はじめに

 僕がヨーロッパを歩いたのは、今回で2度目だった。初めての海外旅行が大学3年の夏で、 ヨーロッパ10か国を1か月以上かけて旅をした。何もかもが初めてでとても新鮮だった。 あれから8年の月日が流れ、僕は再びヨーロッパの大地を歩くことになった。この8年間に いろいろなことがあった。大学を卒業して、保険会社に入社して、その会社が 経営破綻によって清算 され、僕は失業した。

 大学時代の旅が最初で最後のヨーロッパだと思っていた。 サラリーマンには9日までの連続休暇が限界だ。9日間ではヨーロッパは歩ききれない。 せいぜい新婚旅行でツアーに参加するのが関の山だと思っていた。しかし、何の因果か僕は 再び長期間の旅を実現することとなった。8年間で僕の英語は全く進歩していなかったが、 NHK教育テレビのイタリア語会話を毎週欠かさず見ていたお陰でイタリア語は旅行会話ぐらい ならマスターしていた。今回はそのイタリア語の留学の準備のために旅立つ予定でいた。しかし、 ワイン畑への憧れとユーレールパスの購入で当初の予定とは全く異なる旅となってしまった。 予定変更こそが独り旅の醍醐味であるから、それはそれでいいと思っている。日本は大型倒産 時代を迎え、イタリア留学をしている暇がなくなっている。気合を入れないと再就職さえおぼ つかなくなる。今回は気分転換として楽しむべきだと、気持ちを切り替えることにした。

 前回の旅と今回のそれの違いは何か。ずばり金だと思っている。大学時代は金もなく、少ない 予算でより多くのイベントをテーマにしていた。今回はまがいなりにも退職金も出て、嫁も 子供もいなく、住まいは実家に居候していて金の心配はなかった。今回は金のかかる遊びを しようと心掛けた。例えばオペラであり、ホテルのランクアップであり、ワインであり、食事 だった。

 旅の過程でそれらの目標は曲げられることになった。例えば一人での食事に抵抗を覚え、結 局質素になってしまったし、オペラは寒さと盗難と上演回数の少なさのためにミラノ スカラ座での 一回ぽっきりとなってしまった。それでもホテルには金をかけた。今回はユースホステルは眼中に なかった。ユースなら友達が簡単に作れるが、今回の旅では友達作りがメインテーマではなかった。 ブドウ畑を気の済むまま歩き、地元の人達とイタリア語で会話する事が大事だった。

 それでも 結果的には日本人の友達もできた。高知の山下姉妹、神戸の震災で店を無くしたヤマウチさん、 横浜のトミタさん、新宿のコージ達だ。住所を交換した人もいれば、名前も知らない人達もいる。 外国人の人達とも、多くのことを語り合った。僕は英語力の無さをつくづく思い知らされ、英語への 執着心も生まれた。今回の旅で何を得たのか分からない。しかし、確実に出発前とは違う人間に なったと思う。スキーやテニスの海外遠征などと比べると幼稚な旅かもしれないが、一般ピーポーの 楽しみとしては、まずまずだったと思う。

 今回の旅をこんな形で残したのには訳がある。盗難に遭い写真を無くしたことが直接の原因だ。 写真の消失は僕に動揺を与え、不安にさせた。今回の旅の証しが消えてしまうことを恐れていた。 さらにパリで出会ったヤマウチさんの一言が僕を震わせたのかもしれない。「音は写真に残せない。」 フィルムを無くしてからは一層その思いが募っている。僕が聞いた音の数々を僕なりに残したく なって今回の運びとなった。おもしろいのかつまらないのかは僕には分からないが、僕の音が伝わ れば幸いである。

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