安心感からか、僕はとてつもない空腹感に襲われた。僕はバス停横のカフェ バーに席を陣取り、久しぶりの食事にありつこうとした。ここでならついでに帰りのバスも待て る。バスは2時間後にあるらしい。

 カフェバーのショーケースには、アップルパイしかなく、もう少しちゃんとした食事がしたか ったが、一度席に着いてしまうと歩く気力もなくなってしまって、仕方なくそれとビールを頼ん だ。この店を手伝う娘さんには全く英語が通じず、流暢なフランス語しか返答がない。僕は相手 が言っている金額が分からず、カウンターに小銭を並べてそこから代金を取ってもらうことでし か対応できなかった。年端も行かない娘とのコミュニケーションに失敗した。フランス語への勉 強熱がふつふつ沸いてきた。一切れのアップルパイを大切に食べながら、ビールを飲んだ。疲れ た体にビールの泡が心地好く、両足を対面の椅子に投げだし、靴下が臭かったらごめんねという つもりでマルゴー村での安上がりな食事を大いに楽しんだのだった。

 カフェを出ると、雨が降ってきた。急いで避難しようとしたが、足が動かなかった。左足の小 指に豆ができており、そこが歩く度に痛むのだ。足全体にも疲労が溜まっており、これ以上の散 策は断念して、バス停の軒先で雨宿り。

 雨はなかなか止まず、時間になってもバスもこなかった。寒さに震えながら、バスを待つこと しばし。やっと来たバスは地元高校生で満員だった。どこの国でも通学途中のバスはうるさいも のだ。運転席のとなりに立ち、揺れる車内の手摺にしがみついていた。行きのバスの空き具合が 嘘のようだった。

 それでも少しずつ高校生たちは各々のバス停で降りていった。ようやく空いた席に座り、車窓 から外を眺めると、もう真っ暗になっていた。ボルドーに着いたら宿探しが待っている。駅まで はかなり遠いので、オペラハウス周辺で探すことにしよう。明日は土曜日、シャトーツアーの日 だ。

 夜のボルドー市街は、賑やかだった。どうやら今夜オペラが上演されるらしい。タキシード姿 の男性が、玄関で女性を待っている光景があちらこちらで展開されていた。僕はオペラハウスの となりに宿を取った。少し高いかと思ったが、パリに比べると各段に安いので、金額よりも早く 休みたい一心でチェックインした。

 宿が決まって、僕は街へ出た。足の豆の痛みが、歩行の障害になったが、夜の繁華街のネオン を無視してはいけないだろう。オペラハウスから駅のほうへと続く道がこの街の繁華街のようで、 お洒落なレストランが幾つもあり、人々でごったがえしていた。

 僕はまずソムリエナイフの店を探した。ワインを開けるための道具だが、これからの人生、何 本いいワインを開けるか分からないが、そういうシチュエーションにはソムリエナイフの小技も 必要だろう。いいワインはソムリエナイフで。僕のこだわりだった。東急ハンズでも売っている が、旅の思い出としてワインの産地ボルドーで是非買いたい代物だった。ホテルの隣に都合よく ラギオール社製のそれがあった。セミのマークが可愛らしい。僕は何本か飾られているソムリエ ナイフのうち、一番高い緑の絵柄と目が合った。僕は目が合ったら買うことにしていた。こうい う時はケチらずに、最高級品を買おう。

 日本円で2万円弱か。高いとは思わなかった。ワインオープナー自体なら100円でも売って いる。しかしこういうプレゼンテーションも必要だと思っていた。ワインはやはり贅沢品だ。年 に何回も飲めるものでもない。贅沢ワインには贅沢なオープナーが良く似合うのだ。僕は憧れの ナイフを手にして一人微笑んだのだった。

 そして腹が減っていた。何か食べよう。どの店でディナーを決め込むか悩んでいると、ふとシ ョーウィンドーに写った自分の姿を見て、はたと足が止まった。髭面で、ジャンパーもズボンも よれよれ、何とも汚らしい。今朝は雨の中を歩いていたし、昨日から二日間もブドウ畑の土真ん 中に居たのだ。国道ではトラックの排気ガスもかぶっていた。

 この汚い格好で蝋燭の点るテーブルには座れないだろう。たとえ座れても、他のお客に不快感 を与えかねない。常日頃からレストランの善し悪しは客のマナーのそれと密接に関わっていると 思っている僕には、今日は勘弁してやったほうが良さそうだ。せっかくのデートを邪魔してはい けないし、第一後ろ指を差されてまで食事をすることもなかろう。我ながら一歩引いてしまうほ ど、僕は汚かったのだ。今夜は洗濯日和にしよう。

 僕はちゃんとした食事を諦めかけ、サンドイッチで我慢しようか思案したが、角に中華料理店 が見えた。中華ならラーメンでも啜るかと、中を覗くとこの店にもテーブルに蝋燭がセットされ ていた。どうやらラーメン屋という感じではなく、フルコースを食べさせる店のようで、その店 構えは僕を失望させたのだった。

 次にマクドナルドなら肉が食えると考えた。しかし、マクドナルドはヨーロッパの各店舗がそ うであるように大変な混雑だった。こんなに並んでまでハンバーガーもないだろう。

 ラーメンにもハンバーガーにも縁がなかった僕は、昨日ランチを食ペた店に戻り、得意のサラ ダとワインで妥協した。同じ店には入りたくなかったが、店の様子が分かる安心感に頼ってしま った。この店はオペラハウスのとなりにあり、客の多くはコーヒーなど飲みながら上演時間を待 っているようだった。正装の男性、女性には悪いが、ローソクを点さなかった店の落ち度がきた ない僕に入店を許してしまったのだった。

ようやく腹拵えができたので、ワインの店を見て回ろう。この辺りにはワイン専門店が幾つかあ り、適当なワインでもあれば寝酒に買っておこうと思った。しかしワインは高かった。適当なワ インが見付けられないまま、奥の白ワインのコーナーに辿り着いてしまった。すると店員がにこ にこ話し掛けてくる。

 何かお勧めのワインはありますかと、聞くんじゃなかった。そんな余計な一言が、買わなけれ ばならない雰囲気を作り出してしまっていた。何本か勧められるままに聞いていたが、その中で 彼が指差したもののなかにハーフサイズのデザートワインがあった。ハーフサイズなら持ち運び も便利だし、値段も手頃だった。

 デザートワインは食後にディナーを締め括るワインとして珍重されている。その筆頭がシャト ー・ディケムだ。筆頭だけあって飲みごろのそれは何十万円もする。今回はディケムではなく、 もっとお気楽なこのワインにしよう。ただ、このワインは超甘ロなので飲む前にはきりりと冷や す必要がある。店員によると摂氏8度前後がベストだという。

 料金を払い、おつりを貰うために待っていると、すでにテーブルに無造作に置かれていた。店 員の一人がそれがあんたのおつりだからとっとと取れと言っているようだ。毎度ありがとうござ います、の一言もなく店員たちはそれぞれの会話を楽しみ出した。

 僕は店員の態度に怒りを感じながらも、僕の怒りの原因を知る由もない店員には、何の術も持 たなかった。これを文化の違いというのだろうか。こんな事で一々怒っていては、いけないのだ ろうか。今度接客マナーを教えてやるから、それまで自分なりに考えてみろと文句の一つも小さ く口ずさんで、僕は宿に戻った。

二つ星のホテルには冷蔵庫はなかった。デザートワインは冷やしてこそ、うまいのだ。常温で飲 んでもただの甘い酒だ。僕は諦めて、ブルゴーニュで買って今日まで大切にしていたボーヌ・ロ マネに買ったばかりのソムリエナイフを立てた。ボルドーでこの酒を開けようとは思わなかった が、ワインを2本も持って旅を続けても重いだけだ。ソムリエナイフ購入記念にはブルゴーニュ の銘醸ワインが良く似合う。乾杯。

 一人での乾杯を終えて、洗濯の準備にとり掛かった。この部屋に冷蔵庫はなかったが、シャン プーとリンスが備わっており、石鹸は2つもあった。久しぶりのシャンプーでの洗髪をおえ、石 鹸で靴下、パンツ、Tシャツの3点セットを洗った。ズボンも洗おうかと思ったが、洗ってよれ よれになる可能性のほうが大きく、ハンガーで吊すだけにした。

 裸でベッドに潜り込み、洗濯物の乾きを気にしながら僕は深い眠りについたのだった。

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