12月8日(月曜日) ヴェネツィア 洗濯日和の巻

 朝、僕は夢をみていた。それはとてもHな夢だった。僕は4、5人の仲間が残る教室で 女性教師に補習を受けていた。何の授業だったかは記憶にない。僕らは一人ずつ先生の質問に 答えていった。その先生はAV女優の松坂紀実子にそっくりだった。そう、とても胸が大きく、 僕は大いに悩まされ授業どころではなかった。先生が僕に意地悪な質問をし、僕は一人赤面して 何も答えられないでいた。仲間は僕を笑い、先生も僕を笑った。そして先生はなぜか罰として僕を 机の上に座らせ、ズボンを下ろし始めた。皆が見ていますから勘弁してくださいと懇願したが、 先生はお構いなしのようだった。みるみるうちに下半身を裸にされ、先生は僕をロに含んでしまった。 これは無茶苦茶ラッキーだ。僕は先生のふくよかな胸に手をそえ、その膨らみを掌で受けていた。 仲間たちも初めはからかっていたが、先生の激しさに指をくわえ羨ましがっていた。僕はなぜか 優越感に浸りながら、先生の下着を一枚ずつ剥がしていた。先生は露になった胸で僕を挟みながら、 心地好い振動を加えてきた。先生、我慢できません。僕が叫ぶと先生は動きを止め、僕の唇に 吸い付いてきた。僕自身はぴくぴく動き始め、先生は僕の耳元で、そろそろ入れてみる、 と聞いてきた。僕は相変わらず机の上だったが、素直に頷いていた。すると先生は微笑みを浮かべ、 やおら覆い被さって、僕を握り締めた。先生の温もりが伝わって来た。さあいよいよ クライマックスだという時に、目が覚めた。夢はどうしてこういう中途半端な場面で 止めるのだろうか。いつもそうだった。

 窓の外を眺めると、そこは駅だった。もう着いたのだろうか。僕はここがヴェネツィアかどうかも 気になったが、パンツの中の方が大いに気掛かりだった。久し振りにやってしまったのだろうか。 あのピクつき感は、僕に高校時代の悩ましげな朝を思い出させていた。もしそうだとすると 何年振りだろうか。10年以上振りだろうか。そんな事は今は関係なかった。もし夢精だった場合、 何をすべきか。僕には盗難事件の後遺症から、着替えのパンツを持っていなかった。ただでさえ 2連発の夜行で汚れがちなパンツに、追い討ちを掛ける事態が発生しているかもしれない。 僕は女性教師のふくよかな胸を思い出しながら、おそるおそるパンツの中に右手を挿入した。

 セーフだった。気のせいか湿りがちなパンツには、粘りはなかった。映画「スタンド・バイ・ ミー」のゴーディーのパンツにはヒルが吸い付いていたが、僕のパンツには 体液はついていなかった。危なかった。そう言えば、最近は全くその手の夜に縁がなかった。

 ヨーロッパでは栄養が不足していた。朝は珈琲一杯に、良くてクロワッサンがつく程度。 昼間はある程度ちゃんとした食事を心掛けたが、一人での夕食はサラダとワインが多かった。 ただでさえ少なめの食事しかとっておらず、その上、一日何時間も歩き続けていた。僕は 疲労困憊だった。下々の世話はまったく必要なかったのだ。濃い毎日が続き、夜になると 疲れが眠りよりも早く僕を襲っていたのだ。

 なぜ今朝に限って男が目覚めてしまったのだろう。もう盗まれるものがなくなって、開き直りが そんな感情を思い出させたのだろうか。最後の夜行電車が安心感を与えたのだろうか。とにかく 出てなくて良かった。あとでなんとかしておこう。

 ところで、ここはヴェネツィア・メストレ駅だった。イタリア各地から到着する電車は 全てこの駅と中継しているらしい。僕の目指すヴェネツィアはここからもう一駅の サンタ・ルチア駅だった。水の都ヴェネツィアへはあと10分ほどで到着だ。先日の ヴェネツィア映画祭では、殿のHANA−BIが金獅子賞を獲得していた。北野武監督が グランプリを取っていたのだった。オールナイト・ニッポンで育った世代の人間には、ビートさんは まさに殿だった。その殿の作品を観よう。受賞からまだ日も経っていないから、この街でならまだ 上映しているはずだ。

 電車は終点のサンタ・ルチアに静かに入り、そして止まった。僕はゆっくりとホームを歩き、 駅の観光案内所に向かった。さあ、今日から1週間イタリア留学の下見ツアーの始まりだ。 時間は8時前だった。案内所はまだ開いていなかった。仕方なく僕はしばらく街を散歩することに した。地図なしでもなんとかなるだろうとタカを括っていたからだ。しかしなんとかならなかった。 ヴェネツィアは海に浮かぶ街だった。運河がアリの巣のように張り巡らされ、道は 曲がりくねっていた。僕が迷子になるのには時間は掛からなかった。僕は散歩を諦め、散々迷った末 ようやく駅に戻ることができた。この街は地図がなくては全く歩けそうにない。

 案内所はまだ開いていなかった。僕は駅の広場で時間を潰した。寒かった。朝の弱い陽射しは 僕を暖めてはくれなかった。日本人の団体ツアーが、水上バスに乗り込んで、何とも楽しそうだ。 各国のバックパッカーもかなり歩いているが、皆ちゃんとバッグを担いでいた。彼らのバッグの ほうが中身が充実していそうなのに、なぜ盗まれないのだろうか。僕は一人悲しく彼らのバッグを 見つめていた。

 ようやく開いた案内所で無料の地図を貰った。僕は係員にいろいろ質問した。ガイドブックを 持たない僕には女性係員が心強いパートナーに思えたりした。彼女によると、今夜はオペラの上演は ないという。小劇場での芝居はあるが、ローマでの芝居で眠ってしまった思い出がよぎり、芝居は 止めにしようと思った。映画館情報も仕入れた。彼女が親切に地図に映画館の場所をマークを してくれた。ホテルの情報も聞きたいところだったが、それについては隣のブースにいってくれとの ことだった。隣は何やら混雑していたので、僕はホテルは自力で探すことにして彼女に礼をいい、 街へと歩き出した。

 地図があれば迷子にならないだろうと再びタカを括っていたら、再び迷子になった。ヨーロッパの 街では、全ての通りに名前が付いているものだが、ヴェネツィアの街は余りに入り組んでいるために、 小路に入ると名前すらないようだった。大通りから一歩入ると道は非常に狭くなった。 日本の路地裏をもっと狭くした感じだ。ここで「隠れんぼ」などしようものなら、丸一日掛けても 終わらないことだろう。最初に負けた子供が夜まで鬼で終わりそうだ。隠れんぼよりも今夜の心配を しよう。今夜は夜行電車に乗れないのだ。なんとしてもこの街で宿を探す必要がある。

 僕はローマ広場の近くの運河縁のホテルのドアを叩いた。シングルは空いているというが、 予算はかなりオーバーしていた。さすが観光都市だけあってホテル代は高い。僕はここで ある決心をした。僕は荷物を盗まれ、顔に似合わず落ち込んでいるのだ。お湯も出ず、 トイレットペーパーさえないようなホテルに泊まって惨めな思いはしたくない。ここは水の都だ。 豪勢なホテルに泊まって、旅の疲れを癒そうではないか。あとで素敵な女性と知り合って今朝の モンモンを解消できるかもしれないし。愛はホテル選びから始めようだ。値段よりも快適さを 選ぶのだ。

 僕はこのホテルに決めた。このホテルが今まで泊まった宿の中で一番高い理由は、部屋に入ると すぐに理解できた。まず、床が絨毯張りだった。タイル張りの冷たい床に慣れていた僕には、 絨毯の床はとても新鮮だった。さらに、小さい冷蔵庫があった。いわゆるミニバーという奴だ。 壁には絵画が掛けられ、ドアには大きな鏡があった。なかなかいい部屋ではないか。僕の価格への 不満は解決されたようだ。快適な部屋に思えた。

 部屋が決まって、やりたいことがあった。洗濯ではない。洗濯をすると裸にならざるを得なくなり、 乾燥するまで部屋から出られない。洗濯の前に買い物をしたかった。何を買うか。文房具と 食料だった。今回の盗難で幸いカメラは無事だったが、フィルムは抹殺されていた。今までの 旅の思い出が、形に残っていないのだ。大学ノートに綴った日記も盗まれていた。毎晩寝る前の 30分、眠い目を擦りながら僕はせっせと日記を付けていたのだ。一日の行動と、食事の内容、 さらには家計簿まで付けていた。ノートにはワインのラベルも挟んでいた。今まで飲んだワインの ラベルを水に濡らして剥がし、味と香りと色具合をこまめに記録していたのだ。500円くらいの ワインのラベルも採ってあったし、ポイヤック村で味わった、レ・フォール・ド・ラトゥール 77年のラベルも大切に保管していたのだ。大体10枚くらいはあったと思う。今こうして 書き綴るだけで悔しくなってきた。畜生だ。

 その悔しさは切りがないので省略するとして、とにかく今回の旅を残す資料が欲しかった。 僕は日記の書き直しを決意した。今ならば旅の思い出を詳細に覚えているだろう。パリであった ヤマウチさんの弁を借りれば、写真では残せないものがあるはずだ。旅先で出会った音を、 自分なりの言葉にしてみたいと思った。そのためにはノートが必要だった。ボールペンは ジャンパーの内ポケットにあったので、あとはノートだけだ。たしかホテルの裏手にスーパーが あったはずだ。洗濯の前にそこに行こう。腹も減ったし、髭も剃りたくなっていた。

 髭といえば、僕は髭剃りを昨日まで持っていたが、ついぞ使うことはなかった。僕は今まで 髭を伸ばしたことがなかった。もともと薄いということもあるが、一応保険会杜のサラリーマンを していたので髭を伸ばすわけにはいかなかったのだ。僕は現在失業中だ。しかも今はイタリアにいる。 毎日違う人と出会い、別れているのだ。別に髭を生やしていても問題はなかった。そこで僕は どのくらい伸びるものかも興味があって、出発から今まで剃らずにいたのだ。ただ、鼻の下には 髭はなかった。ついつい暇潰しの一環で抜いてしまっていたからだ。どうも暇になると手を 唇当たりに持ってくる癖があるようで、一本抜いては、すぽっと抜ける感触に快感を覚え、 ついつい全部抜いてしまっていた。毛根から綺麗に抜けると取り立てて痛みもなく、この感覚は 抜いてみないとわからない喜びだった。だから鼻の下には髭はなく、顎から頬に掛けて長めの髭が あるだけだった。さすがに顎鬚を抜くには量も多すぎ、顎鬚は途中で切れると痛かった。

 そんな髭もこの街で剃ろうと思った。気分転換も必要だし、そろそろ綺麗な顔付きになっても いい頃だと思っていた。13日になれば、ミラノで山下姉妹とデートの約束もあり、今がいい機会だ。 もう夜行に揺られることもないのだから、お洒落の町イタリアを小綺麗に旅したくなったのだ。

 スーパーでは手頃な大きさの大学ノートを見付け出したが、髭剃りは5個しかなかった。5個も 要らなかったが、1個では売ってくれそうもなく、仕方なくそれを買い求めた。スーパーとは 言っても個人商店に毛が生えて抜けた程度の規模で、品数は余りなかった。僕は水1本と缶ビール 2本とビスケットを買った。これだけあれば、洗濯物が乾くまでは間がもつだろう。 スーパーの窓から外を眺めると、日本人の女の子が二人写真を撮っていた。可愛らしかったが、 山下姉妹のような長旅風ではなく、一週間の買い物ツアーのような服装だった。どうも同じ 日本人でも、彼女たちのような旅行者は苦手だった。自分が汚らしくなっている引け目もあったが、 買い物目的の観光客とは水が合わない雰囲気があった。例えて言うならば、アジと金魚は同じ魚でも、 一緒の水槽には住めないのだ。もちろん彼女たちが金魚で、僕がアジだが。いや、こんな書き方を すると山下姉妹やトミタさんの名誉に関わるかもしれない。アジにはアジの美しさがあると言いたい。 アジは寿司屋で並べば、光ものとして僕らの舌を大いに楽しませてくれるし、大海原を悠々自適に 泳ぐ姿は、洗練された美があるのだ。僕にとっては、きらびやかな金魚よりもアジのほうが 美しいのだ。フォローになっていただろうか。

 とにかく彼女たちとは目が合ったが、何も起こらなかった。残念でもあり、当然の事のようにも 思えた。とにかく今はナンパよりも洗濯を優先しよう。綺麗な体になってから仕切り直しだ。 僕は宿へと小走りに戻ったのだった。

 ホテルに戻ると、まずテレビを点けた。音のない部屋というのも寂しいものだ。 タイガーマスクのイタリア語版をやっていた。懐かしくもあり、日本文化が海外でも 評価されていると思うと嬉しくもあった。さあ、風呂の準備だ。準備といっても脱ぐだけだが。 ここのホテルは高いだけあってタオルも立派な物が用意されている。大中小2枚ずつが網棚に 綺麗に折り畳まれていた。僕は備え付けのシャンプーを頭に付けて、二日振りのシャワーを堪能した。 石鹸の泡で額面を覆い、剃刀の刃をあてた。

 すべすべになった頬を擦り、綺麗になった体を鏡に写したりした。かなり痩せてきている。 減量には独り旅が最適かもしれない。一日中歩くし、独りでは食事も余り取らないからだ。 ヨーロッパスタイルの朝食にもなれ、胃が小さくなっているのかもしれない。とにかくダイエットは いいことだ。意味もなくボディビルダーの真似などして、筋肉はついていない体に、独り 笑ったりした。シャワーの後は洗濯だ。パンツも靴下もTシャツもこれしかないのだ。毎日肌に 触れるものは清潔にしておこう。僕はいつもより一際熱心に、手洗いをした。濯ぎの最後は少し 熱めのお湯にすれば乾くのも早いだろう。

 僕は裸で一連の洗濯を行ったが、窓が少し開いていた。最後の最後でそれに気が付いた。向かいの 部屋の人に見られたかとも思ったが、せっかくの観光地で昼時にホテルにいることもないだろう。 まあ見られても減るものではないか。僕はタオルを巻いて、部屋で寛ぐことにした。着る服が なければ観光もできない。ここはテレビでも見ながらビールでも飲むのが一番だ。すでに タイガーマスクは終わっていて、テレフォンショッピングで筋肉マシーンなどを売っていた。この テレフォンショッピングも金額と電話番号を連呼するので、数字の発音の勉強になる。

 僕は、ビールを飲みながら大学ノートに今までの記憶を記録に残すことにした。写真も日記も なくなって、落ち込んでばかりもいられない。ブドウ畑で震えたあの思いを、文字に残すべきだと 確信していた。写真では残せないはずの音を信じながら。

 旅の思い出も、意外に詳細までに覚えているものだ。出発の朝の心境やら、ミラノのBARで 飲んだカプチーノの温度から古手川祐子氏のマネージャーの態度まで、本当に事細かく覚えていた。 些細な会話をこんなにも覚えているとは、この旅の衝撃が今更ながら思い出された。日記を 書き直しながら、いつしか僕はこの旅を誰かに伝えたくなっていた。

 しかし、余りにも詳細に覚えてるもので、なかなか先に進まなかった。2時間以上集中して 書いてはみたものの、まだミラノのサッカー場辺りをうろうろしていた。まあ、時間はたっぶりと ある。毎日公園でビールでも飲みながら書くことにしよう。

 洗濯物はまだ乾いていなかった。暇に任せて綺麗になった自分自身をいじっていると、 膨張してきた。今朝の夢精未遂が思い出された。ここはひとつ、空想雲でも思い浮かべて久し振りの 自己満足にでもひたろう。僕は夢のつづきを想像して、右手を握りしめた。しかしである。 膨張率が足らなかった。幾ら過去のデータを引用しても、いわゆる役立たず状態になってしまう。 恐らく相当体力が落ちているのだろう。栄養不足が下半身にきている。これはイカン。僕はひとまず 自己満足計画を断念して、眠ることにした。空想が時間差でやってきた場合に備え、腰回りに タオルを巻いて、ベッドが汚れるのを防いだりした。

 目が覚めると、タオルはベッドの下に落ちていたが、シーツは汚れていなかった。僕はほっと 安心した。さて、そろそろ水の都の散策でも始めるか。僕は洗濯物を取り込んだ。まだ靴下が 乾いていなかった。このまま濡れたまま履くのには少しためらいがあった。部屋を見回すと照明が 目に留まった。先が尖った電球が3つ、シャンデリアのようにこの部屋を照らしている。僕の頭脳は 素晴らしく単純にできているようで、靴下をその電球に被せるように置いた。電球はかなりの熱を 持っており、この分なら早く乾きそうだ。しばらくテレビでも見て過ごそう。

 しばらくして、電球の靴下が乾いた。。しかし、乾き過ぎていた。余りの熱に茶色く 焦げていたのだ。情けない。危うく燃え出すところだった。火事になったら一大事だ。 海外旅行傷害保険でもホテル一件分の保証はしてくれないだろう。今後は電球で乾かすのは止めよう。 靴下もこの一足しかないのだから、ここで燃やすわけには、いかないのだ。

 ヴェネツィアの街は複雑で、油断するとすぐに迷子になった。海の中に街が作られたかのように、 運河が縦に横に張り巡らされ、幾つもの橋が架かり、船が交通の手段だった。僕は駅を背に右回りで 街を歩いた。どうもこちら側は、住宅街らしく観光客は余り見当たらなかった。僕はゴンドラと 呼ばれる小船に乗りたかった。ヴェネツィア見物は、このゴンドラがお洒落だった。この街では 船が唯一の交通手段だった。建物は運河から直接建てられていて、正面玄関は運河側にあるからだ。 陸地はくねくねと折れ曲がっていて、非常に歩きにくい。その点ゴンドラならば、街の隅々まで たやすく行けそうだった。しかし、こんな物に一人で乗ったところで、楽しいだろうか。新婚旅行の カップルが幸せそうに乗っている横で、僕が感動している光景は想像できない。一人で食事は とれるようになっても、お洒落なゴンドラには乗れないのだ。料金もかなり高いらしく、僕には 縁のないように思われた。誰か日本人でもナンパすればよさそうだが、汚れアジ系の僕が、 着飾った金魚系の日本人女性二人組とは、水も合いそうになかった。日本人の団体客に紛れて、 大きめのゴンドラに乗ってはどうだろうか。何人もいるのだから一人ぐらい増えても、 気が付かないだろうと思ったが、きちんと添乗員が点呼している様子は僕に失望を与えた。

 ゴンドラは諦めよう。僕は地図を持ちながら歩いたが、途中からどこを歩いているのか 分からなくなり、迷子のまま散策していた。迷子になっても慌てる事はない。時間はたっぷりとある。 歩いていれば、いつかホテルか駅に戻ることもできるだろう。気楽な独り旅はこれだから、いい。 待ち合わせ場所もなければ、僕を待つ人もいないのだ。

 腹が減ったのでお洒落な食堂で赤ワインとピザとサラダを堪能した。一人での食事も 板に付いてきている。満腹になって僕は映画館を探した。HANA−BIを是非観たかった。 日本での公開は98年の春になるという。他の街では上映していなかった。ミラノもパリも ミュンヘンでもポスターは貼ってあったが、きまって別の映画を上映していた。しかし、映画館は 迷子の僕には、見付かるはずもなかった。ハナビ、ハナビと独り呟きながら僕は歩いた。橋を 幾つか越えて、知らず知らずの内に、ジウデッカ運河の岸に辿り着いた。この岸から対岸は かなりの距離がありそうだ。向こう岸は海に浮かぶ別の島のように思えた。この岸までくると 自分の現在地も分かった。アッカデミーア橋を目指すには、大きめの運河を越えて左に歩けば よさそうだ。アッカデミーア橋はすぐに分かった。この大運河に架かる大きな橋のすぐ横に 映画館があるはずだった。

 ここだ。僕がある建物の奥に入っていくと、チケット売り場があった。僕は少し得意になった イタリア語で映画の上演時間を聞いた。イタリア語は通じたが、彼女の回答は変だった。 上演時間などは無いという。いつでも入っていつでも出られると言っている。僕は予想外の答えに、 たじろいでいた。仕方なく僕は初歩的な質問を受付けの女性に尋ねた。
「ここは映画館ですか」違った。美術館だった。映画館は隣の建物だという。僕は赤面を隠し切れず、 照れ笑いを浮かべつつ外に出た。妙な恥ずかしさがあった。

 少しの動揺と共に隣に行くと、そこは地味な映画館だった。日本のような派手さがなく、ビルを 遠慮がちに借りて営業しているようだった。近日上映予定の映画のポスターが、壁に貼られている。 知らなければ素通りしそうな位、普通の建物だった。

 今日の映画は、シルベスター・スタローンとロバート・デ・ニーロのCOPLANDだった。 僕はHANA−BIについて質問をした。係員の説明によると、こことは別のオリンピア映画館で 上映するという。ただ、映画は2日ずつ変更されて、HANA−BIの上映は、12月13、 14日だけだった。しかもイタリア語の吹き替え版という。何ということか。今日が8日だから、 あと5日も先だ。しかも13日といえば、ミラノで山下姉妹とデートの約束だ。マドリードで トミタさんとの約束をすっぽかして僕はかなり自己嫌悪に陥っていたので13日の約束は 守らなければならない。14日なら帰国する日だ。結局この街では北野監督作品は 観られないようだった。僕はがっかりしたが、駄目なものに幾ら拘っていても仕方がない。ここは、 COPLANDを楽しもう。

 映画はハリウッド特有の勢いと、迫力があったが、スタローンのイタリア語には閉口した。 デ・ニーロのイタリア語なら何となく有り得そうだが、スタローンにはイタリア語の吹き替えは 似合わなかった。急展開する場面と、捲し立てるイタリア語に、僕はほとんど内容を理解できずに いた。館内を見回すとやはり日本人は僕だけのようだ。昼間あれだけ居た観光客はどこへ いってしまったのだろうか。不思議だった。

 映画館を出ると真っ暗だった。風も強く、寒かった。ここからホテルまで歩くのは抵抗があった。 僕はアッカデミーア橋にバス停があるのを発見した。地図で確認すると、ここから駅行きのバスが 出ている。バスといっても車ではなく大型の船だが。よし、これに乗って帰ろう。さて、 どちら行きのバスに乗れば駅に着くのだろう。僕は係員に近寄った。彼によると今止まっている バスは逆方向で反対側のバスに乗ればいいらしいことが分かった。僕は礼を言い、大きな橋を 渡って反対側のバス停に向かった。しかし運河の向こう岸にはバス停はなかった。どうやらここの バスは他の街のバス停と違い、同じ岸に両方向のバスが止まるらしい。係員が言っていた反対側の 意味は、隣のことだったのだ。バスは、10分おきに出ていて、地元の人達で混雑していた。 室内にも椅子があったが、僕はあえて屋根なしの座席に腰を下ろした。風が強く非常に寒いが、 僕はこの大型船をゴンドラに見立てて、ヴェネツィアの運河を楽しむことにしたのだ。やはり この街は陸地から見るよりも、船から眺めたほうが格好いい。夜の海に浮かぶ街は、美しい照明に 彩られている。水面を飛ぶカモメも船のライトに照らされて、その白さが浮き上がっていた。 30分近く乗っていただろうか。船は見覚えのある駅に到着した。サンタルチア駅だ。船を 降りた僕はかなり大きいゴンドラの遊覧に非常に満足したのだった。

 ホテルに戻ると、再びビールを飲んだ。ワインを飲みたいところだったが、ソムリエナイフも アーミーナイフもなくしていたので、空けようがなかった。安っぽいオープナーも見掛けたが、 持ち運びに不便なので、しばらくはワインは店で飲むことにしよう。テレビを点けると、 映画BLACK RAINを放送していた。リドリー・スコット監督、高倉健、マイケル・ ダグラス主演の大阪を舞台にした名作だ。松田優作の遺作としても有名だ。僕はこの映画を 20回近く観ていた。最も好きな映画の一つだった。特に若山富三郎がマイケル・ダグラスに ブラックレインの意味を説くシーンは印象深い。帰国後すぐ、僕は広島の平和記念資料館で本物の 黒い雨を見た。白壁に残る黒い雨の跡は、その意味を一層僕に問い質してくる。

 僕は裸でビールを飲みながらこの名作を観たが、何かが変だった。イタリアでは外国映画は全て イタリア語に吹き替えられている。当然マイケル・ダグラスもアンディー・ガルシアもイタリア語を 喋っていた。ところが、ガッツ石松は日本語なのだ。どうやら英語は翻訳されていても日本語は そのまま放送しているようだ。これで地元の人達はこの映画を理解できるのだろうか。 日本語スタッフがいなかったのだろうか。しかし僕にはこの片手落ちの翻訳は好都合だった。 この映画は内容も完璧に覚えていて、イタリア語の勉強に最適だった。台詞の言い回しを イタリア語で聞いて、復唱した。この方式で何度も言葉を聞けば、イタリア語の習得に役立ちそうだ。

 ビールも空になると眠たくなってきた。映画ももう少しで終わる。僕は枕元のスイッチを消して、 静かな夜に身を任せることにした。まもなく睡魔が僕を襲い、僕の記憶が遠ざかっていった。

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