☆はどこに輝くの (2007/12/24)

 

 ミシュランは、お皿の上に輝くという。

 でもね。

 私は、星は、心の中で輝くと信じていました。

 先日、と言っても、そろそろ一ヶ月くらいは経つのですが、地道に半年ほど通っていた神奈川県内の某店で880円で注文した有機野菜のグリルは、やけに冷たく提供されました。この冬場。背筋を丸めて入ってくる客人の心と体を温めるはずの野菜のグリル。本来ならば、熱々で出てくるはずなのに、冷たいお皿も盛られて、私の手元に置かれるころには、なんだかとっても中途半端な温度になっていました。カウンターを挟んで、目の前で焼かれていたというのに・・。

 「ぬるくておいしくない」 

 そう呟いたら、「うちは三ツ星レストランじゃないからね」と、返答されました。 即答でした。

 ところで、この有機野菜・・・確認したわけではないのですが、野菜のポテンシャルから察するに、(ブノワトンで有名な)神奈川県伊勢原市の地を追われ、成田の地にようやくたどり着いた某氏が、命がけで育てた野菜と信じます。 お百姓さんが、命と引き換えに育てたといっても過言ではない野菜を、最後の最後になって、適当に、冷たくサービスされて、心の拠り所を探しきれず、ついには勇気を絞って、それを指摘して、そしたら、逆切れされて、なんだか、私は死にたい気持ちでした。

 「うちは三ツ星レストランじゃないからね。」

 心に宿ってしたはずの星は、無残にも粉々。 近所の回転寿司でもお皿の温度に細心の注意を図っているのに・・・。 その言葉を発した店主は、4日前に、三ツ星レストランで食事をしていたはずなのに・・・。なんのための三ツ星???。

 ああ無念。冷たいお皿に盛られた野菜のグリル。すぐに温度を失って・・・。




 どうやら、このお店とは価値観が共有できなかったようです。

 星は、どこに輝くの。

 この星の、輝けなかった無念と引き換えに、私はお店をあとにしました。私は、冷たいお皿に出すことに、失望したのではありません。命がけで育てられた野菜のグリルが、たとえ冷たいお皿に盛られても、それが、忙しかったり、単純なミスだったり、そんな理由だったなら、たいていは笑って、許しえます。次は熱いの頼みますよ。それでおしまいになる話でした。しかし、「うちは三ツ星レストランじゃないからね」と開き直られたからには、その言葉の真髄を探るほどに、この店のホスピタリティに低い限界を感じざるを得ないのです。

 誰かが言いました。「レストランはおいしいご飯を食べるところではなく、ご飯をおいしく食べるところ」

 そのおいしさに、お料理の温度と、それに対する配慮を意識したとき、「食」は大いにハッピーになりますが、逆にその無神経さに、心を締め付けられたりもします。それほどに食は難しく、しかしそこに感動も覚えると強く信じますた。そういえば、平塚の名店、ブラッスリーHxMさんの新人研修の最初は、おいしいコーヒーの煎れ方だったはずです。コーヒーカップの温度に、命を懸ける相山さんの精神は、新人君に着実に受け継がれます。

 「食事の最後を締めくくるコーヒーが温かったら、その一晩が台無しじゃないですか」相山さんの言葉が心に響きます。

 あのお店を再訪する勇気は、一月たった今でも、ありませんが、某氏が命を懸けて育てた野菜のグリルが、客人の心と体を温めてくれていてほしいと願うクリスマスイブの夜だったりします。


 mixiの日記をアレンジしつつ・・・


おしまい

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