11月29日(土曜日) ボルドー・シャトーツアーの巻

 朝、目覚めたが、チェックアウトの時間は11時だった。シャトーツアーの集合は午後1時。 集合場所は宿の隣なので、時間ぎりぎりまでベッドでごろごろすることにした。

 久しぶりのごろ寝だ。裸でテレビなど見て過ごす。

 11時少し前。チェックアウト。隣の観光案内所へ。シャトーツアーの申し込み。学生かと聞 かれたので、そうだと答えた。確かに僕はNHKのイタリア語会話の聴講生に違いない。130 フランだったか。20フランだから440円ほど得したようだ。12時半ここに集合とのことで、 僕は昼食を兼ねて街を歩いた。手持ちの現金がなかったので、銀行に寄るがあいにく今日は土曜 日で両替は受け付けていなかった。しかたなく、C&Aなどのデパートで買い物でもしてトラベ ラーズチェックを現金化しようとしたが、特に欲しいものもなく、何も買えずに外に出てしまっ た。街を歩いていると、道行く人がサンドイッチを食べていた。20フランでコーラもつくとい う。フランスパンにハムやら卵やらが挟んである。僕は立ち食いを決め込んで、一人での食事を 楽しんだ。食事が終わって、VISAのキャッシュサービスで500フランほどおろす。

 なんだかんだといってもなかなか時間というものは潰れない。同じところをぐるぐる回ったり して、ようやく一軒のワイン専門店に入った。この店は螺旋階段の側面にワインが陳列されてお り、上に行けば行くほど高価なワインになっていた。ここでなら誕生年のワインがありそうだ。 保管状態もかなり良く、どのラベルにも汚れなどなかった。

 僕は螺旋階段の一段一段を確かめるように歩いた。最上階に銘醸ワインが並べられていた。あ いにく僕のお気に入りのワインに67年物はなかった。メドック地区でいえば、シャトー・タル ボなどの日本では余り知られていないワインの67年産はあったが、せっかくここまで来たのだ から自分の憧れのワインが良かった。店員に事情を話すと、それならばシャトー・ディケムがあ ると言う。おお。いいぞ。値段の交渉に入ったが、5050フランだという。日本円で約11万 円。日本で、シャトー・ディケムの67年産があれば、20万円はするだろう。これを安いと見 るか高いと見るか。

 僕はこれを重いと見た。今日は土曜日、日本に郵送するにも月曜日まで持ち歩かなければなら ない。しかも今日はこれからシャトーツアーがあるのだ。そんな高価なワインを持っていては、 気が気ではない。シャトーツアーは夜6時には終わるだろう。それからこの店を訪れても何等遅 くない。僕は店の閉店時間が7時半であることを確認して店を出た。

 少し時間は早かったが、シャトーツアーの集合場所にいってみた。すでに20人くらいの人達 でごった返しており、日本人も何人かいるようだった。僕は出発の時間までトーマス・クックの 時刻表で今夜からの計画を立ててみようと考えた。

 時刻表によると、夜7時にスペイン行きの夜行電車がある。ディジョンのサンドイッチ屋のオ ヤジとの会話が思い出された。熱心にスペイン、ポルトガルを語るオヤジさんが印象に残ってい た。しかし、夜7時の電車では時間的にきつい。このシャトーツアーが終了するのは6時すぎだ ったからだ。

 夜10時すぎにニース行きがあった。ニースに翌朝着いて、モナコ・モンテカルロのカジノで 一儲けして、その日の夜行でヴェネツィアを経由してウィーンでオペラだ。なかなか良い計画の ように思えた。夜行が続くが、宿代も浮くしその分オペラで贅沢しよう。



 ところで、この長い旅行記を書いていて、最近全く筆が進まない。特にシャトーパルメのテイ スティングが終わってからの件以降は、実に10日以上かかってもほとんど先に進めないでいる。 今までが順調にきていただけに、この異変に戸惑っていたりする。お正月休みも終わって世間で は仕事が始まっている。僕は現在無職だから、当分出勤する必要がない。日産生命の清算から早 3か月余り。世間では拓銀や山一などの大型破綻が相次ぎ、日ごと、再就職先がなくなっている 状況だ。さらに3月31日の決算次第では更なる保険会社の破綻も十分考えられる。

 今までは、日産生命の同情票で何とか切り抜けられて来たが、これからは世間の風当たりも厳 しさを増し、自分の中の葛藤も苦しくなってくる。これから何をすべきか。残念ながら僕は決断 できていない。全く情けない事だ。今回の旅も、イタリア語を生かした職業を探したいと思って 留学準備を考えて出発したわけで、しかも、ワインを一生のビジネスとしてとらえるため現地で の視察を兼ねていた。

 フランスのブドウ畑を歩き回り、シャトーやドメーヌを訪ね回った。

 僕はブドウ畑の真ん中で感じた、あのときめきは決して忘れないだろう。この心の震えは、ワ インと一生付き合って行くのに、余りあるだろう。心に芯があるとしたら、そこが畑の音に響い て震えている。この震えは日本に帰ってきた今でも、止まない。僕はこの震えを信じたい。しか し、ワインの価格は日ごと高騰し、特にボルドーの一流シャトーの高騰ぶりはとても庶民を相手 にしたビジネスとして適していないように思われる。1本1万円もするワインはそうそう食卓を 飾るものではない。日本との価格差があれば、商売の見通しも立つが、現地でもボルドーは高く、 ブルゴーニュは抱き合わせで買わされるシステムになっている。これでは新参者の入る余地はな く、借金を作って廃業する日も近いだろう。個人で事業を起こすのは限界がある。単価3000 円のワインを100ケース揃えるだけで、360万円もかかる。日本への輸送や品質管理にかか るコストも馬鹿にならない。ワインの瓶は割れる。しかも輸送に失敗すれば、商品としての価値 もなくなり、1本も売れないリスクもある。100ケースもすぐに捌ければいいが、しっかりし た流通経路を押さえていなければ、倉庫代だけで破産しかねない。 1本6000円で売ったとして、儲けは幾らになるのだろうか。関税やら酒税もある。しかも世 は不況である。1本6000円のワインが今後たやすく売れるとは思われない。今は空前のワイ ンブームだから、需要の伸びに乗じて供給できなくもなさそうだが、それにしても個人で参入す るにはリスクが大きすぎる。

 少し整理したい。ワインビジネスの展開についてだ。ワインを一生の職業としていくにも、い ろいろな関わり方がある。生産業、流通業、サービス業、そしてお客様の4つ。

 ブドウを収穫して、ワインを作り、販売経路に乗せて、あるものはレストランでソムリエのア ドバイスの下で楽しまれ、あるものはデパートや専門店で販売され食卓を飾る。

 僕はどこで関わるべきなのか。ワイン作りは農業である。保険会社の営業畑しか歩いてこなか った僕に、実際の畑が耕せるだろうか。現実的でない。流通はどうだろう。流通の関わり方とし て個人で参入する方法と、すでに実績の挙がっている会社に就職する方法だろう。会社に身を置 くにしても、その会社の規模により仕事の内容も変わってきそうだ。

 ビール会社系やデパート系の大企業グループならば、そのスケールメリットを生かして、大き な仕事もできるだろう。実際にシャトーの運営に参加しているシャトーもあれば、世界的な経営 者と独占契約をしている会社もある。そこでの仕事は夢も大きそうだが、いかんせんサラリーマ ンなのだ。

 不敗神話のあった生命保険会杜が潰れ、しかもそこが自分の勤めていた会社であり、サラリー マンの現実をまざまざと見せられた僕に、サラリーマン生活のやり直しには抵抗がある。僕はま だ30歳だからいいほうだが、40歳も過ぎた役職者にはサラリーマンの悲哀を感じさせた。彼 らは会社のために休日出勤やら接待ゴルフやら、生活の大部分を犠牲にして、税金も完璧に徴収 されてきた人々なのだ。システム畑や経理畑ならば再就職先もなくはない。しかし営業畑ではよ ほど特筆した技術がないと仕事はない。

 一般に保険会社や都市銀行、証券会社はエリートコースとして自他共に認めてきた。給料も他 の業界に比べれば良かったと思われる。再就職先の給料は確実に下がる。半減でもいい方だと聞 く。足元も見られ、年端もいかない上司に頭を下げたり、外様サラリーマンとしての忍耐生活も 想像に難くない。

 それが今までは、テレビドラマや週刊誌の世界の話だったが、今は現実である。具体的な名前 もあり余るほど挙げられる。サラリーマンから会社と役職を取ってしまったら何が残るのだろう か。辛いところだ。

 話が逸れた。サラリーマンとしての悲哀もあるが、現実問題としては言葉の壁がより重要だ。 僕は自慢ではないが英語は片言、イタリア語は旅行会話、フランス語はボンジュールの世界だ。 早い話が、商売としての会話力がないのである。旅行者は無責任だから、言葉が通じなくとも旅 は続けられる。しかし商売ともなれば、話は全く別だ。言葉の壁がある以上当面は日本勤務はや むを得ない。早い話が、小売り酒屋さんやレストランでの自社ワインの営業だろう。そこからの 下積みも悪くはない。現場の声を将来の経営に役立てるのも必要だろう。

 僕の言葉は不十分でも、シャトーパルメで単独見学はできた。その自信が小売店回りのルート セールスに障害となって立ちはだかっている。ルートセールスはワインとの関わり合いが他の手 段よりも薄く感じられるのだった。

 言葉はもちろん習得する。ただ、それは一朝一夕というわけにはいかない。時間が必要だ。3 年か、10年か、一生か。ワインに携わるものとして最低限の語学は習得するぞ。

 次に、個人として参入する場合だが、ここでは言葉の壁の高さは変わらないが、資金力に問題 が山積みされている。先ほどのようにワインは大量に仕入れなければ、コストを回収できない。 利益も薄い。個人の資金力には限界がある。一夜で無一文になる場合もある。借金のカタに家族 の財産も奪われかねない。素人が参入するにはリスクが大きすぎる。もう少し研究や経験が必要 だ。これは今は止めよう。

 次にサービス業。ソムリエとしてのアドバイザーやワインバーの経営などだ。まずソムリエに なるためには、3年以上の経験が必要だ。味覚を判断する舌も必要だ。料理の調理方法にも長け、 そして何より立ち仕事なのだ。立ち仕事の経験がない僕に、一日中立ち続けることは可能だろう か。そんなやる前から弱音を吐いていたら仕方ないのは承知しているが、夢だけでは飯が食えな いのも事実。ここは分析が必要だ。

 ソムリエには2種類ある。レストランでワインのアドバイスをするソムリエと、名誉ソムリエ といってワインの普及に努める人達だ。前者は言うまでもなく田崎真也氏、後者には、プロ野球 解説者の江川卓氏などがいる。ソムリエがワインのエキスパートなら、名誉ソムリエはワインを 愛する他分野のエキスパートだ。

 いずれにせよ、ワインの飲み込みが足りない。もっとたくさんのワインを飲まなくては商売に ならない。ワインバーの経営も、素人が資金もなく始められるほど甘くない。

 最後に、最も気軽な立場にいるのがお客である。ワインは何かと高くつく。そのために高収入 を得て、大いにワインを楽しみたいものではある。

 いずれにしても一生ワインに関わっていきたいことは事実だ。

 話が旅から大幅に逸れているので、ここで修正してシャトーツアーの話に戻そう。

 結論からいえば、シャトーツアーはおもしろくなかった。すでに自力でシャトーパルメのの見 学も終えていたし、ムートンやラトゥールの畑も歩いてきた。そもそも団体行動が苦手という説 もある。ツアーは総勢30名くらいが参加して、ソーテルヌ地区とグラーブ地区をバスに乗って 回った。テイスティングも甘口白ワインと辛口白ワイン、そしてフルボディの赤ワインをいただ いた。シャトーの従業員の女性がとても可愛らしく、僕はワインよりも彼女のほうばかり見てい た。気さくなフランスの田舎娘という感じだった。素朴で非常によろしいぞ。

 ところでこのツアーには日本人が3名参加していた。トミタさん、モトカワさんの女性二人と 男性のイシカワさんだ。彼らは前夜のユースホステルから一緒らしく、とても仲が良さそうだっ たが、三人とも別々に旅しているとのことだった。日本人女性も一人でヨーロッパを回っている のだ。勇気があると思う。僕も彼等の隣に座って、仲間に加わった。よくよく考えてみると、こ うして長時間にわたって日本語を話すのは旅に出て以来、初めてだった。この旅の最長会話記録 は、田崎真也氏との二言三言の会話だった。

 三人とも無職だった。彼らもまたトーマス・クックの時刻表と「地球の歩き方」を持っての旅 のようだった。三人とも特にワインヘのこだわりがあるわけではなく、旅の途中のイベントとし て参加しているようだった。

 バスの中で、僕は横浜市に住む女性、トミタさんにワインの素晴らしさを言いまくった。彼女 にしてみれば迷惑だったかもしれないが、僕のワインの知識を実物の畑を車窓に見ながら、説明 してしまった。どうも1週間振りに話し相手を見付けてしまったようで、僕は喋り捲くったよう だ。前の席では他の二人が僕の説明を側耳立てて聞いていたようで、バスを降りる頃には、「通 」と渾名されてしまっていた。

 外は雨だった。車窓から見えたシャトー・ディケムの建物がとても寒そうに見えた。古城を思 わせるそのシャトーは、僕に一つの決心をさせた。シャトー・ディケム1967を買おう。僕は 確かにあの螺旋階段のワイン店でここで作ったワインと目があったのだ。目が合ったら実行だ。 5050フランなんか日本で稼げばいい。この世紀の大傑作を前に素通りするほど僕は小さくな いのだ。幸運にも、世紀の銘醸ワインが僕の生まれた年に生産されたのだ。これはやっぱり買う しかないだろう。

 このワインを両親に飲ませてやりたいという気持ちもあった。せっかく大学まで行かせてもら って生命保険会社に入社したのに真っ先に破綻してしまった不幸を詫びたかった。余計な心配を 掛け、本当に申し訳ないと思っているが、申し訳なさついでにヨーロッパまできてしまっていた。 何とも親不孝である。その償いの一つとして息子の生まれた年のワインでも飲んでもらって、親 孝行の真似事でもしたくなったりした。

 それにつけても団体旅行というのは肌に合わない。シャトーでは従業員がワイン作りの概要を 説明してくれるのだが、その説明は専門書などで確認済みの事ばかりだった。外人さん達があれ やこれや質問をしているが、どれもがちょっと調べれば分かることはかりだ。

 いや待てよ。僕は大きな勘違いをしているかもしれない。僕はフランスのこんな田舎のシャト ーを訪ねるのは、ワイン好きの人間ばかりだと思っていた。

 ところが、他の参加者を見ていると、休日の過ごし方の一つとしてブドウ園でも見に行こうか という感覚なのだ。日本でいえばせっかく神戸まで来たのだから灘の酒蔵巡りでも申し込むかと いう気楽さなのだろう。バスに乗って、ガイドさんの説明を聞いて、実際の現場を見て、ワイン の試飲をするというのもイベントとしては悪くなさそうだ。

 本当にワインが好きな人は、やはり一人で回るのだろう。ツアーでは時間制限もあり、自分の 好きなシャトーにもいけない。気が済むまでブドウ畑を歩くこともできない。お手軽な代わりに、 自由がきかないのだ。

 ただ利点もある。それは友達ができるということだ。それは日本人、外国人を問わない。狭い バスの中で隣に座ったら会話の一つも弾むというものだ。

 ところで海外で独り旅同士が友達になると、久し振りの日本語に思わず嬉しくなり多弁になり やすい。今までどこを歩いてきて、どこへ行くつもりだという内容が多い。この会話からお勧め のスポットを聞いて、そこを訪れるのも旅の醍醐味だ。思わぬ人生相談に発展する場合もある。 育って来た環境も、日本での立場も違うのだが、ヨーロッパでは同じ旅行者。その共通点が不思 議な親近感を与えてくれるのだろうか。恋の悩みから仕事の相談など、日本ではなかなか話辛い 話題がすらすら出てくる。

 これがきっかけで帰国後も親しく交際する人もいるが、大抵はその場限りで別れる。そんな薄 い出会いが、何とも心地好かったりする。

 そんな友達作りに現地のツアーが、出会いの場を提供してくれたりするのだ。

 話を戻そう。シャトーツアーが終わったのが午後6時だった。僕の隣に座っていたトミタさん はこれからマドリードに行くという。その後ポルトガルの友人を訪ねる計画らしい。そこで僕は 相談を持ち掛けられた。ボルドーのワインを御土産にしたいが、そのアドバイスをしてくれとの ことだった。よしきた。そういう相談なら喜んで引き受けよう。

 予算は5000円だという。僕が選んだワインは、シャトー・レオヴィル・ラス・カーズのプ チサイズだった。値段も手頃だし、メドック地区の2級格付けのワインだから、ワインの心得が ある人が見れば喜んでくれるだろう。2級といえど、何万本もあるワインのピラミッドのうちで 上から数えて何番目という超一流大銘醸なのだ。ヨーロッパの庶民はテーブルワインは毎日飲ん でも、格付けワインはめったに飲まないそうだから、大切な友達への贈物としてはいいと思った。 ブランドに頼りがちな日本人魂もろ出しのきらいもあるが、375mlのハーフサイズだから持 ち運びも便利だ。

 さて、自分のワインも探そう。しかしその店にはなかったので、道を挟んだ例の螺旋階段の酒 屋に急いだ。電車の時間もあるので、ゆっくりしていられない。込み合う店内に一瞬焦ったが、 用件を店員に伝えると、思いのほかスピーディーに事が進んだ。

 僕は念願のシャトーディケムを手に入れた。こんな高価なワインをこんなにも慌ただしく買って いいものかと思ったが、とにもかくにも買ってしまった。カードで支払いを終え、丁寧に箱詰めし て貰って、タクシーに乗り込んだ。トミタさんをツアーで知り合った仲間で見送ろうという話にな っていたからだ。僕も見送る立場だった。僕はニースに行くことにしていた。マドリード行きの電 車は事前の予約が必要で、時間的にゆとりがなかったからだ。タクシーは渋滞に巻き込まれ、焦る トミタさんがしきりに早く早くとドライバーに囃立てていた。

 トミタさんの気持ちが通じたのだろうか、渋滞は次の交差点を過ぎると解消していた。タクシー は無事ボルドーの駅にすべりこんだ。

 僕は悩んだ。僕の気持ちとしては今後の計画はニース行きにかたまっていたからだ。しかしこの 分ならマドリードにも行ける。マドリードにはピカソのゲルニカがある。しかも明日は日曜日なの で美術館は無料開放デーだ。これは行くしかないだろう。この土壇場の予定変更も独り旅の醍醐味 だ。マドリード行きの予約ができたら、スペインに目的地を変更しよう。僕はチケット売り場に急 いだ。

 チケットはいとも簡単に取れた。TGVで国境の町まで行って、そこから寝台電車で翌朝にはマ ドリードだ。

 TGVが静かにボルドーの駅に入ってきた。トミタさんを見送るはずが自分もその電車に乗って しまった。ほかの日本人に別れを告げてタラップを上がった。これからが日本人の女性と二人旅だ。 何か間違いは起こらないだろうか。思わぬ展開にちょっといい気分だ。

 TGVは国境の町Hendayaで止まった。駅の売店ではフランス・フランとスペイン・ペセ タの両方が使えた。僕はフランの残りでビールも2本買って、夜行電車の時間までトミタさんと雑 談して過ごした。そこへトミタさんの知り合いが近寄ってきた。知り合いといってもパリのユース ホステルで一緒だったという間柄らしい。ヨーロッパを電車で回る人達は、その順路こそ違うが大 体同じ観光スポットを目指しているので、違う町での再会もよくあるのだ。京都弁の彼は、これか らリスボンヘ向かうという。この駅でマドリード行きとリスボン行きに分かれるらしいのだ。リス ボンか、ポルトガルの首都だ。簡単にいけるんだな。一足先にリスボン行きの電車が出ていった。 遅れること30分、マドリード行きの電車が動き出した。車内は3段ベッドの作りになっていて、 トミタさんと僕は2階で通路を挟んで眠ることとなった。

 しばらくすると車内の検札がやってきた。僕はユーレールパスと寝台の予約券を差し出した。普 通は確認が終わるとチケット類は返してもらえるのだが、今回は様子が違った。しばらく車掌が預 かるという。翌朝到着前に返してくれるというが、このシステムは他の国にはない。偽乗務員だと したら、パスを失う危険がある。パスがなければ旅を続けることが難しくなる。都度電車代を支払 うことになると、かなりの出費を覚悟しなければならない。トミタさんがかなり心配そうに乗務員 に詰め寄っていた。同室のアメリカ人が大丈夫だと念を押していたので、僕らは素直に従うことに した。トミタさんは納得がいかない様子だった。まあ、取られたら取られたまでだ。それよりも眠 ることにしよう。

目次へ    HOME    次章へ
Copyright (C) 1999 Yuji Nishikata All Rights Reserved.