ワインの点数
 WINE DRINKING REPORTには、いわゆる評価点がついていない。100点満点中このワインは何点ですという、あれだ。なぜ評価点をつけていないのか。少しまとめてみたいと思う。長くなりそうな予感がするので、結論だけ知りたい方はココをクリック、クリック。なお、このコラムはワインの点数をつけているサイトについて問うているのではなく、あくまでも自身のWINE DRINKING REPORTにのみ照準をあてているので、その点お含み置き頂きたい。

<1 はじめに>
<2 点数法の前提>
  <2-1 それはまず、WINE DRINKING REPORTゆえ>
  <2-2 NON ブラインド・テイスティング>
  <2-3 同一条件は無理>
<3 最大の理由>
<4-1 点数自体に疑問符点灯>
<4-2 好みの壁>
<5 造り手の苦労>

<6 太宰治の影響>
<7 そして>
<8 結論>
<9 おまけ>


<1 はじめに>
 ワインの評価点数はワイン関係の本や、ワインサイトでも数多く採用され、ワイン愛好家の中ではかなり浸透しているワインの評価方法のひとつだろう。100点法、20点法(註1)などその評価のあり方はいろいろあるが、概ね100点法が読者や消費者、売り手にそのワインのイメージを伝えやすく、最もポピュラーな点数方式だと思われる。それは、ロバート・パーカーのワイン・アドボケイトが100点法を採用しているためだろう。彼の影響力はワイン界に於いて絶大である。彼のつける点数によってワインの価格が決定されるという現象も珍しいことではない。ロバートパーカーの100点法が数多くのシンデレラワインを世に送りだし、無名な造り手をヒーローにし、90点と89点に1点以上の差を生み出している。ひいてはワイン売り場で、100点満点ワインフェアなる商戦も活発に行われている。日本でも100点法は、ワイナート誌や最近刊行されたReal Wine Guide(註2)など幅広く採用されていて、酒屋サンが発信するメルマガにも○○誌で何点評価、表紙を飾る何とか等の謳い文句に寄せて、ワインが販売されている。

 しかし、この100点法が消費者を含めたワイン関係者に浸透しているにもかかわらず、私は点数評価をしていない。その理由はいくつもあり、各誌とはまったく違う飲み方をしていることもその要因だったりする。


<2 点数法の前提>
 そもそもワインに点数をつける場合には前提条件がいくつかある。ひとつめはワインは飲みこまず、ほき出すこと(2-1)。ふたつめは、銘柄を隠すこと、いわゆるブラインド・テイスティング(2-2)。みっつめは、全てのワインを同一条件のもとで判断すること(2-3)。ほかにもありそうだが、概ねこの3つは外せないだろう。そうなのだ。WINE DRINKING REPORTは前の2つはまったくクリアできず、最後の前提も同一条件を心がけてはいるが、ケースバイケースにならざるを得なかったりする。3つの条件を満たせていないので、必然的に点数はつけられないのだ。あはは、である。そして当然ながら点数をつける以上は、確立されたテイスティング能力が必要だ。


<2-1 それはまず、WINE DRINKING REPORTゆえ>
 ワインコメンテイターやテイスターがワインの評価をするとき、原則的にワインは、ほき出される。

 ワインはお酒、つまりアルコール飲料である。アルコール度数も13℃前後あり、それはビールや発泡酒の3倍ほどである。ワインを評価、鑑定する時に、そのワインを飲みこんでしまうと酔っ払う。酔うと当然も味覚の判断がおぼつかなくなる。冷静な判断が求められつつ、酔っ払ってしまっては正確が判断が出来ないのだ。それゆえに口に含んだワインはその実力が判断された後はしっかりと外へほき出されることになっている。

 しかし、WINE DRINKING REPORTでは、その名の通り完璧に飲みこんでいる。一滴たりとも無駄にすることなく、しっかりと飲み干すことにしている。おいしいブルゴーニュには、飲みこんだ後に押し戻ってくるうまみ成分がある。食道を通過する時に熱く込み上げてくるものがある。口に含まれた状態で判断できない要因が幾つもあることを私は知っている。それは、Real Wine Guideで、その発行人・編集長が指摘する味覚の主要要素である「旨み」に長けた日本人ならではの視点からワインを知りたい、という思いに通じるものだ。平たく言えば、うまいものを飲みたい。そのうまいワインはどう、うまいのだ。高いワインを口に含んだだけで捨ててしまうなんて、もったいなくってお天道様に申し訳も立たないというものだ。

 それでは最初の一口だけ、冷静にワインを判定し、その後でゆっくり味わえばいいと思うかもしれない。しかしブルゴーニュは時間と共に刻一刻と変化する。温度が2℃違っただけで別のストーリーが展開される。油断している暇は無かったりする。最初から最後までワインを楽しみたいのだ。楽しむとはどういうことは、それはワインを飲むということだ。飲んでなんぼ。おいしいぞ。しかも複数のワインを同時に飲む場合は、よそのワインを飲んでいる間に、どんどんワインの物語は進行してしまう。ここはひとつ一本一本、じっくり楽しもうではないか、である。


<2-2 NON ブラインド・テイスティング>
 WINE DRINKING REPORT(長いので、今更ながらここからレポートと省略)では、いわゆるブラインド・テイスティングを実施していない(註3)。理由は別のコラム参照だが、レポートでは、基本的には目の前のワインをいかにおいしく楽しむか、に主題が置かれている。そのワインを知った上でしか共有できない喜びがあるからだ。その喜びこそ、ワインを飲む楽しさであると信じている。愛しのブルゴーニュワインを銘柄当てクイズの段階に貶めてはいけない。そのワインには、それにふさわしい飲み方がある。テロワールや造り手の個性、ビンテージの差はもちろんのこと、サービス温度、抜栓時間、タイミング、注ぎ方、ワイングラスなど、こだわればこだわるほど、おいしい真髄に近づけると信じている。認識こそ感動の源である。

 これは言葉を悪くすれば、先入観の塊。あの造り手のこのワインが何点であるはずが無いといったものだ。先入観は必然的に評価を押し上げる。これは至極当然な人間の感覚だろう。先入観は冷静な判断の妨げになる。ワインの評価だけを目的とするならば、その先入観は不要な情報である。単純明快にワインそのものの実力値を評価すればよいのであって、外野の情報に左右されていは、100点満点中何点ですと明言できない、かもしれない。


<2-3 同一条件は無理>
 ワインを判断するための同一条件とはなにか。室温、照明、液温、使用グラス、抜栓の時間と方法、グラスに注ぐ量、自分の体調などだろう。このうち使用グラスは多くのレポートでクリアできている。INAOグラスを使用しているからだ。しかし、レストランやワインバーで飲むときは、必然的にグラスが変わってしまうし、ワインの特性に合わせ、あえてINAOで飲まずに、別のグラスで飲むことも多い。

 自分の体調も見逃せない。これを克服するには同一銘柄を複数回飲むことで平均化できるはずであり、実際同一銘柄を短期間に集中して飲んでいるので、ここらへんもまずクリアできそうではある。しかし、希少品など一回ポッきりの出会いも少なくないのが辛くもあり、その出会いに感謝するところだ。

 室温も空調のある部屋で飲むことが多いとはいえ、日本の四季が恨めしくもある。しかも夏場の20℃と冬の20℃はたいぶ違う。液温も注意しているが、この温度で始めた時はこうだったとしか表現できない。抜栓方法も複雑に絡み合う。デカンタの有無や種類でワインの味わいが変化する。あえて同一条件で飲むとそのワインの本当のおいしさに辿り着けない可能性があるので、抜栓方法は臨機応変である。つまり極力同一条件での抜栓を心がけているが、完璧には無理なのだ。

 ところで前述のReal Wine Guideはこの3つの前提条件を徹底管理していて、その意味で信頼のおけるデータかと思われる。


<3 最大の理由>
 そしてWINE DRINKING REPORTではワインの鑑定や評価を目的としていないからである。

 では、その目的とはなにか。それは、いかにそのワインをおいしく飲むかに集中すること。ボジョレーにはボジョレーの、グランクリュにはグランクリュなりの飲み方があり、1999を今開けるタイミングと1985を今開けるタイミングは自ずと違っている。ワインのエチケットにはそのワインの全ての情報が刻まれている。その情報を解読、というと大げさだが、そのワインに最も適した飲み方で大いに楽しみたい。これはブルゴーニュは少し頭を使うといわれる由縁に繋がっているだろう。

 そのワインの能力をいかに発揮させるか、そのワインの実力値を数値化するのではなく、筆の力で、熱く語りたい。ワインを飲むことで受ける感動がある。心の動揺もある。衝撃もある。そんなワイン、特にブルゴーニュワインのすばらしさを伝えたい。そう、伝えたいのだ。ブルゴーニュが何故に世界一のワインと絶賛されるのか、その大いなる理由を伝えたい。伝えられればいいと思っている。もちろん点数とは違う方法で、である。そのくせ「う」とか「細胞整列」とか、何が筆の力だという嘆きは筆者自身が痛感しているところである。


<4-1 点数自体に疑問符点灯>
 100点法で評価しているテイスターにとって、その100点満点のワインというのはどんなワインなのか、非常に気にかかるところだ。100点法にもいろいろな考え方があり、項目ごとに細分化して点数を決めているタイプから、個人の感覚に頼っていく方法などさまざまだ。85点から積み上げていく方法もあるようだ。

 ところで私の過去最高のワインはナンだろう。やはりルロワの1998年ミュジニだろう。このワインを100点とするならば、それ以上の評価があるとされる1993年のミュジニを飲んだ時に、そのワインに120点をつける可能性は否定できない。120点では100点法にならないのだ。しかし、120点つけてしまいそうな自分に気づいたりする。では飲みもしない1993年ルロワのミュジニを100点満点に想定した場合、この1998ミュジニの評価はどうなるか。実際にこれほど感動したワインに100点以外の点数はつけたくない。99点にしてあとの1点は1993年用にとっておくような器用さは私にはなさそうだ。あの1998年ルロワのミュジニの感動はやっぱり100点なのだ。それならば両者ともに100点にするのも、少し違うだろと、こころの動揺が聞えてくる。

 白ワイン最高の1997年ラフォンのモンラッシェもしかりだ。おそらく出会うことの無い1992年のモンラシェを空想するより、1997年との出会いを大事にしたい。1997年をあえて99点にして、その足りない一点にどれほどの意味があるのだろうか。疑問符は付きまとう。


<4-2 好みの壁>
 話は変わるが、人には「好み」というものがある。異性への好みがあるように、ワインにも好みがある。その好みを隣において、ワインの評価をすることはできるのだろうか。「あの子は好みじゃないけど、99点を上げよう」などと、言えるかな。言えそうだ。己の好みとその人の才能をはっきり区別できれば、点数にも信憑みが増してくるだろう。しかし自分の好みに優先して、きらいなタイプを押すには相当の勇気も要りそうだ。熟女好みと少女好みという年代を超えた好みを超越できるのか。彼女のココがきらいだが、その才能は認めざるを得ないという評価ができるのか。大器晩成型に対応できるのか。難しい局面ではある。

 しかし、この好みの問題は、膨大なサンプル数によってカバーできるだろう。特徴や能力を平均化、標準化によって点数への礎を築くことができる。個人の思い入れを超えたところに点数はあるべきで、それには膨大なサンプル数が必要なのだ。かのロバート・パーカーが全世界から批判を浴びつつも、それでもその得点が絶対的な影響力を持つのも、やはりサンプル数の膨大さが主たる要因だろう。彼ほどワインを飲んでいる人間はいない。そこに彼の拠所がある。

 それでも彼が世界中の批判を浴びる原因は彼の好みの露呈にある。あれほどの量を飲んでおきながら、濃くって強いワイン好きというパーカーの評は無視できない。しかしパーカーの好みを自分なりに消化していれば、ワイン・アドボケイトの点数はかなり使える得点だったりもするのだ(註4)。私はブルゴーニュの評価にはプラス5点をつけて評価の目安にしていたりする。


<5 造り手の苦労>
 実際にドメーヌを訪問して、造り手の苦労を拝見すると、やはりあなたのワインは82点ですね。などと言えたものではない。例えば、アルノー・アントというムルソーの造り手がいる。小さいドメーヌながら、高い志とすばらしい愛情を惜しみなく降り注ぎ、最高級のワインを造り出している。彼の志を得点で評価して良いものか。話はそんなに単純ではないかもしれない。彼の造るすばらしいワインは、心の底から湧き上がる言葉で表現したいではないか。


<6 太宰治の影響>
 太宰治の名作に、私は「お伽草紙」を挙げている。お伽草紙は瘤取り爺さん、浦島さん、カチカチ山、舌きり雀といった日本に伝わる昔話を太宰流に紹介している名作であるが、この中で太宰は桃太郎を取り上げ無かった理由をこう記している。「いやしくも桃太郎は、日本一という旗を持っている男である。日本一はおろか日本ニも三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描写できる筈が無い。」(原文ママ)(註5)

 まことにすばらしい意見である。この言葉は感動に値するのだ。そしてこの文章にブルゴーニュワインを当てはめれば、自ずと答えが返ってくる。いやしくもブルゴーニュは世界一という・・・。


<7 そして>
 ふと気づいたが、私がテストで100点を取ったのはいつのことだろうか。遥か昔に100点満点取ったことがあるような覚えがあるが、間違い無くここ10年間は100点を取っていない。100点を取っていない私にとって、100点のありがたみと、その込み上げるうれしさは、想像しがたかったりする。100点。なんていい響きなのだろう。一度でいいからとってみたいものだ。


<8 結論>
 筆でもってそのワインの感動を伝えたい。
 そのためには何をすべきか。まずは誤字脱字の公正(註6)から始めよう。



1. 20点法を採用している雑誌はBourgogne Aujourd'huiなど。
2. Real Wine Guide 発行:寿スタジオ 編集発行人:徳丸真人
3. 例外はザ・ジョージアン・クラブでのシャトー・パルメ。
4. ブルゴーニュは自身では評価せず彼の弟子が担当している。
5. 「お伽草紙」 太宰治 新潮文庫 P298参照
6. 正しくは校正です。オチに注釈つけてはいけない。



<9 おまけ>
 「そんな堅苦しく考えず、参考程度に得点つけてもいいんじゃないの。」
 「そうかもしれない。」


以上



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