斜面で眠るための方法について  にしかたゆうじ 2006/05/25

 フランスのブルゴーニュまたはアルザスを訪れたならば、ぜひとも体感していただきたいことがあります。それは、ホテルに宿を求めずに、斜面で眠るということです。昼間のそれとは、全く違う表情を見せるぶどう畑の斜面にて、一夜を過ごすことができるとしたら、それはまたワインへの不思議な思いを全身の細胞を通して感じることができそうだからです。たとえばこんな感じです。ただしここで注意が必要となります。それは昼夜の寒暖の差が良質のぶどうを栽培する鍵となることが、斜面生活においては逆に、かなりの身体的ダメージを及ぼす危険があるからです。今回はその注意点について触れてみようと思います。また今回は単身、畑に乗り込む完全な野宿ではなく、車にて滞在する場合を想定していますので、どうしても真の野宿をしたいという方は、己の信念において実践してみてください(笑)

【 畑の斜面で眠るための方法について 】

 まずは、ぶどうへの悪影響を最優先に考えなければなりません。それはつまり車のアイドリングによる排気ガスの問題です。畑においては地球環境の点からも、移動という目的のため以外には車のエンジンは極力切っておかなければなりません。そしてゴミの持ち帰りも当然のことですが、畑への人体からの直接の廃棄物散布は、その成分構成からしても厳禁であり、そこんところよろしくなのです。

 その大前提を見極めたうえで、まずは斜面選びのポイントを。斜面に広がる畑を抜ける農道は、たいてい車一台が走れるほどの幅しかなく、所々に江ノ電のすれ違い場のような、すこし幅広のスペースがある程度です。よって農道に車を止めることは、他の車の往来の邪魔になることが予想され、また車の往来によって自信の眠りが妨げられることがあり、自ずと宿泊スペースはよそを探すことになります。それはつまり車の往来が少なく、車が来てもその往来を邪魔をしないこと。またやむを得ず小用が発生する場合に備え、畑に影響を及ぼさないであろう森や林の近くに陣取ることが求められそうです。

 個人的にお勧めしたいのは、ポマールの斜面の中腹にはテーブルと椅子がセットされた展望台のようなところがあり、外での食事やワインを楽しむにはとてもいい感じです。コルトンの丘は、意外に広大で、街灯のない未舗装の道路を慣れない左ハンドルのマニュアル車で突き進むのは転落やスタックのリスクがあり、そして思ったほどの駐車スペースはなく、あまりお勧めできません。またコルトン・シャルルマーニュの大部分の区画がそうであるように南向きまたは西向き斜面には、後に述べる致命的な欠点があることも承知しておかなければなりません。コート・ド・ニュイでは、モレ・サン・ドニの特級クロ・デ・ランブレの一番上のアーチの部分に車の転回スペースがあり、個人的にはお気に入りです。またジュブレ・シャンベルタンなら特級リュショット・シャンベルタンの斜面がよさ気なのですが、アルマン・ルソーの石垣の角には街灯が二つもあり、その近所は、夜通し明るいため、睡眠に適さず、また夜11時過ぎ頃までは地元の若い男女の密会の場にもなっているようで、異国の訪問者には居場所もなかったりします。アルザスならば、マルセル・ダイスのお膝元、ベルグハイムの丘がお勧めです。

 程よい斜面に、幅広のスペースを見つけることができたら、車のエンジンを切って、斜面生活がスタートします。夏場は夜10時前後まで明るいため、早めに到着したならば、農道を散歩するのも悪くないでしょう。ただし所有者に無断で畑に入ることは、慎んだほうがいいと思われます。夜が暮れるまではワインを飲むなり、ビールを飲むなりして、あたりが寝静まるのを待ちましょう。そして冬場は相当の寒さが予想され、凍死の危険もあるため、自己の責任において体感していただければと思います。ここでは春から夏にかけてを想定して、話を進めます。

 ようやく暗くなったら、まずは空を見上げてみましょう。晴れた日ならば、満天の夜空にいくつもの星を楽しむことができます。東京では決して探すことができないような遠くの星まで見ることもでき、また馴染みのある星座をたやすく発見できたりします。自らの指先を用いて、星と星を線で結ぶことは、乙女心があってもなくても、いい感じです。夜空を見上げ、その星の多さに感動はまず間違いなしで、また同時に、ヨーロッパにおいて占星術が発達した理由も体感できそうです。斜面の下に目をやるならば、眼下に街の灯りを楽しむことができます。また国道74号線を往来する車のヘッドライトを目で追ったりするのも一興です。

 そして気がつきます。畑の斜面には、完全な闇が訪れないことを。

 月や星の瞬きは、微かにぶどうを照らし、また遠くの街灯も闇の到来を妨げてしまうからです。しかし深夜の寝静まった畑で、ほのかに照らされたぶどうを、眺める作業は、個人的に好きな行為で、これこそが斜面生活の醍醐味にほかなりません。静かなのです。それは極めて静かなのです。また、ビオディナミ農法に欠くことができない月を探すなら、1時間ごとの月の位置に、興味を覚え、それを数時間単位で測るなら、月が地球の周りを回っていることも体感できてしまいます。

 さて、一通り深夜の斜面を楽しんだならば、睡眠タイムということになります。しかし、ここで最大の注意が必要となります。おそらく真夏の一時期を除いて、斜面は意外に寒いのです。上半身の寒さには、アルコールの力を借りることで対応でき、またシャツ類を重ね着したり、首にタオルを巻いたりして体温を確保することができますが、問題は下半身の冷えをいかに解消できるかにかかってくるようです。はっきり言って下半身は寒いです。ジーパンの上にスウェット・パンツを重ね着して、毛布の一枚をかけたところで、足元の寒さは和らがないことを今回体感してしまいました。靴下の重ね着も意味を持ちません。太ももの寒さに温かみを与えそうもないからです。もちろんここで、エンジンをかけて暖房を最大限にすれば、寒さをなんなく回避はできますが、冒頭のご法度事項に該当し、これは斜面を愛するものにとって、抜くに抜けない伝家の宝刀だったりします。この下半身対策は今後の課題で、手っ取り早い策を講じるならば、スキーをする時のインナーなどを用意すべきと思ったりしています。(しかし、そんなインナーはスキー旅行を想定しない限り、必ず自宅に忘れることでしょう)

 脚の寒さに集中力をそがれながらも、まだ難問が控えています。車のシートは、乗用車タイプの場合は完全にはフラットにはならないからです。また運転席で寝ようものなら、アクセルやブレーキなどが足元を邪魔をするので、一人で寝るなら断然助手席がおすすめで、できれば助手席は土足厳禁にしておいたほうが、靴下を余計に汚すことも回避できると思われます。

 ここで眠るには厳しい条件が重なりますが、深夜の斜面には、微かな音があることを忘れてはなりません。それは虫の鳴き声だったり、草木の揺れる音だったり、風の通り抜ける音だったり・・・。あるいは遠くの車の排気音だったり、自分の寝返りの音だったり、呼吸の音だったり・・・。そんな音も斜面ならではないでしょうか。ぜひ耳を、そんな音のほうへ寄せてもらえればと思います。

 さて、特に下半身の寒さにより、あまり寝付けなかった夜が明けようとします。畑は日の出を待たずして、うすらぼんやりと明るくなってきます。そしてようよう明るくなりゆく地平線を望めば、東の空にあけぼのを体感できます。ここは雲がかからないことを願いつつ、御来光といきたいところです。ここで斜面の向きが大事となってきます。やはり斜面は東向きに限ります。東の空から太陽が顔を出す様は、命の息吹を感じることに似て、きわめて爽快です。これが西向きでは太陽が拝めず、また南向き斜面もその丘の斜面にさえぎられ、今ひとつ部が悪いようです。

 斜面のダイナミズムは、夜明けにあります。「静」の深夜と、「動」の日の出。

 運良く御来光が拝めれば、斜面に朝焼けの、あの独特の光が照らし始めます。さあっとなみが押し寄せるように、斜面に光が当たり、建物や木々にさえぎられる区画には、長い影ができたりします。静かな夜が、斜面に押し寄せる光と共に明けようとする様は、感激に値することでしょう。まさに斜面ならではの光景です。

 太陽の恵みに感謝して、街に下りることにしましょう。そして斜面を振り向けば、昨日とは全く違った斜面の隠れた表情を自分だけが堪能できている喜びに包まれることでしょう。

 斜面・・・。そこは、ワインのふるさとです。
        
                            
                           クロ・デ・ランブレイでの日の出

おしまい


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