フィリップ・パカレ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
はじめに 彼のもとを訪ねる前に、私はフィリップ・パカレに懐疑的だったことを白状しなければならない。2001年ビンテージがファーストビンテージのフィリップ・パカレは日本初入荷時にメルマガ等で大々的に宣伝されていた。自然派ボジョレーの第一人者、マーセル・ラピエールの甥であり、DRCの共同経営者のアンリ・フレデレック・ロックが経営するドメーヌ・プリューレ・ロックの醸造長として活躍し、DRCの醸造長の誘いを断ってまで、自らのドメーヌを立ち上げた経緯や、大絶賛の嵐と表現したくなるテイスティングコメントにいささか不信感を抱いていたのだった。 なぜならば、昨年パリ某所で、ある意味看板ワインのアリゴテを試飲した(というか一本飲んだ)限りでは、そんなに驚く程の感動もなく、薄いワインのイメージが支配的だったからだ。自らの試飲結果と流通業者によるコメントに大きなギャップを感じ、しかも絶賛する人たちの何人かは私も知っている人たちだったので、余計に混乱してしまっていた。さらには某誌第三号ではこのフィリップ・パカレが特集されることを耳にするに至っては、商業の二文字が脳裏をちらつかせていたのだった。しかし、たった一度の試飲で(しかも試飲環境は必ずしもいいとはいえなかった)、結論は出せない。ここは本人に会っていろいろ飲んでから結論を出そうではないかと思い、私はジュブレ・シャンベルタンに飛んだのだった。 当日は、あいにくの小雨模様だったが、ジュブレ・シャンベルタン某所で出会ったフィリップ・パカレは、若き日のバッハのイメージに重なった。その昔、音楽室の天井近くに飾られていた作曲家たちの肖像画の「あれ」である。折りしも前々日にドメーヌ・アンヌ・グロで当主のアンヌ・グロとブルゴーニュワインとピカソの絵、バッハの音楽から受ける感動についての話をしていたので、なおバッハのイメージと重なってきた。天才が発するオーラだろうか。彼のワインに懐疑的だった自分に、早くも自己嫌悪のマークが点灯し始めていた。 まずは車に乗って、ボーヌ市庁舎ちかくのドメーヌ・サーブルへ案内される。ここはまさに間借りして使わせてもらっているといった雰囲気で、外部からはここがパカレの拠点であることは一切分からないようだ。ボーヌによくあるアパートのような、そんなイメージでもあるが、地下に広がるカーブは他社に引けを取らない立派なものである。ドメーヌ・サーブルはエチケットこそ違うものの、ワイン造りはパカレ自身が行っていて、その旨はエチケットにも記載されている。ここにはアリゴテやブルゴーニュなど数種類のワインが樽熟成されている。 ところでパカレはブルゴーニュに3つのカーブを借りている。ここと、ボーヌ近郊の村のウイスキー熟成庫の一角とジュブレ・シャンベルタン某所である。カーブが分散するリスクはあるものの、それはパカレだけの事情ではなく、DRC社をはじめ多くのドメーヌが複数の敷地にカーブを所有しているので、DRC社やドメーヌ・ド・モンテーユのそれと比べ、移動時間がかかることを除けば特に問題はないのだろう。 フィリップ・パカレは、ドメーヌの立ち上げこそ最近であるが、まだ40歳前にして自然派の巨匠的な存在であり、BIOビオという大きなうねりの中で中心的な立場にいる人である。しかし、実際に会ってみると、そんなイメージからは程遠い気のいい兄貴的な印象だった。フランス語で言うところのサンパティークなのである。三箇所に分散したカーブは、彼のネットワークをフル活用して確保したもので、特にボーヌ近郊のそれは、温度といい湿度といい、完璧なまでの条件を満たしているカーブである。洞窟に水か滴るかのごとくのカーブは、神秘的で、ある意味幻想的ですらある。ここから真のブルゴーニュワインが造られるのかと思うと、鳥肌も立つというものだ。
フィリップ・パカレは、自然派である。それはつまり、発酵時における酸化防止剤の未使用(ボトリング時には、必要最小限の量は使用している)や天然酵母の使用、農薬・除草剤・化学肥料の未使用などだ。自然にあるがままの葡萄栽培と、ワイン醸造。モノ・セパージュ(単一葡萄品種)によるテロワール(大地の恵み)の表現者として、自然のままのワイン造りを実践している。この手法は、おじであるマーセル・ラピエールを中心とする自然派の流れを汲み、彼の技術と哲学はフランス全土に影響力を持っているという。 彼へのインタビューをまとめると、フィリップ・パカレは、世界の頂点を知っているということに到達する。ドメーヌ・プリューレ・ロックで10年間働き、そこはつまりDRC社の社長が運営するドメーヌである。さらに、ローヌ地方シャトーヌフドパプの第一人者シャトー・ラヤスやルロワでの経験も大きくものをいっている。彼が世界筆頭のドメーヌで働いた経験と実績は、実に大きい。世界の頂点を知ることはつまり、ワイン造りの理想を知っているということ。思うにここがパカレの最大のポイントなのだろう そしてパカレはモノ・セパージュにこだわっている。テロワールの表現は、モノ・セパージュで表現すべきであり、5つの葡萄品種をブレンドして造られるボルドーワインとは、根本的に哲学や思想が違っているのだという。そういえば彼が研修を積んだシャトー・ラヤスも13種類のブレンドが許されるシャトーヌフドパプにおいてグルナッシュだけでワイン造りをするモノセパージュ派であり、同時にこのアペラシオンを代表するトップドメーヌであるところも興味深い。「アングロサクソン系の哲学は、ここブルゴーニュでは通用しない。」熱っぽく語るパカレの視線はいつまでも熱いのだった。ヴィニュロンはテロワールの表現者であり、官能主義を実践しうるこの大地に、無上の喜びを感じているようでもある。 小雨の降りしきる中、ハンドルを握るパカレの話しは熱を帯びてくる。天才料理人ベルナール・ロワゾ氏の自殺に怒りとやるせなさを露にし、他の有名料理人を経営者だと一喝。真の料理人の死を心のそこから悼んでいるのである。そしてワインに目を転じれば、特級エシェゾーの特級たる格を疑っている。確かに特級の名に相応しいエシェゾーも数多くあるが、その名に甘えているエシェゾーもまた多いという。さらにトークは盛り上がり、ヴィニュロンとして、何年もの歳月をかけてようやく造り出したワインを、レストランでは平気で仕入れ価格の倍以上で売りさばくことにも憤りを覚えているようだ。「ワインを注ぐだけで何で俺らより儲けるんだ」と怒り爆発モードながら、「俺のワイン悪くない」だろと満身の笑みもこぼすところがお茶目でもあり、まじめにワイン造りをしている真摯な眼に共感も覚えるというものだ。余談ながら、話題はエチケットに及んだ。最近ブルゴーニュではエチケットを変更するドメーヌも多いがどう思うかの問に対して彼の答えは明瞭だった。「エチケットは決して変えないよ。ロマネ・コンティのエチケットが何年かおきに変わることがないようにね」。世界の頂点を知る男は、なかなか粋な哲学を持っていたりする。 テイスティング さて、肝心のワインのテイスティングであるが、17種類のワインをテイスティングしてパカレ節を感じることが出来た。それはまず、「薄い」ということ。ここがパカレのワインに懐疑的だった理由であるが、大量に試飲することで見えてくるものがあった。「薄い」のは、色と味わい。色はデュジャークのそれよりも薄い桜色であり、色合いの薄さ加減は好みながら、ここまで薄いと心配にもなってくる。そしてその色に関連するかのような「薄い」アンズっぽい味わい。口に入れてすぐのインパクトが「薄さ」で支配的になるのだ。ここに分の悪さがあった。パカレという期待感の中で、この薄さが戸惑いを覚えさせたのかもしれない。 「薄い」色合いと「薄い」味わい。パカレの大きな特徴である。アルコール度数も表示で12.5%であり、通常のブルゴーニュワインのそれと1%程度低い。このアルコール感の少なさがファーストインプレッションに影響を与えているのだろうか。だから薄いと感じるのだろうか。ところがである。第二インプレッションと呼びたくなる少し遅れて感じる味わいに、心打たれるものがある。ジワリとうまみが出てくるのだ。おそらくこのうまみ成分に、流通関係者は絶賛の票を入れたのだろう。うまい。滑らかなタンニンに支えられたうまみ成分が、絶妙のバランスでサポートする果実酸とハーモーニーを醸しだし、女性的でしなやかな味わいとなって全身を駆け巡る。ここにピノ・ノワールのもうひとつのうまみを見つけられるのだった。パカレのワインは「絶対買い」であると絶賛される理由が、遅ればせながらようやく理解できた。ブルゴーニュ魂でも、声を大にして言いたくなっている。「パカレ恐るべし」と。ただ薄い第一印象があるので、少しばかり他のピノ・ノワールのうまみと違うところが要チェックだったりもする。 個々のワインについては銘柄と特徴だけを列記しておこう(試飲順)
赤字は、後日訂正追加記事 2004/09/08 最後に パカレの日本の代理店は現在は1社であるが、生産量の40%はフランス国内向けであり、意外に簡単にフランス国内で購入できる。ボーヌとコルトンの間にある国道74号線沿いのレストランか、パリならマドレーヌ寺院近くのラビーニャかオージェで買うことが出来る。価格は同じアペラシオンなら他の生産者のそれよりも高めであるが、一飲の価値はあるので、ちょっとお勧めである。 フィリップ・パカレ。ちょっといいぞ。 2004年からの新ワイン 以上 2003/05/15 2003/11/19訂正 2004/09/08追加訂正 |