自然派の逆襲  2004/05/13
 
 某日、某所にてデメテールなどの認証を得ているビオロジーワインなど数種類のいわゆる自然派ワインを試飲する機会に恵まれた。この場を借りて某氏に感謝するとともに、少しばかり記してみよう。今回のワインは試飲というよりすべてのワインを一応ドリンキングしたが、WINE DRINKING REPORTに載せられない事情があり、この場を借りることとした。またすべての銘柄は内緒にしようと思う。それはなぜか。それは・・・・・。


 「とても不味かったから(自分調べ)


 いやいや、久しぶりに不味いワインを飲んでしまった。酸化防止剤未使用ワインや1998年ビンテージなどの熟成を待って出荷されたワインなどを幾つか試したのだが、空けるワイン空けるワインことごとく美味しくなく、自然派のある意味逆襲を食らった感じである。

 どう不味いか。ある○○ワインの香りは還元臭をとび超え、なにやら腐敗臭とも言いたい香りに、グラスを持つ手の細胞が敏感に反応するのだ。人は、モノを食べたり飲んだりする前に、まず香りを確かめ、安全と判断されたものだけを口に運ぶ習性があるが、これはまさに摂取を禁じようとする指示系統が腕の筋肉の一つ一つの細胞に伝達されたかのごとくである。しかし物は試しに飲んでみる。ぐぇぐぐゅゅばぁぁぁぁ。明らかに腐っている。思わず飲み込んでしまった後悔がわが身を襲いつつ、手元の水で口の中を洗わせてもらったりした。

 ひとはよく極上のワインを飲んだとき、そのエキゾチックさから鳥肌が立ち、細胞がパタパタと音を立てて整列する様を経験するが(自分調べ)、今宵のワインも瞬時にして鳥肌が立ち、言いようのない寒気が襲ってくるから勘弁して欲しかったりする。身の危険を、細胞が察しているのだ。

 おそらくは、このボトルだけの現象だろうと考えつつ、同じロットの違うボトルを試してみるが、なるほど、あれほどまでにひどくはないが、これもまた、かなりのやばさである。俗に言えば飲めなくもないワインであり、酸化防止剤未添加ワインが好きな人にはとても好きな味かもしれないが、何も知らずに口にしたら、激怒しかねないこの味わいには、ちょっとどうかと思ったりする。

 これが自然派ワインの大多数なのだろうか。それとも某日に不運にも数本も駄目ワインが続いただけなのだろうか。私は今までパカレやシャソルネイ、ルロワなどのブルゴーニュワインをこよなく愛し、また特定銘柄ながらロワールを中心としたビオワインの美味しさに共感し、ビオディナミやビオロジーワインに賛同する立場にいたのだが、こういうワインを飲んでしまうと酸化防止剤の必要性を痛感し、旨い不味いのレベルではなく、生命の問題として取り組まなければならないと思ったりした。

 自然派ワイン特有のあの癒される感じは、一度嵌ると自然派一本やりに傾斜しやすい側面を持ちつつも、不覚にも不味い自然派ワインを飲んでしまうと、今後一切自然派ワインが飲めなくなるんじゃないかという危惧を持ったりする。そして、同時にビオロジーではないが、リュット・レゾネ(非常に厳密な減農薬農法)を実践し、合法的かつ最小限の酸化防止剤を使用してワイン造りを営むドメーヌ・クロード・デュガのすばらしさを肌身で感じたりする。美味しいワインには酸化防止剤は必要不可欠なんだと思わせてくれ、何ともデュガのワインが飲みたくなるから不思議だ。生命に安堵感を与えるデュガの安心感こそが、ワインの飲み手が求めている要素なのではなかろうか・・・。

 またこうも思う。醸造の段階では酸化防止剤を使用せず、ボトリングの直前に少量のそれを添加するパカレやシャソルネイのワインが、なぜにあんなにすばらしいのだろうか、と。彼らが天才扱いされる理由が、駄目ワインから浮き彫りにされるという何とも皮肉な現象に、思わず溜息も出たりした。

 酸化防止剤未使用に命をかけるつくり手のワインを、今後どう飲むべきか。結論を出すにはまだまだ早すぎる。サンプル数をもっと増やさねばならないだろう。しかし、この手のワインを一度でも飲んでしまうと、一気に自然派ワインが遠のいていく感もやむを得なかったりするのだ。いずれにしても自然派ワインの今後を知る上でも貴重な経験となったりする、ある夜の出来事だった・・・。
 

おしまい

 ちなみに今宵のワインはフランス各地とイタリア産。不味いワインに国境は関係ないようである。

 第二弾はこちらから


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