12月12日(金曜日) エグゾーストノートとパルマハムの巻

 フェラーリのテストコースの回りを歩く。小雨はやんでいたが、肌寒い晩秋の気配が漂っていた。 今日はこれからパルマでパルマハムを食べてからミラノに宿を取ることにしよう。僕はバスの時刻を 確かめるが、フェラーリ本社前のバス停にはまだ1時間近くバスは来ないようだ。国道沿いに テストコースはあった。テストコースでもみて時間を潰そうと思っていると、遠くからあの エグゾーストノートが聞こえて来た。僕はコースと国道を分ける林に入っていった。僕は走る フォーミュラ1を見たのはこれが初めてだった。この音は一体なんだろうか。腹の筋肉が震えている。 耳ではなく腹で聞く音だった。テレビのF1中継ではこの音は伝わってこない。広大な土地に たった一台のF1からの排気音が、この街を震わせていた。あたかも地上を走るジェット機のような 心地好い轟音だった。僕が30分かけて歩いた距離をものの何秒かで走り抜けてしまう。僕はいつしか 木に攀じ登ってテストコース全体を眺めていた。国道に地元の人達も集まってきている。そう、 この音は人を引き寄せるのだ。目を瞑れば、この音とその快楽を求めて世界中から資金と人材が 押し寄せる様が想像される。たった一台でこの音だ。鈴鹿の日本グランプリでは20台以上がその 速さを競うのだ。さぞかし壮大な音が、腹にしみわたるのだろう。そしてこの凄い音がモナコの 街を走るのだ。一般道でエグゾーストノートが幾つも重なる光景は、まさに圧巻だろう。これは 鈴鹿かモナコに行くしかあるまい。このとんでもない音は現場に立つものにしか共有できないのだ。 お茶の間で鼻くそほじりながらテレビを見ていては、この喜びの音は聞こえない。僕にまた一つ 今まで聞いたことがない音が加わった。

 F1はテストコースを5周程まわって、ピットに戻っていった。コース中央にはジェット機も 止まっていて、膨大な資金力に圧倒された。とても個人の力では作り出せないプロジェクトだと 実感した。フェラーリの技術と親会社のフィアットの資金力がなければ、到底あの音は 作り出せないのだ。

 僕は興奮のるつぼに嵌まったまま、バスを待つこととなった。ここは、フェラーリのお膝元だが、 何千万円もする車は一般市民には到底買える代物ではない。しかし、地元の人々にもフェラーリは 自慢のようで、多くの一般大衆車のボンネットには跳ね馬のフェラーリのエンブレムシールが 貼られている。いつかはフェラーリ。気持ちはフェラーリという感情だろう。僕にもその気持ちは 分かる。それが証拠に僕の愛車日産マーチにも彼らと同じエンブレムを貼ってしまった。

 僕はバスに乗ってモデナに戻った。バスの乗換え場所に、昨日世話になった運転手が偶然 立っていた。僕はがっちりと握手し、礼を告げた。今日本で彼と抱き合う写真を見ると、お互い いい表情をしている。やはり地元の人達との交流というのは、旅の醍醐味だ。

 乗換え場所で、フェラーリを目指す日本人と知り合った。彼はインターネットで情報を集め、 この街にやってきたという。僕とは気合いの入れようが違うらしい。1週間の家族旅行でローマに きているらしく、この日は別行動でこの街に一人でやってきたという。僕は、彼に街の様子やバスの 乗り方を伝えた。彼は僕の旅の話を熱心に聞いてくれた。僕は彼からパルマの情報を聞いた。パルマの 街の様子が掴めたので非常に助かった。わずか1時間程一緒にビールを飲んだだけの仲だが、また 日本で会うこともあるだろう。

 モデナからパルマは電車ですぐだった。パルマといえばパルメザン・レッジャーノだ。丸く樽の ようなあのチーズだ。この街の目的はパルマハムを食べることだった。僕は手頃な食堂で、それを 注文した。旨かった。旨かったが、小田原の友人宅で食べたパルメザンチーズを食べさせた豚の 生ハムのほうが各段に上だとも思った。確かあのハムは100グラム1500円はするという。 値段の差があり過ぎるのだから、致し方ないか。名物に旨いものなしとはいうが、それでも現地で 食べる郷土料理は独特の思い入れもあって旨いものだ。パルマでパルマハムを食べ終えると、特に やることもなくなった。そろそろミラノに行くか。明日は山下姉妹と10時に中央駅の約束だ。 ミラノに戻って、お洒落な服でも買って、彼女らを驚かせてやろうか。

 しかしパルマにも服屋はたくさんあった。時間もちょうどシエスタが終わって店も営業を 開始していた。僕はその中からベネトンを選び、ここで買い物をすることにした。イタリアでは、 自由に品物を手にしてはいけないらしく、先に店員に声を掛ける必要があった。僕は、上半身に 着る物を選んだ。Vネックのセーターとタートルネックのセーター、トレーナー、ポロシャツ、 カーデガンの5種類だった。どうせなら纏め買いだ。少し買い過ぎた。しかし実質この旅も明日で 終わりだ。ホテルに連泊すれば、荷物を持ち歩くこともない。僕はベネトンカラーの派手な紙袋を 持って電車に乗り込んだ。久し振りの荷物だった。電車内では、盗難に注意しながら派手な紙袋を 肌身離さなかった。

 ミラノのホテルは、最初に泊まったペンションにした。駅からも近く、事情も知っていたからだ。 僕は、荷物を置いてミラノの繁華街に繰り出した。コートも買いたかった。アルマーニかカルバン・ クラインのショップを探したが、見付からなかった。

 ドーモの横のデパートは夜9時まで営業していたが、余りいいものはなかったので、コートは 明日の楽しみにとっておくことにした。僕はワインを一本買って、部屋に戻った。 M&Mチョコレートをつまみに、ゆっくりとワインを楽しんで、眠りに就いたのだった。

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