10日ほど前、鎌倉某所でブルゴーニュの自然派ワインの巨匠フィリップ・パカレの二枚看板の特級シャルム・シャンベルタンと同じく特級のコルトン・シャルルマーニュを試飲する機会に恵まれた。当日は私はワインのサービスをする立場にあり、テイスティングの範囲を超えなかったので、WINE
DRINKING REPORTへの掲載は見合わせているが、やはり一筆啓上せずにはいられない心の動揺が、それが欲するままに少し書いてみようと思う。
当日はワインのプロフェッショナルな人たちとそれに準ずる(あるいは超えている)スーパー・アマチュアのメンバーが鎌倉某所に集まってのワイン会だった。目的は2001年がデビュー作のフィリップ・パカレの看板を自分の舌で確認すること。したがって通常のワイン会よりも大幅に少ないアイテム数ながら、じっくりこの看板ワインを聴こうという趣旨だった。オープニングを飾るワインがコルトン・シャルルマーニュであったことからも、それは参加者と共有できたと思われる。ちなみに次がシャルム・シャンベルタンだった。(本当は逆の順で用意していたが、抜栓直後の状態により判断した)
二枚看板の具体的な味わいについては、今回は省略しようと思う。
当日はサービスを担当した関係で、飲むこと自体は出来なかったが、抜栓直後の状態から最後の一滴に至るまで、じっくりとその味わいの変遷と持ちうるポテンシャルを確認することが出来、この場を借りて大感謝なのである。結論を急げば、パカレのワインは偉大であった。何が偉大か。私はワイン自体のハイグレードでかつ感動を呼び起こす秘めたる酒質に拠所を求めたい。天と地の恵みを受けた葡萄の味わいそのものがワインになったという印象で、葡萄が発するパワーがグラスに充満しきっているといった感があった。新樽がどうだとか、自然派がどうだとか、そういう事前情報にまったく左右されない、ワインそのもののおいしさが、飲み手に何かを伝えたがっているようにも思われた。それはテロワールなんだと思う。そしてふたつのワインが特級として、その栄光ある格付の頂点に君臨する理由をワイン自体が語りかけてくれているようでもあった。ここに、この星の奇跡がある。
抜栓してから3時間強。たっぷりと時間をかけて最後の一滴まで飲み干されたふたつのワインは、途中で揺らぐことなく、最後までそのオーラを発し続けていた。味わいの変化もさることながら、その一滴一滴に至るまでの緻密なポテンシャルに圧倒され、フィリップ・パカレというあるひとりのテロワールの表現者が振るタクトに心の動揺は隠せなかったし、また隠す必要などなかった。無謀を承知で、彼のワインを一言で表現するならば、「何も突出しない球体に近い水の如くのワイン」になろう。薄い色合いと薄い味わいに加えて、果実味、酸味、渋み、甘み、うまみ、アルコール感、奥行き、構造、濃縮度、複雑さ、なめらかさ、余韻・・・ワインを構成するそれらの要素のバランスが限りなく球体に近く、時間とともに微妙かつ絶妙にその形を変えてくる様が、いとおしく感じられる。自然のままに。Let
it be。
大地に対する非干渉主義を貫くパカレの、これがテロワールなのだろう。
ヴォーヌ・ロマネの優れた生産者であるマダム・アンヌ・グロは、自身の特級リッシュブールについてバッハやピカソといった世紀の大芸術家を引き合いに出し、その魅力を説明してくれる。彼女の言葉を思い起こしながら、パカレの特級ワインについても同じ風景が目に浮かんでくる。これは、芸術なんだと、私は思う。奇跡の大地が生むブルゴーニュワインの魅力をパカレというひとりの生産者がテロワールを忠実に表現してくるのだ。
ところでパカレの赤ワインを評して、「高い割りにボジョレーみたいなワイン」というのもある。薄い味わいはややもすると、ピノ・ノワールの潜在的な能力を引き出せないままに、胃袋に収まってしまうかもしれない。しかし、この薄い味わいに、日本人の味覚にマッチする「お出汁の余韻」を探すことが出来るとしたら、それは途方もないピノ・ノワールの魅力に接することが出来るかもしれないと思う。濃くって強いワインが評価を受けやすいこの頃ではあるが、パカレ流の癒されるワインに接してしまうと、旨みの味わいに感謝せざるをえなくなる。そして相対的に高値で取引されるパカレのワインではあるが、手間隙をかけた非干渉主義に対する代償と思えば、やむを得ない一面も理解の範疇に落ち着いたりもする。(パカレ自身はレストランでの高値に憤慨しているが・・・)
やばい。心の動揺のままに筆を進めているので、支離滅裂系の文章になっているかも・・・。
パカレのワインと今後どう接すればいいのか。答えは簡単である。飲むべし、である。ふたつの特級ワインだけでなく、すべてのアペラシオンに受け継がれているパカレ流の味わいを知れば、大地の恵みを自分自身で感じることが出来、ブルゴーニュワインがもっとおいしく飲めるような気がする。そして毎年彼のワインを飲むことで、ビンテージ情報に一喜一憂しない天の恵みを享受できるような気がしてくるから不思議である。
パカレ恐るべし。そして飲むべし。そんな感じである。
参考 パカレ訪問記
おしまい
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