ロンフウフォンは事件だ (2004/05/09)

 
 中国料理の名店「ロンフウフォン」での食事を終え、帰りの電車の中でふとこんなことを思った。

 もし自分が一介のナメクジで、梅雨時のある晴れた日、隣のカタツムリなんかよりもっと立派な殻を作ってやるぞと息巻いて久しぶりに路上に出る。葉っぱの雫越しに見える太陽のまぶしさに一瞬目がくらみ、目の前に立ち止まる幼い子供の存在に気がつくのが少し遅れた。彼が握り締めた拳から、ぱらぱらぱらと振りまかれた塩を少しずつ全身に浴び、自らの体が次第にとろけていく状況を思う時、自分のさあこれから表舞台だと意気込む意志を全く果たせず、そのままこの世から消し去れようとしながらも、神が与えたもう最後の最後に感じる究極のエクスタシー的な官能がそこにあるとしたら、ナメクジの予期せぬ死もあながち不幸ではないのではないだろうか。

 ロンフウフォンの柳沼シェフと森田さんの類稀なる二人の男によって醸しだされるワールドは、一夜の内に私をナメクジが溶けていくかのような不思議な感覚を覚えさせ、一夜明けた今も幸いにして溶けずに元気な姿を鏡越しに見るとき、官能は何か、旨いものを食うとはどういうことなのかを実感したりする。

 昨夜の料理もまた凄かった。これを事件といわず、なんと言おうか。

 注文したブルゴーニュの古酒(ボノー・デ・マルトレの1983コルトン エジェラン・ジャイエの1980クロ・ド・ヴージョ)にあわせて、料理を巧みに変更してくれたんじゃないかと思えるほど、料理とワインのコラボレートは楽しかった。取り分けられたお皿の上には肉とソースしかない酢豚は、なぜだか華やかで色とりどりの酢豚よりも、あらゆる情報量が満載で、ガツンと来る逸品。タロイモの食感も忘れがたし。イサキとトビウオの味わいの違いを楽しみつつ、一皿目に出された白レバーの食感も思い出す・・・。名物ピータン豆腐のトッピングは、パッションフルーツだった。すべて美味。

 また、ホワイトアスパラガスに合わせて、特別にサービスされたヴェルジェの1997サントーバン1級のおいしいこと。杏仁豆腐と1992リースリング・アウスレーゼ(造り手と畑失念)の組合せのおいしいこと。ロンフウフォン特選の1975年の日本酒の古酒の不思議なうまみ。あああ。昨夜の事件を思い起こすだけで、体は大丈夫でも、頭の中が未だとろけ状態である幸せに、あははと笑うしか手立てがないから、こればっかりはどうしようもないのである。

 相変わらず予約はぜんぜん取れないけれど、ここには幸せな食空間がある。

 ナメクジの不本意な人生が少しばかりうらやましくなったら、ロンフウフォンで疑似体験をしよう。食に命をかけた官能の世界がここにあるのだから。すっかり柳沼-森田ワールドの虜になってます。すばらしい。すばらしい。すばらしい。


おしまい


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