12月1日(月曜日) リスボンでポートワインの巻

 電車は田園風景の中を進んでいた。朝も8時を過ぎたというのにまだ薄暗く、電車は当分リス ボンに着きそうもなかった。この椅子に座り続けて10時間以上になる。もういい加減着いてく れないと発狂しそうだ。そう思っていると、本当に着いた。

 僕はリスボンの駅に降り立った。どこでもそうだが、初めての国や県や町というのは清々しい。 全てが新しく、まさしく新鮮だ。僕は朝のポルトガルの空気を思い切り吸い込んだ。さて、今日 は何をしようか。僕はこの町の情報を全く持っていなかった。トーマス・クックの時刻表にリス ボンの駅周辺の地図があるが、駅と海が書いてあるだけの、それは正確な意味での地図と呼べる 代物ではなかった。駅の案内所でもっとましな地図でももらうかと思ったが、ここではくれない という。駅の中心に観光専門の案内所があるのでそこで貰ってくれとあっさり言われてしまった。 駅の中心とはどこの事だろうか。まあいいか。何とかなるだろう。ついでに時間を確かめると、 やはり時差が1時間あった。どうも駅の時計と自分の時計がずれているのでおかしいと思ったの だ。

 僕が駅の玄関でウダウダしていると、高知の女性二人に声を掛けられた。正直に告白すると、 彼女たちがこちらに歩いてくるのは知っていた。ここが玄関なのだからそれは至極当然の事だっ た。僕は密かに期待していたのだ。こちらから声を掛けるか、声を掛けられるか。彼女たちなら この町の情報を持っているかもしれないし、そして何より可愛らしかった。僕が可愛い女性を放 って置くわけはなかった。

 とにかくどちらが話し掛けるかはこの際どうでも良く、結果的に僕は二人の女性とリスボンの 駅で会話をすることになった。彼女たちは「地球の歩き方」のヨーロッパ版を持っていた。僕は ポルトガル情報よりも真っ先にオランジュリー美術館を探していた。あった。ルーブル美術館の すぐそばにあった。僕がセーヌの川岸で、黒人さん達におののいていた場所の近くだった。ここ ならすぐに行ける。よし。次の目的地はパリに決定だ。

 ところで高知の女性は姉妹だった。山下姉妹。あまり似ていないが、そう言われれば眼の辺り が似ていなくもない。彼女たちはこれから市街に向かうという。それならばということで一緒に 市街に行くことにした。彼女たちはなぜかポルトガルのお金エスクードを持っていた。どうやら パリでポルトガルから戻ってきた人と出会い、紙幣の交換をしたらしい。山下姉妹はバスで市街 に行くという。僕はエスクードも持ち合わせていなかったし、荷物も身軽だったので別に歩いて も構わなかったが、ここで彼女たちと別れることもなかろうと、姉妹にバス代150エスクード を借りて一緒にバスに乗った。新聞の切抜き情報によると1エスクードは約1円だった。リスボ ンのバス券は、一枚で二度乗れるらしい。運転手横のの機械に切符を挿入すると、日付がパンチ される。反対側にも空欄があって次に乗るときは天地を逆にして挿入すればいいらしい。システ ムが分かると、少し安心する。

 駅の側はすでに海だった。ここが大西洋かと感激しそうになったが、どうやらここは湾になっ ていて本当の意味では大西洋ではないらしい。しかし僕はここを大西洋と名付けて憚らない。湾 の切れ目に陸はなく、ここは正しく大西洋そのものではないか。

 バスは内陸に入った。運転手に目的地は告げていたので、そこに着けば教えてくれるだろう。 そう思っていたら、僕らの目的地がこのバスの終点らしく運転手も笑いながら合図を送ってくれ た。

 観光案内所に三人で向かう。12月1日はポルトガルの休日らしく、花火の幾つかも打ち上が っていた。僕はこの街の地図を貰い、山下姉妹は安宿を紹介してもらっていた。そしてシティバ ンクの場所も聞いていた。

 僕はとりあえずこの街ではやる事がない。夜行までの数時間この街を楽しめれば何でもよかっ た。彼女たちの宿探しに付き合って、シティバンクも一緒に探した。シティバンクなら手数料な しで外貨が得られるという。なるほど、自分の銀行口座さえ作っていれば、自分の預金をその国 の通貨で引き出せるのだ。頭は使うようにできている。次に海外旅行をするときは、最もシティ バンクに口座を作っておこう。ところが、シティバンク・ポルトガル支店は見付からなかった。 今日は休日で、街の銀行は全てシャッターを下ろしていた。どこかのビルの何階だかに事務所が あるらしいが、結局見付からなかった。仕方なく、姉妹は銀行探しを諦めた。僕は腹も減ったし、 バス代も返したいしで、とりあえず一緒に食事をすることにした。

 適当なレストランで赤ワインを一本注文した。ワインの力を借りて僕らのテーブルは大いに盛 り上がった。彼女たちは約80日の予定でヨーロッパを回っているという。年の頃なら20台前 半だろうか。女性に年を聞くのは失礼かと思い、特に尋ねなかった。二人とも会社を辞めて、姉 妹でのんぴり旅をしているという。

 僕はワインと絵画の話をした。特にミラノの最後の晩餐がいかに素晴らしいかを延々と話して しまった。山下姉妹は僕の話に興味を持ってくれたらしい。話はゲルニカにもおよぴ、ひいては 未だ見ぬモネの睡蓮へと展開された。

 「それならば、ミラノで会いませんか。私たちに最後の晩餐のガイドをしてください」

 山下姉妹は僕にこう言った。美人姉妹にこう誘われて、断る理由など一つも見当たらなかった。 僕は二つ返事でOKした。僕は12月14日にミラノ・マルペンサ空港から帰国することになっ ていた。13日ならどうだろう。僕は自分の都合に合わせてもらって恐縮したが、とにかくこの 日にデートする事で合意した。

 今にして思えば、このときの約束が僕の旅を続けさせる原動力になったのかもしれない。この 後実にいろいろな事が僕を襲い、僕は顔に似合わず、帰国したくてたまらない状況にも追い詰め られたのだった。もし山下姉妹との約束がなかったら、日本に逃げ帰っていたかもしれないのだ。 ありがとう山下姉妹。

 ワインを一本空けて、僕らは席を立った。レストランの主は数年前に日本で修行していたらし く、片言の日本語を喋った。僕も案内所で貰ったポルトガル語会話を読みながら片言のポルトガ ル語で応対した。やはり旅は現地の言葉がよろしい。ありがとうやこんにちはくらい現地の言葉 を使いたい。土地の人との何気ない会話というのも旅を楽しくしてくれるものだ。僕は仲良くな った主人に写真を頼み、美女とのスリーショットに成功した。

 いい調子だ。現像が楽しみだ。彼女たちは再び銀行を探すという。僕はここで姉妹と別れた。 やはり食事は一人ではなく、女性としたいものだ。そうつくづく実感した僕は、夜行の予約のた めに駅に向かった。駅までは歩いてみた。大した距離ではなかった。この位ならバスに乗ること もないだろう。

 駅に戻って、両替や夜行の予約をした。ポルトガル語は全く分からないが、それでもなんとか なるものである。両替所で他国の紙幣を出せば、両替を希望していることは伝わるし、売店で水 を指せば、ちゃんと水も買えるのだ。

 駅を出て再び市街にでも行こうかと考えた。バスに乗って観光スポットでもいこうかと、地図 を広げてバス停に立っていると、見覚えのある男が近寄ってきた。

 国境の町でリスボンへと向かったトミタさんの知り合いだった。彼はポルトの街から、ここリ スボンに入ってきたという。彼も僕の事を覚えていたので、話はスピーディーに進んだ。彼は観 光案内所に行くためのバスを探していたが、そこは半日の優がある僕が案内することになった。

 先程と同じバスに乗って、僕らは市街に向かった。彼は大手印刷会社を退職して、来春から実 家の京都で公務員になるという。この夏ようやく公務員試験にパスしたという。やはりこの時期 は公務員が安定しているのだろうか。

 バスを降りて、なんとなく一緒に昼食をとることになった。何でもここの名物はイワシらしい。 日本人はいろいろな情報をもっているものだ。大いに助かる。街の食堂にはスペインと同じよう にメニューの写真が飾られていた。僕らはイワシと肉を一皿注文して半分ずつ分けることにした。 イワシも想像以上にでかく4匹もあった。頭からかぶりつく僕を見ながら、彼は頭と骨を不器用 に分けてから身を少し食べていた。

 「僕、魚食べるの苦手なんですけど、ポルトガルにきたらイワシを食えって友人に言われたも のですから。そんな言うほど美味しくないですね」

 彼は大して箸を付けていなかった。僕は腹も減っていたし、久し振りの魚料理に大変満足して いた。確かに大味だが、彼が嘆くほどまずくもないと思った。僕の皿は見る見るうちに綺麗にな って頭も尻尾も骨さえ消滅していった。

 ワインもうまかった。普通の赤ワインのほかに、やはりポートワインも注文した。彼はポート ワインの産地ポルトでしこたま飲んできたという。ポルトヘは行けない僕にとって、彼の話は羨 ましい限りだった。きあいよいよ赤のポートワインが運ばれてきた。神妙に飲んだ。甘い。舌に ざらつき感が残る味だ。これがポートワインか。うまいじゃないか。赤玉ポートワインとは全く 違う飲み物だぞ。

 赤を飲んだら白も飲みたくなってくる。勢いで白もぐいっと飲んでしまった。白よりも赤のほ うが美味しかった。白は甘さが残り、それがかえって後味を悪くしたような感じだった。それで もポルトガルのワインをポルトガルで飲む素晴らしさに僕は酔いしれたのだった。とにかく山下 姉妹と赤ワインー本空けて、ここでグラス3杯ものワインを空けてしまっていた。好きとはいえ、 昼間からよく飲んだものだ。

 彼と別れ、また名前も連絡先も聞かなかった事に気が付いた。しかし、なぜか僕は彼のその後 を知っている。それは山下姉妹とミラノで再会した時、姉妹も彼の事を知っていたからだ。彼が この後相当酔っ払ってしまい、その日は洗濯もできずに寝てしまったことを山下姉妹から聞いた。 姉妹は笑いながら話してくれた。

 やはりヨーロッパは広いようで狭いものだ。山下姉妹に聞けば、彼の連絡先が分かるかもしれ ない。それよりトミタさんが知っているか。

 名も知らぬ彼と別れ、港に向かった。僕も港の近くで生まれ育ったために、港を見ていると不 思議と心が落ち着いた。この海から世界中の大陸目指して、人々が航海していったのだ。

 港では釣りを楽しむオヤジを見ていた。釣果は乏しいようで、釣りよりもお喋りを楽しんでい るようだった。日が落ちかけてくるまで僕は港にいた。結局観光はしなかった。丘の上に古城が あるらしいが、今更あの坂を上るのも考えものだ。このまま海にいよう。観光をしない旅という のもいいものだ。

 ポルトガルとはいえ、港は寒かった。風もあり、ワインの効用も徐々に薄れてきた。そろそろ 駅に戻ってビールでも飲もう。結局この街では酒ばかり飲んでいた。

 夜行電車は空いていた。夜行といっても出発は夕方からだ。ここからしばらく電車に揺られる ことになる。電車の中は快適とはいかないまでも寒くはなかった。電車の揺れに身を預けている と知らない間に眠ってしまった。ワインの効用が復活したようだった。

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