コシュ・デュリー | |||||||||||||||||||||||
試飲日 2004年09月04日 | |||||||||||||||||||||||
<ムルソー (推定ナルボーの畑)> 少し冷やして抜栓後すぐ仕様不明の素敵なグラスへ。それほど濃さを感じさせないゴールドが美しく輝いている。香りは、閉じ気味というより、パワーを持っておらず、蜂蜜、バター、ヘーゼルナッツが最後の力を振り絞るように微かに香っている。むむむ。やはり1998のムルソーは厳しいかと思いつつ、口に含むと、極めて上品な味わいがそこにあり、素直な表現を用いるならば、いい意味で期待を裏切られたような、素直な美味しさがそこに展開されていた。時間と共に燻したニュアンスもでて、カラメルに似た風味が、ところどころに細胞をエキゾチックに刺激してくれるのだった。うん。悪くない。そんな印象である。 コストパフォーマンスの悪さと、酸の弱さはすでに織り込み済みで、前評判の悪さから連想する「駄目でもともと」モードとは裏腹に、一緒に出された料理に負けない酒質のよさに、嬉しく戸惑いながら、パワフルさこそ持ち得ないものの、上品な味わいにはシャルドネの美徳を感じ、決して過小評価されるべき度合いではないと思ったりする。価格と、コシュデュリの名を意識せずに飲めば、決して悪くない味わいで、それを意識するがゆえに、他のビンテージの感動を知るがゆえに、1998の評価が手厳しくなるのは、やむを得ない現象なのだろう。 しかし一方で酸の弱さをして、今がまさに飲み頃と思うて飲むべし、の考えは今も変わらない。このワインはあと数年熟成させるより、出来るだけ早く、穏やかな夜に飲んだ方が、いいと思う。今でなら、弱弱しさの中に凛として主張する何かを感じることができるからだ(将来的にそれがあるとは思えない・・・)。 1998年ビンテージのコート・ド・ボーヌの白は、1990年代で最も不遇な年と位置づけられてはいるものの、今も健全にその味わいをグラスの中で表現している。これをビンテージの個性と読み解けば、白ワインの魅力に一歩迫れるような気がするし、ワインをうまい不味いで論じる時代はとうに過ぎ、生産者の苦楽を共に出来ると、ワインはもっと美味しくなるような気がして、その意味でも天候に恵まれなかった1998のムルソーを「今」飲む喜びを噛み締めているのであった。 ご提供頂いた某氏に大感謝である。 以上 |