12月10日(水曜日) フィレンツェの夜 ミスター・ビーンよ、ありがとうの巻

 僕は昨夜シャワーを浴びなかった。共同シャワー室が、僕の部屋から離れていたからだ。下らない 理由だが、シャワーに入ったら洗濯もしたくなるだろう。ところが洗濯をすると代えのパンツが ないものだから裸で部屋まで戻ることになりかねない。しかも濡れた足で汚れた靴を履くのも 気が引けた。挨っぽい靴に直に足を入れると、せっかく洗った足に汚れも付く。効率が悪い。 そんな事をベッドで考えているうちに、洗濯もシャワーも面倒になり、とうとう両方とも やらずじまいだった。

 朝になり、トイレに用があった。トイレとシャワーは同じところにある。僕がトイレまで歩くと、 誰かがシャワーを使っていて、中に入ることができなかった。しばらく待つ必要があるが、 そんな時に限って便意は猛威を振るうもので、僕はまだかまだかと痺れを切らして待つことになった。 どのくらい待っただろうか。ようやくシャワーの音が消え、僕は走り込んだ。勢い良く扉を開けて 入り込んだまさにその時、僕は呼吸困難に陥った。室内に異臭が立ち込めていたのだ。 異臭といってもサリンとか、VXガスという毒ガスではなく、ごく普通の体臭の残り香だった。 普通に吸っていれば、咳き込むほどではない。しかしその時は、便意の勢いに押され ドアが開いた喜びのあまり、無防備に呼吸してしまっていた。臭かった。肉食の影響だろうか、 この体臭は日本人にはない臭さだ。

 普通、街では匂いは感じない。日常生活ではそんなに接近することもないわけだから、特に体臭は 意識していなかった。満員バスの中で少し匂いがあるなと思う程度だった。それが、この シャワー室の臭さだ。おそらくシャワーを浴びた直後で湿度が高く、熱気が逃げなかったために 匂いが増幅されたのだろう。人間臭さの充満する部屋には長時間いられない。僕は用事を済ませて 逃げ出した。結局シャワーには入らずじまいだが、一日くらい入らなくても問題はないだろう。

 香水は体臭を消すために発達したのだ。体臭は昔からヨーロッパの人々の悩みの種だったのだ。 その永遠のテーマが香水という形で解決されたのだ。

 朝からの体臭攻撃にはまいった。僕はゲンナリしてホテルを後にした。ボローニャからは 約2時間でフィレンツェに着いた。この街は2度目の訪問だった。以前来た時は真夏で ちょうどスイカ祭りをやっていた。その時はアメリカ人のジョンに相部屋を誘われ、一緒に 寝たものだった。ジョンがホモだった場合を考えジーパンを履いたまま寝ていた。なんだか懐かしい。 今回は一人で泊まることにしよう。

 フィレンツェには午前中に着いた。まずはホテル探しからスタートだ。駅の案内所で貰った 地図を頼りに、市内を歩き回った。至る所に安宿はあるようだ。僕はペンショーネの看板に誘われて、 二つ星のホテルのドアを叩いた。こちらでは、ペンションの受付は大抵4階だか5階だかの 変なところにある。僕は3人乗りのエレベーターを操作して、受付に向かった。カウンターで 女主人が犬の世話をしていた。部屋は空いていた。しかしシングルベッドの設定はここでもなく、 仕方なくツインの部屋に泊まることにした。そんなに料金も高くなかったので、シングルに 拘ることもなかった。部屋も決まって、街の散策に乗り出そう。この街には有名な ウッフィーツィ美術館がある。ここで僕は悩んだ。荷物をどうするかだ。荷物といっても ノート一冊しかない。日記はまだ1週間分しか書かれていない。公園で続きを書くのもよし、 手ぶらで美術館巡りをするのもよしだ。大学ノートはポケットに入らない。邪魔といえば 確かに邪魔だった。せっかくフィレンツェに来ているのに過去の思い出話に明け暮れても勿体ない。 僕はこの街を満喫することにして、ノートは部屋の机に置いて外出した。僕の選択が 間違えていたことは後ほど判明することになる。

 僕はウッフィーツィ美術館を目指した。この美術館には何か有名な作品があったはずだが、 ガイドブックを持たない僕には、確かな記憶はなかった。美術館は石造りの建物の5階部分だけを 使っていた。コの字型の美術館だった。幾つかの絵を通り過ぎ、僕の前に、「ビーナスの誕生」 が現れた。海に浮かぶホタテ貝の上で、裸のビーナスが首を傾げている。ボッティチェッリの名作だ。 教科書でもお馴染みの初期ルネッサンスの代表作だ。僕はこの絵の前で、妙な事を考えていた。 この絵の隣にはケンタウルスの絵がある。もし教科書業者がこの絵とビーナスの絵を間違えて しまっていたら、観光客はケンタウルスの絵の前に列を作り、ビーナスの誕生は素通りして しまうのだろうか。絵に熱烈な関心がなければ、教科書やガイドブックの薀蓄がその絵の評価に 絶大な影響を及ぼすのだろう。印刷のミスで世紀の名作が誤解される事はないのだろうか。自分でも 下らない疑問だと思った。そんな事があるわけはない。

 次の部屋に行くと、ダ・ヴィンチの「受胎告知」があった。ここにあったのか。キリストの誕生を 告知している指が意図的に長く描かれたこの絵も、僕の好きな絵の一つだった。この絵は、 作者はダ・ヴィンチではないという説もあるが、遠近法を駆使した作品は僕の目を引き付けて 止まなかった。何と言っても技術が素晴らしい。聖書の一枚一枚が透き通っていて、その透明感に 圧倒されていた。僕はいつもの癖でこの絵の前に長時間立っていた。幾ら立っていても飽きることが なかった。日本人もたくさんいたが、皆ガイドブックと照らし合わせて、絵の確認をすると、 そそくさと出ていってしまった。名作の確認がここでも行われていたのだ。

 地元高校生の集団がやってきた。美術の課外授業だろうか。引率の先生の説明を熱心に聞く者も いれば、友達との会話を楽しむ生徒もいた。静かな部屋に、大勢の高校生はうるさかった。 僕は退散することにした。昼食をとり、市内をくまなく回って見た。とにかくこの街では歩いた。 ドーモからブティックまで、歩いて見て回った。街には何か所か映画館があった。ミスター・ビーンを 上映している。こちらでは映画は夕方6時ごろからしか開演しないので、それまでが暇だった。 僕は開演時間まで、再び歩き出すことにした。一件のBARに立ち寄ると、イタリアのワインを 売っていた。僕は棚からブルネッロ・ディ・モンタルチーノを取り出して、店の主人に差し出した。 主人の反応は、僕に微笑みを与えた。「小僧、このワインは旨いんだよ。良く知っているな」 という表情だった。

 僕はワインを買い、150円くらいでワインオープナーも譲ってもらった。とりあえず、 これから宿に戻って、ワインでも飲んで映画の開場時間まで待つことにしよう。

 部屋に戻ると荷物がなくなっていた。荷物といってもノート一冊だが、それは僕にはこの旅の 唯一の宝だったのだ。僕の動揺はピークに達することになった。夜行電車で旅の思い出を盗まれ、 記憶を辿って書き直した日記までもがなくなってしまったのだ。僕は腰から砕けてしまった。 すぐに店主に苦情を申し入れるが、取り付く島がない。僕の部屋には誰も入室していないの 一点張りだった。そんなことはない。現実に僕のノートは消失しているのだ。しかも チェックインした時よりも洗面台が気持ち綺麗になっているような気がする。僕がチェックイン したのは正午だった。おそらくベッドメイキングを忘れていたメイドが、部屋にノートが 置き忘れているのに気が付いて掃除をしてしまったのだろう。きっと僕が正午に泊まったことを 知らずに、これから泊まる部屋だと勘違いしたのだろう。

 僕は動揺し、落胆した。日本に帰りたくなった。イタリアは僕を身ぐるみ剥がすつもりだろうか。 よりによって最も荷物を持たない旅行者を狙うとは、何とも腹立たしい。僕の怒りは店主には通じず、 僕は部屋に戻って暴れることになった。ベッドをひっくり返し、毛布を投げ散らかした。 暴れながらも僕は冷静さも持っていたようだ。二つあるベッドのうちひっくり返したのはドア側の 一つだけで、今夜寝るためのベッドはちゃんと綺麗なままにしていたからだ。僕はワインを床に 叩き付けようかと思った。しかしせっかくの銘醸ワインをタイルに飲ませるわけにはいかない。 このワインは日本で1万円以上するのだ。僕は冷静になるよう努め、ワインをテーブルに戻した。

 ワインを置いても僕の怒りはなかなかおさまらなかった。宿の変更も考えたが、ベッドの みだれ様を見ると、変更にも手間が掛かりそうだ。もうワインしか荷物はないのだから、今更 料金を取り返して別の宿を捜すのも面倒だ。今夜のところは勘弁してやろう。

 部屋にいても怒りが募るばかりなので、外に出た。ミスター・ビーンが僕を救ってくれそうな気が したからだ。映画の上映時間まで少しあったので、自棄酒を決め込んだ。映画館の待合室で 生ビールをがぶ飲みした。他の人々は優雅に時を待っている中で、僕は異様な存在だったかも しれない。一人で飲み続ける姿は、今思うと少し変だ。

 ミスター・ビーンは最高だった。何杯のビールよりも彼の演技が僕を救ってくれた。お陰で僕は 同じ映画を3度も観てしまった。90分モノだったので、ついつい観てしまっていた。この映画は、 イギリスのテレビドラマを映画化した作品で、日本ではNHKが深夜に時々放送していた、 サイレント・コメディーだ。ローワン・アトキンソン演じるミスター・ビーンは体は大人でも 精神年齢は10才の設定だ。人の揚げ足を取ったり、自慢したり、子供の意地悪をそのまま 大人社会に持ち込んでしまうのだ。僕が生活の中でやりたいいたずらも、彼なら平気でやってのけて しまう。そんな共感というか憧れがこの映画の最大の魅力だ。日本でも98年春に劇場公開される らしい。僕はこのイギリス映画をイタリアでイタリア語の吹替版で観た。映画もおもしろかったが、 イタリア人の笑いの反応も興味をそそられた。たとえば、ミスター・ビーンが朝珈琲を飲む件だ。 寝坊したビーンは慌ててインスタント珈琲を入れるが、途中で珈琲カップを割ってしまう。 スプーンで掬った粉の行き場がなくなった。困った彼はスプーンを口に持ってきて、インスタント 珈琲を口に含む。それから砂糖を掬ってミルクと一緒に飲む。さらにお湯も飲み、うがいでそれらを 掻き回せて飲み込むというギャグだった。古典的なギャグだが、その動作の妙に僕は腹を抱えて 大笑いした。しかしイタリア人の反応は全くなかった。考えて見れば街中にBARがあって旨い コーヒーをいつでも飲めるのだ。インスタント珈琲など飲まないのだろう。文化の違いで 笑うポイントもずれてくるのだ。

 映画はイタリア語だが、基本的にサイレントコメディーなので、言葉の壁は余りなかった。 チャップリンの現代版といったところだ。僕はこの映画で、横隔膜が痙攣するほどの笑いに襲われた。 笑いが僕の怒りを忘れさせた。ハッピーエンドで終わるストーリーも、僕の心を穏やかにした。 ミスター・ビーンさまさまだ。

 映画館を出ると、夜中だった。店も大方閉店しており、地元の若い衆が、うろうろしているだけで、 観光客はだれも居なかった。こういう深夜の散歩は危険だ。僕は大通りだけを歩いて部屋に戻った。 部屋は散らかし放題だったが、僕は綺麗なままの窓側のベッドに腰掛けた。そういえば、昼間は僕は 荒れたのだ。しかし今はワインがある。ミスター・ビーンによって静められた心に、 ブルネッロ・ディ・モンタルチーノはゆっくりと染み込んでいったのだった。

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