12月6日(土曜日) ローマの半日&ナポリのピザは世界最高の巻

 朝の目覚めも下痢と共にやってきた。寝冷えしたのだろうか。どうも切れが悪く、コージとの 約束時間に少し遅れてしまった。情けない一日のスタートだった。

 僕がチェックアウトの手続きをすると、朝食もついていることが分かった。コージの料金設定 にはついていないらしいが、そこはイタリアという風土がある。大まかというか、おおらかだ。 コージも一緒に朝食を取る事で交渉が成立した。朝食はクロワッサンとカプチーノ。少なめの朝 食にも慣れていた。

 さて、いよいよコロナ美術館だ。この美術館のためにローマに泊まったのだ。この美術館は、 映画「ローマの休日」の舞台になったことで有名だった。オードリー扮するアン王女が、ローマ の休日を終え、宮殿での記者会見に望むラストシーンを知っているだろうか。まさにここがその 宮殿なのだ。路地裏にある地味な入り口には日本語を話す係員がいて、僕を少しがっかりさせたが、 そんな落胆も束の間、宮殿に足を踏み入れたその瞬間、僕は正しくアン王女になっていた。

 黄金色に輝く宮殿は、この世の英知を集めたような美を放っていた。ここが間違いなくイタリア 美術の最高傑作だと思った。天井にはフレスコ画が美しく描かれ、シャンデリアの冷たい輝きが 僕を魅了した。200枚にも及ぶ絵画が壁を彩り、力強い彫像のいくつもが窓の間を埋めつくし、 大理石のテーブルがさりげなく要所要所に置かれていた。

「Thank you so much.」アン王女は記者の賞賛にそう答えた記憶がある。 僕は何度もそのセリフを復唱した。光の使い方が絶妙だった。静寂もあった。僕はウォーキング シューズだったが、もしここをタキシード姿で革底の靴を履いて歩いたならば、その乾いた音は 大理石の床に谺した事だろう。耳を澄ませば、その音が聞こえてくる。僕はその乾いた音を 想像しただけで震えが止まらなくなっていた。ここにも今まで聞いたことのない音があった。 ここは、ローマの観光スポットとしてはマイナーだった。日本人も確かにいるが、絶対数が 少ない。女の子の二人組か新婚さんが僅かにいるくらいだった。人気のない空間は、僕に独占欲を もたらした。この瞬間だけは、この宮殿は僕が主だった。

 ところで、この素晴らしい空間で気に掛かることが一つだけあった。それはカメラだった。 こんなに素晴らしい芸術は是非とも写真に撮って友達に自慢したいところだ。しかしここは撮影が 一切禁止されていた。ルールには従わなければならないだろう。残念だ。ところが、ある新婚さんの 嫁の方が、ハンディーカムをショルダーバッグから覗かせて隠し撮りをしていた。服でうまく 隠しているつもりらしいが、しっかり撮影中の赤ランプがついていた。僕にはその光景は興ざめ だった。よほど注意しようかと思ったが、ブスだったのでやめにした。

 この光景はそんなチンケなビデオカメラでは表現できないだろう。この金色の空間は、体全身で 感じるからこそ、心が震えるのではないか。隠し撮りされた写真から何が伝わるのだろう。 そんなものに感動する輩がいるとしたら、僕が蹴りを入れて目を覚まさせてやる。今、僕とコージに 染み込んでくるこの震えは、ここに立っているからこそではないか。写真ならば、玄関で絵葉書も 売っているし、写真集もある。映画「ローマの休日」を見れば、それはモノクロームだが、 はっきりと映像として残っている。僕は大いに憤慨した。僕の空間に土足で入られたようで気分が 悪くなった。

 目の裏側にしか記憶できない風景があることを教えてやりたかった。

 心の芯でしか聞こえない音があることを教えてやりたかった。

 感動と憤慨が錯綜する宮殿に、どのくらい居ただろうか。モネの睡蓮と同じ様に、僕はそこに 立ち尽くしてしまっていた。幸い、コージも酔いしれて動こうとしない。やはりここにも世界一が あった。もう一度、正装でここを訪れよう。

 コロナを出るとコージとの別れの時間が近付いていた。僕はこれからナポリに向かいたい。 コージは明日の早朝ミラノに飛ぶという。一緒には行けなかった。しかし、駅まで僕を見送って くれるという。僕らはテルミニ駅でビールを飲んだ。ナポリ行きの電車は一時間に一本で、時間まで 少し間があったからだ。コージは移勒は全て飛行機で行うという。そういう旅の手配をしていた。 僕は全て電車だった。僕は電車でのエピソードを披露した。話すうちに彼にもヨーロッパの電車への 興味が湧いてきたようだ。しかし、明朝にはローマの空港に行かなくてはならない。コージは 一日早く出会っていればと、残念がっていた。

 僕は時刻表を取り出して、日帰りでナポリ往復が可能かどうか調べた。可能だった。しかも、 ローマに戻れば今夜の夜行でニースにも行けることが分かった。ユーレールパスの有効期限が 迫っており、今夜ニースに行って、明日の夜行でヴェネツィアに向かえば、有効にパスを 使い切ることができた。今夜のナポリ泊は中止だ。一旦ローマに戻って夜行に乗ってモナコで カジノだ。その線でいこう。

 僕が今日中にローマに戻ることと分かるとコージに笑みが戻ってきた。それならば一緒に行こう。 運賃も東京熱海間より安いだろう。コージも俄然やる気が出てきた。

 見送ってもらうつもりが、またまた道中を共にすることになった。これも旅の流れだ。素直に に流されよう。ところが、切符売り場は混雑していた。イタリアはいつもこうなのだ。窓口の側に 切符の自動販売機があった。日本のキャッシュディスペンサーのように、画面に手で触れると、 次の項目へと進むタイプだった。言葉は六カ国語が選べた。各国の旗が表示されている。僕は ユニオンジャックを選んだ。そう僕らの感覚でいえば英語はアメリカ語だが、ヨーロッパでは 英語は正しくイギリスの言葉なのだ。簡単な英語が僕をチケットへと導いた。目的地と出発地を 選び、時間を指定すれば、料金も分かった。あとは現金を入れるだけだ。これならば並ばずに 切符が買える。僕はコージを呼んで、一緒に機械を操作した。切符がちゃんと発行されてた。 いとも簡単だった。コージの喜び様は、それはもう大変で、たかが切符を買ったくらいでそんなに 感動されてもと思ったが、異国の街でローカル電車に乗れる喜びが、僕にも十分伝わってきて、 なんだか嬉しくなった。

 さあ出発だ。ナポリまでは約3時間かかる。今12時すぎなので、ナポリで3時間ぐらいは 楽しめる。7時すぎの電車で戻ってくれば、ニース行きの夜行にも間に合う。

 話が脱線して恐縮だが、今コージに電話して、来週の月曜日に横浜で飲むことになった。再会が 楽しみだ。彼も無事帰国したらしい。積もる話が、たくさんあるぞ。

 ナポリには3時すぎに到着した。すでに日が低く、早くしないと真っ暗になりそうだ。 ナポリ駅前は騒々しかった。タクシーの運転手の大声が、あちこちで聞こえてくる。これが 有名なナポリの雑踏なのだ。このうるささも、写真に残せないぞ。

 僕らは海を目指した。地図によると、駅から伸びる国道を突き当たれば、そこが王宮で、 その奥にサンタルチア港があるはずだった。しかし港は非常に遠かった。段々暗くなっていく 町並みは、寂しさを覚えさせ、しかも鳥かと思っていた空の塊はコウモリの大群だったりした。 冬の海は風も強く、寒かった。しかし、ナポリを見て死ねと言われるだけのことはある。夕暮れ時の ナポリの海は、うっすらと赤く染まり、コージの瞳を潤わせた。

 卵城では地元のテレビが撮影をしていた。卵城付近はビッグネームのホテル群があり、友達には そこのホテルに泊まったことにして自慢しようということにして記念撮影をした。僕らはただ海を 見ていただけだが、大いに満足していた。途中車に轢かれそうになったり、犬に手を噛まれそうに なったが、無事に夜景を楽しむ事ができた。しかし、ここはナポリ。やはり治安は宜しくない。 怖そうなおニイちゃんたちに囲まれて、路地裏でカツアゲされてもおもしろくない。油断は禁物だ。 夜の港は、少しヤンチャな若者の集まりやすい場所だ。危険だ。繁華街に急ごう。

 ナポリと言えば、ピザ。僕らは来た道を駅に戻った。途中サッカーに興じる少年たちを見掛けた。 夢中でポールを追い掛けている。夕暮れ時、ボールが見えなくなるまで遊んだ、遠い記憶が蘇って くる。僕は野球だったが、イタリアではもちろんサッカーなのだ。

 大通りにピッツェリアはなかった。僕らは朝のクロワッサンしか食べていなかったので、 腹が減っていた。しかし込み合うメインストリートに食堂はなく、路地裏は危険すぎて立ち寄れず、 結局駅に戻ってしまった。駅の横に市場があった。野菜やら魚を売っている。ここでならあるだろう と、歩くとようやく一件のピッツェリアを見付け出した。ピッツェリアというよりも、そこは ピザ食堂といった方が正確かもしれない。

 結論から言いたい。僕は今までの人生でいろいろなものを食べてきたが、はっきり断言しよう。 ここのピザは、世界で一番旨い食べ物だった。ピザで一番ではない、あらゆる食べ物の中で、一番 なのだ。たかだか400円のピザに、僕の心の芯が再び高らかに震えてきた。ナポリのピザ、 万歳。だ。

 ピザは2枚食べた。特に2枚目の熱々のマルゲリータは絶妙だった。薄いピザ生地にトマトと モッツァレラチーズがロの中で見事なまでに広がり、僕を幸せの極致に誘い込んだ。膨らんだミミの 部分を内側の具に付け込んで、手づかみに頬張るのだ。モッツァレラチーズが余りの熱さで フツフツと沸騰している。ビールとの相性も最高だ。今まで食べてきたピザとは、異次元のピザ だった。その生地の薄さといい、チーズの熱さといい、およそこのピザの前に出る料理など 存在し得なかった。こんなに旨いピザがなんで5000リラしかしないのだ。ずばり400円だ。 タイル張りの安っぽい食堂で、テーブルクロスは紙っぺらで、ナイフは取っ手がプラスチックで、 トイレがすぐ横にあるのに、この旨さは表現し切れない。世の中どこかがおかしい。

 コージを見た。彼もまた泣き叫ばんばかりに喜びを噛み締めている。僕らは大いに満足して、 店を出た。また新しい音が加わった。熱々のチーズの音だ。食器を重ねる音だ。タイルの床を椅子で 引き摺る音だ。

 帰りは予定より早くローマに戻った。つまり予定より早くコージとの別れがきた。彼と堅い 握手をして、彼は立ち去ってしまった。ひょんな事から一緒にローマとナポリを旅した。久し振りに 一人に戻るとやはり少し寂しかったりする。

 さて、次はどんな出会いがあるだろうかと、気持ちを切り替えて、僕は電車に乗った。朝になれば、 再びフランスだ。モナコだ。

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