ドメーヌ・ドニ・モルテ 2 
Domaine : Domaine Denis MORTET
ドメーヌ : ドメーヌ・ドニ・モルテ
本拠地 : ジュブレ・シャンベルタン村
看板ワイン : 特級シャンベルタンなど
新当主 : Arnaud MORTET アルノー・モルテ
備  考 : 突然やってきた世代交代
変なカットですみません(笑)

はじめに
 今日のブルゴーニュの赤ワインにおいて、DRCと並びトップ評価を受けるドメーヌ・ドニ・モルテ当主のドニ・モルテが、2006年1月30日に自社のカーブ前の駐車場にて自殺されたことは、いまだ記憶に新しく、それはブルゴーニュに強烈な衝撃を走らせていた。あれから110日ほどたった5月18日の午前、私はドメーヌの門をたたき、故人が一代で築き上げたドメーヌ・ドニ・モルテの現状について、息子であり、新当主に就任したアルノー・モルテにインタビューを敢行した。

 まず驚くべきことは、ドニ・モルテの自殺以降、このドメーヌを訪問したジャーナリストは皆無だということだ。事情が事情だけに、世界中のワインジャーナリストたちがこのドメーヌに遠慮していることは想像に難くないが、ワインの点数評価と広告記事が紙面の大半を占めるワイン雑誌を思い出すにつれ、ワインにはそもそもジャーナリズムというものは馴染まないものかと思いながら、私はアルノー・モルテに導かれるままに、完成して間もないカーブへと足を進めたのだった。


新生ドメーヌ・ドニ・モルテ 
アルノー・モルテとは一体誰なのか。


 ここで新当主のアルノー・モルテの経歴を紹介しよう。ドニ・モルテの長男で、若干24歳。ボーヌにあるメゾン・ファミリアル・ド・グランシャン(maison familiale de Grandchamp)で、ワイン造りを学び、そこはワイン醸造で有名なCFPPAと同じプログラムで、1ヶ月のカリキュラムは2つに分けられ、3週間は現場で働き、1週間は勉強するシステム。実家であるドメーヌ・ドニ・モルテの仕事はずいぶん前から手伝っているが、1999年から2000年にかけてはオレゴンのウィットネス・トゥリー・ヴィンヤード(Witness Tree Vinyard)で研修を積み、2001年から2002年にかけてピュリニー・モンラッシェの名門ドメーヌ・ルフレーブなどで、2004年から2005年にかけてはオーストラリアのトルブレック(Torbreck)などで収穫と醸造に参加して、2005年より正式にドメーヌ・ドニ・モルテのスタッフとして働いていた。世界中の有名ドメーヌで修行したアルノー・モルテだが、やはり父ドニの影響が最も大きかったといい、できることならば、もっと父から学びたかったというが、しかしそれは突然適わぬものとなってしまった。

 「しかし大丈夫。自信はある。」

 そういってピペットで樽から生まれたばかりのワインをグラスに注ぎながら、まだ幼い表情が残るアルノー・モルテは微笑みかける。従来は父ドニ・モルテがドメーヌの運営の全てを仕切っていたが、今は経理や総務などの事務仕事は母親であり未亡人のマダム・モルテが秘書と共に切り盛りし、畑と蔵ではアルノーが頭となって、従来からのスタッフ4名とともにワイン造りに精を出し、しいて変わったことといえば、父が長いバカンスに出ていることぐらいだという。

 2006年5月現在、ドメーヌで醸造した2004年ビンテージのワインはすべて瓶詰めが終了し、試飲は樽熟成中の2005年だけだった。2005年は周知の通りブルゴーニュを代表しうるグレートビンテージであり、父が手がけた最後のビンテージということもあってか非常に高品質な出来になっている。アルノー・モルテの真価が問われるのは、よほどのことがない限り、2006年ビンテージからになりそうだが、それが逆にアルノーへのプレッシャーにならなければ良いと思う。一代で名声を築いた父の後を継ぐものは、いやおうなく世界中の批評を浴びざるを得ない立場にあり、しかしそれに対する反撃は、ワインの味わいでしか表現し得ないのだ。ここに、ヴィニュロンの性を感じたりもする。


今後の展開

 ドメーヌのワイン造りにおいて、当主の変更以外は特に変更点はなく、従来どおり畑での仕事がワイン造りの根本であり、そのまま減農薬農法(リュット・レゾネ)によって栽培し続けること、樽熟成にはフランソワ・フレール社製の新樽を100%用い続けること、などを挙げた。また研修先のドメーヌ・ルフレーヴでのビオディナミ農法をドメーヌ・ドニ・モルテに導入する予定はないのかの問いに、アルノーの返答は早かった。「ドメーヌ・ドニ・モルテにおいて、ビオディナミ農法は困難なので、採用はしない。なぜならば、栽培する畑は2004年に確保したフィクサンを含めて11.5haに及び、それは55区画に分かれていて、モザイクのように細分化された畑ではビオディナミ農法は実践できないから。ビオディナミにはある程度の面積が必要で、ドメーヌ・ルフレーブは一つひとつの区画が大きいので、ビオディナミが可能なんです。」という。

 一区画あたり平均20aで、それが55箇所もあり、5人のスタッフで手入れしているのかと思うと、相当なマンパワーが要求されている。父ドニ・モルテが一般人はもちろんのことプロフェッショナルなドメーヌ訪問者を拒み続け、畑仕事を優先した姿勢に道理が見えてくるようでもある。ドメーヌが所有する区画は、北はディジョン近郊のデ(daix = ACブルゴーニュの区画)から、マルサネ、フィクサン、ジュブレ・シャンベルタン、シャンボール・ミュジニを経てクロ・ド・ヴージョにいたり、それはかなりの広い範囲だ。これだけの畑を有しながら、ドメーヌ・ドニ・モルテの畑を、デュガやデュガ・ピィとならび最も畑が美しいと言わしめるパワーの継続を願い、そしてアルノーなら出来ると応援したくなってくる。

 またフランスの相続税の支払いは、ドメーヌの存亡を左右するほど強大だが、ドメーヌ・ドニ・モルテの場合は、所有する畑の多くは賃貸契約によるものであり、また法人化されていることもあり、瞬間最大風速的な相続税の支払いは回避できそうだが、詳細については今後明らかになってくることだろう。


ワインの変更点

 ここで故ドニ・モルテが決定していた今後のワイン造りについて、おさらいしておこう。ドメーヌ・ドニ・モルテは本拠地ジュブレ・シャンベルタンにいくつも畑を有していて、それは5つの区画名を持つワインに象徴されていた。畑名なしのスタンダードなジュブレ・シャンベルタンに加えて、「オー・ヴィレ」「アン・モルト」「コンブ・ドスュ」「アン・デレ」「アン・シャンVV」の5つ区画をそれぞれに醸造していたのだ。しかし、いわゆる困難なビンテージになりそうな2004年にドメーヌではひとつの決断を下し、5つの区画を全てブレンドして「Mes Cinq Terroirs = メ・サンク・テロワール = 私たちの5つのテロワール」という名でリリースすることにしたのだ。それは6種類もあることから混乱しがちな市場からの要求も強く、またテイスティングの結果から判断したのだという。そして2005年ビンテージにおいては、更なる変更を実施し、5つの区画を古木バージョン(VV = 樹齢55年以上のもの)とノーマル・バージョンの2種類に分けて、瓶詰めするという。

 村名ジュブレ・シャンベルタンだけでも6種類もあったワインが2つに集約されることは、新当主アルローにとっては、それぞれのテロワールの存在を認めながらも、ワイン造りの負担は軽くなると思われ、それは父が決定していたことだけに、息子の怠慢という誹りは受けずにすみそうで、いくつものキュベに分かれるワイン造りの煩雑を回避して、一つ一つのキュベへの集中力を維持してもらいたいと思う。そして2006年以降はどうラインナップに組み込むのかは、ワイン自身に聞くというから、今後は未定のようである。


2005年ビンテージ

 樽からの試飲によれば、ドニ・モルテのワインは相当高いレベルの品質を確保している。かなり、というか強烈に旨いワインであった。しかし生産量は、毎度のことながら少なく、特級シャンベルタンが600本程度、特級クロ・ド・ヴージョが1500本程度であり、さらには2005年は父のファイナル・ビンテージということも加味され、入手はきわめて困難に、そして高価格になりそうである。しかし個人的には、ジュブレ・シャンベルタンの一級畑のうち、寒い斜面といわれるラボー・サン・ジャックや、表土が15-20cmと薄く、ミネラルな味わいを特徴とするシャンポーなどを比較して楽しむことができるなら、ブルゴーニュの魅力にさらに迫れそうである。


最後に

 ワイン造りは、造り手のセンスによって、かなりの影響を受けることは、市場に出回るジュブレ・シャンベルタンを造り手別に比べて飲めば明らかだ。決して満を持しての世代交代とはいえないドメーヌ・ドニ・モルテではあるが、息子アルノーは、若いながらもすでに実績は積んでおり、父の薫陶も受けていることから、今後のワイン造りに大いなる期待を持ちたいと思う。父ドニ・モルテの名声がすごいだけに、息子への風当たりは相当すごそうで、しかもワインの取引価格が決して安くないことから、その批判を全身で浴びかねないが、ドメーヌ・ドニ・モルテは今後もワインを造り続ける覚悟をしているのだから、それに注目しない手はないだろう。新生ドメーヌ・ドニ・モルテ。果たしてどんなワインを造り続けてくれるのだろう。おそらくは、今後30年以上もブルゴーニュワインを造り続けるアルノー・モルテの挑戦を温かく、見守りたいと思う。

アルノー・モルテ氏


父ドニ・モルテへの訪問記はこちら

以上

2006/06/01


 


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