11月22日(土曜日) 出発の巻

 さあ出発の朝だ。僕は6時すぎに起床して最後の荷物チェックをした。服装はパンツ、靴下、 Tシャツ、ポロシャツ、ズボンそしてスタジアムジャンパー。冬にはなっていたが、最近の日本は 寒くないので、いつもの軽装で済ますことにした。カメラはベルトにくくり付けた。小さな リュックサックの中身は以下の通り。

●衣類● ●小道具●
パンツ2枚 折り畳み傘1本
Tシャツ1枚 新システムフィルム4本
靴下1足 地球の歩き方イタリア
セーター1着 トーマス クックの時刻表
ハンカチ1枚 会話集(イタリア語とヨーロッパ4か国語版)
スラックス1本 日産生命オリジナルボールペン3本
茶のシャツ ノート1冊とミニ手帳1冊
タオル2本 電卓
ショートパンツ1枚 薬(征露丸、バファリン、ビタミン剤、キャベジン)
絆創膏大小数枚
ミニ爪切
アーミーナイフ
髭剃り3本
半分くらい使ってあるトイレットペーパー
ティッシュペーパー

●その他● ●首から掛けたセイフティーバッグ●
海外旅行傷害保険保険証 パスポート
ワープロで縮小した友の住所録 トラベラーズチェック(リラ、ドル、フランスフラン)
コンビニのビニール袋1枚 カード(ビザとマスター、銀行キャッシュカード)
貰ったクロレッツのガム ユーレールパス
蛙のキーホルダー
伊勢神宮の交通安全のお守り
財布(1万8千円と多少のリラ、テレカ)
成田空港までの電車の乗車券・特急券

 衣類はもう一人の自分用にワンセットあればいいと思い、僅か1ヶ月にも満たない旅行に替え ズボンは必要なかった。いざとなれば現地で買えばいい。そのほうがドラゴンクエストよろしく ランクアップしながらの旅を楽しむこともできる。そして何より身軽だ。パンツは一枚替えが あれば充分かと思ったが、下痢して太めの筋うんこがついてしまった時のことを考え、もう一枚 増やすことにした。セーターもヨーロッパで買えばいいとは思ったが、着いて早々寒波に襲われて、 一人凍えるのも得策ではなさそうだし、日曜日のヨーロッパの店は休みも多かろうという事で 急遽Vネック物を準備した。

 自宅で家族と朝食をとり、7時すぎに大磯駅に向かう。前夜家族と乾杯したブルゴーニュの赤 ワイン ニュイ サン ジョルジュ95年の酔いはすでになかった。大船で成田エキスプレスに 乗り換えたが、乗客はほんの数人だ。缶珈琲一本でゆったりとした気分に浸って旅の始まりを 大いに楽しんだ。シーズンオフの海外旅行も空いていて非常によろしい。ゆったりとした旅ができ ると思っていたら、東京駅ではどやどやと満席になってしまった。楽しそうに団欒する団体客を 少しうらやましく思いながら電車は静かに成田空港第二ターミナルに到着した。JALはこの駅で 降りるのだ。よその航空会社の人は終点までどうぞ。

 10時少し前。格安チケットの悲しさで航空券はまだ持っていない。HISのカウンターに10時 集合だったが、すでにその時間になっている。間に合うと自問して急ぎ足で出発ロビーに向かう。 ところがこの駅、かなり深く掘っているらしくエスカレーターを何回も乗らなければならなかった。 時間厳守で受付が締め切られていた場合は航空券は当然手に入らない。いろいろ体裁もあるし、 予定もあるしで何とか飛行機に乗らないと格好が付かない。少し不安になった。一つ前の電車に すべきだったか。僕は久しぶりの成田空港を楽しむ余裕もなく窓口を探した。ようやく見付けた HISのカウンターはゲートの中にあった。荷物のX線チェックを受け無事通過してカウンターへ。 カウンターでは係員に引き換え券を提示して、往復のチケットをようやく手に入れた。航空券は 乗り慣れた国内線のものと違う形をしていた。

 僕が航空券をうれしそうに見ているとカウンターの 女性が空港利用税の支払いを求めて来た。この税の存在は海外3度目の僕には予定済みのことで あった。得意顔で財布を出すと金額は2040円だという。その40円て何だ。消費税分なら 100円だろうし、消費税3%のままならば60円ではないか。納得のいかない数字ではあったが、 ともかくこの40円の端数は想定していなかった。2000円だと記憶していた僕には千円札 3枚しか無く、960円のおつりに困り果てた。女性は100円玉ばかりでもいいかと尋ねて 来たが、その申出は露骨に固辞した。カウンターの女性はまさか断られるとは思っていなかった らしく、嫌な顔しながらおつりを用意している。これから旅行に行くのに日本の小銭を何枚も 持っていても何の役にも立たない。せめて500円玉を混ぜてもらわないと始末に負えない ではないか。5円玉ならチップ代わりに使えるが、それも192枚必要になってくる。そんな 200枚近いコインは今回のぶらり旅の荷物として相応しくなかった。僕はジャラジャラする 財布にしばらく憂鬱になった。

 フライト時間までまだかなりあるのでレストラン街をうろつくことに した。旅行グッズ売り場でパスポートのカバーを見付けるが300円する。この売り場は免税なの だろうか。消費税外税ならばその額15円か。前回ヨーロッパを旅行した時にはこのカバーを つけずに旅行したために、パスポートが皺皺になった記憶がふつふつと蘇ってきた。このカバーは 是非欲しいところだ。960円も645円も邪魔には違いないので、残金で買える商品を探そう。 うまい具合に近くに本屋があった。文庫本にでもするかと探すと夏目漱石がある。旅先では何度も 読める名作が良かろうと思い「坊っちゃん」を手にした。そう言えばこの小説もかなりの昔に 途中まで読んだことがある。途中というより何ページかだったか。「坊っちゃん」ではまだお金が 余る。次の作品を探すと山崎豊子の「華麗なる一族」があった。この小説は大学時代に後輩に 勧められて読んだ本だった。その後輩も今はスウェーデンで国際結婚してもう何年か経っている。 この本も確かにおもしろいのだが、なにせ分厚い上に上中下3巻の大作だ。予算もオーバー 目方もオーバーで、異国の地でもう一度読み返してはみたかったがやむなく断念した。 ドストエフスキーの「罪と罰」も同じ理由で棚に戻した。予算に合う小説を物色すると川端康成の 「雪国」と目が合った。国境のトンネルを抜けるとそこは雪国だったで始まるノーベル文学賞 受賞作だ。これ以上の名作もないし本の薄さといい、予算といいベストだと確信した。日本を 代表する二冊を持ってレジに向かう。

 ところでこの本屋さんには最新のハードカバー本も山積みされており、これから海外に出ようと いうのに、この厚くてかさばる本を買うのはどんな人だろうと人ごとながら心配した。異国に 住む日本人の友達のために最新の売れ筋本を持っていこうとしているのだろうか。良くわから なかったが、とにかく残りは320円になった。その5枚の硬貨を持ってパスポートカバー 売り場へ行く。しかし店内はすでに外国人たちで満員だった。長く掛かりそうでレジが空くまで 他の商品を見てなど過ごしていたが、客の一人があれやこれやと店員に質問していて、こちらと してはスムーズな流れが滞ってしまい少し苛立った。流れが悪い。そしてこの「場の流れ」という ものに今回の旅が翻弄されることになろうとはついぞ思わなかった。

 しばらく並んでようやくパスポートカバーを手に入れた僕は、おもむろにパスポートを取り出した。 そして透明なカバーを丁寧につけた。この時、中にどこたら神社のお札のような旅の安全を祈って いる紙が入っていた。この手の紙は捨てるに捨てられないので大変困るが、今回の旅には伊勢神宮の お守りがあるので、この紙はレシートと一緒にごみ箱に捨ててしまった。後で思うに、これが僕の 旅に影響を与えているような気がしないでもない。財布の小銭が5円玉一つになった。我ながら 完璧な買い物だと、その5円玉を道行く人に見せびらかしたい気分だった。

 しかしそんな事に興味を持ってくれそうな殊勝な人は通らなかったので、少し早いが出国手続きを することにした。そう言えば5円玉一つにしたんだったら、あの時の釣り銭100円玉でもよかった なと、カウンターの彼女に少し悪い気がした。出国なのに入国審査官に四角の印をもらって、 ゲートをくぐるとそこには免税店があった。もうすでにここは日本ではないのだ。税金を払わなくて いい場所にきた喜びが沸いて来たが、別にミラノで待ってくれている人があるわけでもなく、ここは ウィスキーの値段などを拝見して終わった。搭乗口周辺の待合室はほとんど日本人で占められている。 農協ツアーよろしく中年の男性女性のグループと、着飾ったOLたち2,3人のグループが主だった。 僕のようなバックパッカーは数えるくらいしか飛行機を待っていない。搭乗までもう少し時間が あった。小田原の友に電話を掛け 山一証券自主廃業のニュース の詳細を確かめたり、可愛い女の子は 居ないか意味もなく探したりした。

 いよいよ搭乗である。 日本航空で行く海外旅行は初めての経験で、しかもミラノまで直行するという。飛行時間12時間の 旅の始まりは12時ちょうどの搭乗開始のアナウンスから始まった。機内でのスチュワーデスの 笑顔に迎えられ自分のシートを探す。後部座席の機体が狭くなったところだった。前席までは 3 4 3に並んでいたシートが、両サイドの3つが2席になったところだった。右側は荷物一つ 置けるくらいのスペースがありかなりゆったりできる。座席に座り、シートベルトを締めて入り口で 貰った日本経済新聞でもめくっているとどうやら乗客全員が席に着いたようで、団体の添乗員が 人数の最終チェックに余念がなかった。ふと横を見ると僕の席の左は空席のままだった。ほぼ満席の 機内で僕の横だけが空いていた。これはラッキーだ。エコノミー席の両サイドが空いていて、前後は ともかく幅だけは寛げるというものだ。因みに帰りの便は3人席の真ん中だったが両隣は20代の 女性だった。これはこれで狭い方がかえって良かったりするから不思議だ。

 格安チケットに禁煙席は望むべくもなく、前の男衆3人がたばこを頻繁に吸うのを除けば快適な機内 だった。

 お絞りが配られた後で、飲み物のサービスが始まった。実はこの機内サービスが今回の旅の楽しみの 一つだった。愛読書「ワイン道」葉山孝太郎著によれば、JALの機内にはワインが赤白8本ぐらい 用意されていて、それを全部テーブルに並べると圧巻である旨の記述があったからだ。国際線の JALに乗ることになって、何より嬉しかったことがこの風景だった。スチュワーデスがやってきた。 他の乗客はビールやジュース類を注文していて、ワインを頼む人はそんなに居ない。頼んでも白一本 だけだったりした。僕はどきどきしながら、自分の番を待った。
「全種類ください。全種類ください。」

 機内サービスは無料とはいえ、遠慮も多少は必要ではなかろうか。機内で泥酔して周囲に迷惑を掛けた 男が入国を拒絶されたニュースを思い出したりしたが、たかが飲み物サービスの全種類を注文する だけでそんな仕打ちもされないだろう。他の乗客が可愛く一種類だけを飲んでいる姿は、右に倣えが 穏便のような気もさせたりする。しかし、そんなに滅多に乗れない国際線のサービスを十二分に 楽しまない手はない。

 僕は緊張で乾く唇を嘗めながら、何度も注文の練習をした。スチュワーデスが僕のラインまでやって 来た。まず内側4席のうち手前2席分の注文を取っている。ビールを注文すると缶ビールとコップと おつまみがテーブルに置かれていた。そしてついに小柄でショートカットの日本人スチュワーデスが 振り返り、僕にゆっくり微笑んだ。
「ワインをください」僕は身を乗り出して機内のゴーというあの独特の騒音に打ち消されないように 注文した。
「赤と白どちらになさいますか」にっこり微笑んだ彼女。
彼女の笑顔に緊張は最高潮に達し、発せられた言葉は台本と違った。僕はやや吃りながら
「両方ください」というのが精一杯だった。情けない。ワインもろくに注文できないくらい小心者 だったとは。全種類に訂正してくださいとも言えず、次回のサービスに持ち越すかと思ったりしたが、 スチュワーデスの態度は僕の予想と違った。
「えっ2本も飲むんですか。他の人は一本なのに」

 彼女の瞳の奥がそう言っているように思えた。ラベルにボルドーと書かれた赤白のワインが並べ られたが、他のテーブルには一つしか置かれていない飲み物が、二本並んだだけで、貧乏性の僕に とっては他人の視線が気になって仕方無かった。只でさえ満席の機内で隔離されたきらいのある席に 一人座っている僕は、恐らくこの機内で最も航空料金が安そうであるし、何とも座り心地が悪く なった。

 ワインのキャップを捻ってプラスチック製のコップに白ワインを注いだところで機内が大きく揺れた。 かなりの揺れだ。機長から気流の悪いところに突入しているが飛行には問題がないとのアナウンスが 流れた。ワインが零れるほど大きく揺れているため、機内サービスは一時中断された。この時とばかり に赤ワインをテーブル下の荷物袋に隠し、僕は一本だけ置かれたテーブルを押さえ、皆と同じになった 状態にすこぶる満足を覚えた。

 ところで下げられる飲み物の荷台にはワインは赤白一種類ずつしか見当たらず、どうやらあの8本の ワインはビジネスクラス以上のお話だったようだ。まあ、これからイタリアフランスで浴びるほどの ワインを飲む計画があるので、機内サービスは2本だけで勘弁してあげよう。

 日本時間で午後3時を過ぎた頃食事のサービスが始まった。考えてみれば朝7時に朝食を取って以来 だった。空港では日本円の小銭対策のためレストランには入らなかった。あそこにはお好み食堂系の 手頃なランチはなさそうだったし、第一、一人でのレストランは苦手だったからだ。それに12時 ちょうどのフライトでは腹に入れようもなかった。

 赤ワインと共に久しぶりの機内食を堪能した。この赤ワインは先の隠したワインではなく新たに注文 したやつだ。小心者を自負しているくせにちゃんと追加で頼むところは我ながら感心できたりする。 そう言えば食事の注文のときも小心者を思わせることがあった。
「お肉にしますかお魚にしますか」 と先程のショートカットの女性に言われたとき、思わず、お魚と「お」をつけてしまって機内の 騒音にもごまかし切れずにいたりした。食後の珈琲を啜りながら、現在の飛行位置のモニターを見たり して過ごした。今墜落するとハバロフスクか、などど考え窓の外を見た。雪景色の山脈が見えた。 落ちたら凍死しそうな位の景色だった。

 外の景色を見た次いでに機内の様子も眺めて見ると、いたいたハードカバーを熱心に読んでいる ご婦人が。あのご婦人はおそらく1週間くらいのツアー旅行だろうと推測できた。旅先であの固くて 重そうな本を持ち歩くのだろうか。いろいろな旅のスタイルがあるものだ。僕には謎が一つ解けた 思いで彼女に軽く会釈した。頑張って持ち歩いてください。

 映画は二本。ハリウッド系と中華だった。ハリウッドの方は半ば寝てしまっていたので内容もタイトル も覚えていないが、中華の方はよく覚えている。機内の制限された空間でしかも選びようのない 状況下でしか見ない程の内容で、この映画のコメントの記述は他のできごとに比べたいそう貧弱なので 割愛することにしよう。只一言だけ言えばJALよもう少しおもしろいもの上映しておくれ。

 12時間にも及ぶフライトにうんざりしながらも、ウイスキーの手を借りて何とか耐える事ができた。 イタリアは8時間の時差がある。地球の自転を考えれば、日本の夜明けから8時間遅れての夜明けと いうことになる。

 飛行機は夕暮れ時のミラノマルペンサ空港に到着した。

 いよいよイタリアに到着した。旅の疲れもあったが、8年ぶりのヨーロッパに脂ぎった顔に手を 当てながら密かな喜びを味わった。空港内をかなり歩いてようやく入国審査だ。会話集でイタリア語の やり取りを復唱した。滞在期間と目的と、宿泊先などをイタリア語で再確認した。まだ宿は決まって 居なかったが、適当なホテルの名前を探したりしていた。ところがこれはJALだったので、入国 審査はパスポートにはんこを貰っただけで他に質問は一切されなかった。拍子抜けだ。直前の緊張は なんだったんだろう。預けた荷物のなかった僕は、一番乗りで到着ロビーに出てしまった。

 これは余談だが、パスポートコントロールの時大半の日本人は無言でパスポートを差し出していた。 かく言う僕もチャオと言うのが精一杯だったが。せめて初めて出会ったイタリア人との会話を挨拶 だけでも楽しめばいいものをと思いながら、僕は人ごとながら大変心配した。団体のパック旅行の 場合、現地の人と会話をするのだろうか。日本人がよく買い物をする店は店員も日本語を喋るし、 マクドナルドでハンバーガーと言うのが関の山かも知れない。ホテルも移動手段も確保され、団体から 離れる事も余りなさそうだし。

 他人の心配よりも自分の心配をしよう。僕には宿がないのだから。市内行きのバスがどこだか分から ない。どうやらあまりに早く入国してしまったので、まだバスが来ていなかったようだ。普通の客は もう少し荷物の受け取りにてこずるらしい。空港内のトイレでパスポートを首から下げている貴重品 袋に入れて、空港内をふらふらしていると正面玄関にバスが横付けされていた。バスに乗り込もうと するとチケットをカウンターで買ってからにしてくれとのこと。日本人の男性に場所を聞いて、いざ チケット売り場へ。
「ウン ビリエット ぺル チッタ ペルファボーレ」
初めて本場のイタリア人との会話。NHKのイタリア語会話で勉強しただけの僕ではあったが、 イタリア語の勉強がメインテーマの今回の旅。おお通じた。ちゃんと通じている。料金がイタリア語で 返されたが、聞き取れず思わずレジの数字で確認してしまったりする。バスに乗り込むと車内には 日本人の家族一組と、先程の日本人男性と、外人さんが3人だった。他の日本人はどうしてこない のかと心配していると、人の心配をよそにほとんどのジャパニーズは専用のバスに乗り込んでいった。 スーツケースも係員に運んでもらっている。羨ましくもあり、しかしあれでは国内の蜜柑狩りツアーと 同じではないか。

 動き出したバスからは日本企業の看板の照明が暗くなった町に映えていた。まだ現地時間で夕方5時 すぎだというのに、もうこんなに暗い。空港から約一時間。数人しか乗せていないバスはミラノ中央駅 に到着した。前を歩く家族がさて夕食何にすると言う会話をしている。おいおいちょっと待ってくれ。 幾ら午後6時だとはいえ、日本時間では深夜の2時だ。胃を悪くしそうだよ。でも時差惚けを解消する ためにはそれのほうがいいのかもしれない。その家族も知らない間にどこかへいってしまい、いよいよ 一人になった。機内では多くの日本人に囲まれているので独り旅の実感はなかったが、いざ駅に一人で 立ってみると、まさに一人になったことを痛感した。

 ミラノ中央駅の巨大さに圧倒されながらも、僕は宿探しを始めた。地球の歩き方を広げるとこの駅 周辺に安宿が集中しているらしい。めぼしい物件に当たりを付け歩きだすが、途中からどこを歩いて いるのか分からなくなり、もうどこでもいいから適当な宿でも探そうと思った。夜の宿屋街は明りも 少なく、少し焦りだした。夜のイタリアの路地裏は物騒すぎる。途中のキオスクで地図を買おうかと 思ったが、明日になればインフォメーションで無料の地図が貰えるはずだから、ここで無駄金を 使ってもおもしろくない。日本でいう「ぴあ」のような情報誌を買うことにしたが、売店のおばちゃん によるとそれもインフォメーションで貰った方がいいとのこと。商売気のないおばさんにお礼を言い、 とりあえず現在の位置が分からないので駅に戻ってやり直すことにしよう。そう思った矢先僕の左足が 今までの石畳の路面と違う感触を察知した。うんこを踏んでしまっていた。げげっ、危うく手を突く ほどバランスを崩してしまったが、何とか手だけは勘弁してもらえた。

 ヨーロッパでは犬が市民権を得ていて街中に分身があることをすっかり忘れていた。真新しい ウォーキングシューズのぎざぎざの底にぴたっと張り付いたうんこを地面に擦り擦り駅に戻った。 これは運がいいのか悪いのか。日本時間深夜3時すぎの出来事も、ボーとする頭ではうまく状況が 把握できていなかった。肌寒いミラノの空気に触れながら駅に戻る。初めからやり直しだ。駅前広場で スケートボードを楽しむ少年らを避けて、マクドナルドの角を曲がってみた。するとペンショーネの 看板が見えた。ここに決めよう。受付は3階らしい。イタリアでは3階は日本でいう4階のことで 地面の階は数えない。エレベーターで3のところを押してペンショーネの扉を開けた。

 カウンターの 奥から年配の女性が出てきた。シングルルームは空いていますかとイタリア語で話すと、イタリア語で ドバドバと言い返された。ほとんど聞き取れない。僕のイタリア語のレベルを知ると英語も交えて 話し出してくれたが、ドッピアという単語だけが不明のままだった。後で知ったことだが、ドッピア とは英語のツインの事でシングルしか泊まる予定のなかった僕のイタリア語の辞書にはドッピアは入力 されていなかった。おばさんの言うには、今夜はシングルは満室でツインしか空いていないが明日に なればシングルに変更してくれるという。2泊の予定であったし、しかも長旅の疲れがピークを 向かえて僕は、ツインでもいいかと簡単に妥協してチェックインすることにした。値段はツインが 75000リラのところを65000リラにまけてもらって、シングルは50000リラとのこと。 シャワートイレは共同。1リラは0.0775円で換金していたので簡単な計算では、リラの一桁 おとして、かつ2割引きにすればよく50000リラなら5000の2割引きで約4000円と いったところだった。2泊で1万円と言ったところか。リラは桁が多く、しばらくは混乱しそうだ。

 延々と宿の交渉をしているとご主人も出てきて、どうやら夫婦で経営しているらしい。日本人客も 多いらしく、よく来てくれたと言っているようだった。門限は深夜1時で今夜は何かの都合で10時 以降は玄関が閉まるので、その時は呼び鈴を押して自分の部屋番号を言えば鍵が開くと言う。親切に 玄関まで降りてもらって実際に練習した。

 ミラノでの2泊分の宿も確保できて、僕は大いに安心した。宿泊先が決まるまではやはり不安だった。 部屋にはちゃんとベッドが二つ並べてあり、洗面台もあった。洗面台の横には便器の蓋と便座がない ような物が置かれている。これはなんだろうか。お湯と水の蛇口もあり、水を溜めることもできる。 洗濯のためのものなのか。よく分からないが、取り敢えず使うこともなかろう。窓の鍵の掛かり 具合をチェックして、片方のベッドに横になるが寝付けそうにない。街でもぶらついて飲み物でも 買ってこようか。僕の部屋は受付の隣だった。扉を開けるとおばさんが何やら新たな宿泊客の相手を している。彼女に鍵を預けて外に出た。

 宿のあるなしでこれ程までに景色が変わるものだろうか。すっかり落ち着きを取り戻した僕は中央駅 から真っ直ぐに伸びるメインストリートをドーモのある中心街へと歩き出した。ヨーロッパの多くの 街では中央駅は町外れにあるものである。歴史のある町並みにおいては鉄道は新興勢力で、石で 作られた街はそう簡単に壊せないのだろう、どん詰まり方式の駅は中心街からかなり離れているもの である。ミラノ然り、パリ然りだ。ここらへんの知識が2度目のヨーロッパの余裕といったところ だろうか。この余裕の見せ具合が後でとんでもないことになろうとはこの時はまだ夢にも思って いなかった。

 ミラノのメインストリートを歩いてはみたものの何もなかった。どうやらこの当たりはオフィス街で もうシャッターは下ろされているし、飲み屋などもなかった。かなり歩いて巨大なホテル群の広場 まで歩いたところでドーモまではまだ相当あることが分かり、今日のところは宿に戻ることにした。 せっかくのミラノの初夜だったが明日もあることだし今夜は旅の疲れを癒そう。マクドナルドの隣の 店で缶コーラを買って宿に戻った。ワインもあったが機内でかなり飲んでいたのでノンアルコール が欲しかった。なぜだかコーラが飲みたくて、となりのマクドナルドでも売っていたが異国まで 来てマクドナルドもなかろうと少し高かったがこの店にしたのだった。

 ペンショーネの玄関はまだ開いていて、すんなり部屋に戻る事ができた。部屋では靴下とパンツを 水洗い。パンツを洗ってしまったところで外に出られなくなった。新しいパンツもまだもったいない ので今夜ははけない。シャワーは朝入ることにしてともかく寝ることにした。トイレも外にあるため 先ほどの謎の洗面台で用を足した。次の日そこで洗濯をした人がいたなら、この場を借りて謝って おこう。こうして僕の旅の長い初日は終わったのでした。お休みなさい。

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