11月24日(月曜日) トリノでワインを買い、日本に送るの巻

 チェックアウトの朝。2日分の料金を耳を揃えて払ってペンションを後にした。帰りもミラノ発 なのでこの宿に泊まることにしよう。

 ヨーロッパでは月曜日は美術館、博物館は休館が多い。ミラノの多くの美術館も休みのようなの で、ユーレールパスを使ってトリノという街に行くことにした。このパスはイギリス以外のヨー ロッパを有効期限以内ならば乗り放題の大変便利な乗車券である。僕は15日間のファ−ストクラス を持っていた。今夜の夜行でフランスに向かう予定を立てていたので、せっかく今日から使うの だから朝から乗ろうと思ったのだ。駅で公認のスタンプを貰って電車を待つ。大体1時間に1本 ぐらいの割合で出ているのだろうか。電車が来るまで暇だったので、ミラノ駅のトイレでうんこでも しようかと考えた。ホームの外れにあるトイレは混雑していた。決して綺麗とは言えなかったがこの 程度なら及第点をあげられるぞと思って、トイレのドアを開けると愕然とした。便座の向こう側に 大量のうんこの山が壁に張り付くように存在していたのだ。どう考えても手で投げつけて作ったと しか思えない山だった。普通にしゃがんだのではあんなところに溢れるわけがない。逆向きに しゃがんだとしてもあそこまで大量になるまでには誰か気が付くだろう。僕の便意は一気に 引っ込んでしまった。気を取り直して、ここは見なかったことにした。そして小便器の方を向くと おカマさんが隣の下半身を覗き込んでいた。寒気がして、トイレは空いていたのだが、何もできずに 脱出した。

 脱出に成功はしたものの、寒気のあまり尿意を感じた。電車の時間まではしばらくある。 怖いもの見たさも手伝って再び侵入すると、先ほどのおカマさんが洗面台で化粧をしていた。 鏡の彼(彼女)と目を合わさないようにして奥へ。小便器では危険があるので、大の個室へ。 案の定トイレットペーパーはなかった。ついでに、鍵もむしり壊されていた。僕は便座に向かって 立ち、ドアを開けられないように後ろにも注意を払いながら、目的を達成した。

 トリノはサッカーのユベントスのホームとして日本でも知られている。イタリアワインでも最高級の 「バルバレスコ」 や王のワイン、ワインの王と呼ばれる 「バローロ」 などワイン好きの僕としては 外せない町だった。

 ミラノから約2時間半でトリノについた。区画整理された町並みを歩きながら、当然ながら駅の 中心部にワイン畑はなく、サッカーの試合も今日は開催されておらず、特にこの街でやることが ないことに気付いた。古い町並みは、5分も歩くと飽きてくる。観光案内所は駅からかなり離れた 場所にあって、何時間しかいない町の地図を貰う気になれず、地球の歩き方の地図で十分だと思い、 公園のほうに歩いていった。最新のオペラハウスなど見て回った後、秋の欧州の公園を散歩した。 枯れ葉を踏み締めながら、紅葉越しに見える教会に、日常生活ですっかり忘れてしまっていた 情景を取り戻したような、ゆったりとした気分に浸る事ができた。枯れ葉を踏む音はどうしてこん なに心地好いのだろうか。肌寒い空気が乾いた音を演出しているように思えた。しばらくは秋の 余韻に身を寄せてはいたものの、僕の胃袋はもっと現実的で、朝からカプチーノしか飲んでいない 窮状をより前面に押し出してきている。僕は適当な食堂を探した。まだこちらでは本格的なイタリア 料理は食べていないので、少し奮発してみようかと思った。

 繁華街に戻ってリストランテを覗いて見たが、お洒落なテーブルにグラスが並べてあり、どうもこの 手の系統の店に一人で入るのには抵抗を覚えた。お洒落な店でがつがつスパゲッティを頬張る姿は、 余り格好よくなさそうだ。金はあるのだからと、その店の前を往復したりしたが、金の問題ではなく、 寂しい食事は苦手だったのだ。結局その店は諦めて、もっとカジュアルな店を探すことにした。

 そう 言えば、駅前にセルフサービスのスパゲティ屋さんがあった。ただ駅までかなり歩く。ここらで 何かないかと探すと、煙草屋の隣にセルフサービスの店があった。おそるおそる店へと続く通路を 歩いていると店員の女の子に見付かってしまった。もう後戻りできなくなった。彼女にチャオと挨拶 して、並べられた料理を見た。彼女がお皿の中身を一つ一つイタリア語で説明してくれる。あまり 親切にされると惚れてしまうよ。何でも好きなのを取ってねと言われたような気がしたので、僕は 手前にあったサラダ2種類を取った。飲み物は白ワインを頼んだが、スパークリングしていた。 レジの前まで案内されてパンとフォークを取り、会計。学食のような作りのテーブルに座り、ようやく 食事にありついた。探し始めて1時間くらいか。慣れてくればもう少し早く食べられるようになる だろう。店内は時間帯も外れているので何人かしかおらず、皆一様にパスタを食べていた。人の食う パスタほどうまそうに思えるものはないわけで、僕も無性に食べてみたかったが、一人で食べる 食事の後ろめたさが小心者の僕に襲いかかった。別にとり立てて難しいイタリア語を使うわけでは なかった。これが牛丼屋なら怯まず「あっ卵もつけて」とか言えるのだが、この手の食堂でも一人で 食べることに気後れして、パスタも先送りしている自分に気が付いたりした。

 サラダでも十分満腹感を覚えたので、パスタは次回の課題にして街へ出た。夜行電車まではまだ十分 にある。僕が乗ろうとしているのは21時にミラノを出発してこのトリノを経由してパリヘと向かう 電車だった。トリノには23時すぎに到着する。僕はここで考えた。夜行電車にこの町から乗るか、 それともミラノまで戻って始発から乗るか。東海道線でも、品川から下りの電車に乗ってもまず 座れないが、始発の東京駅からなら少し待てば確実に座れる。しかしミラノに戻るのは同じ道は 通りたくない僕の信条として抵抗がある。しかも5時間近く時間のロスもある。この町にいれば夜の 11時まで楽しむことができる。

 僕は大いに悩んだが、この町の娯楽と寒さを比べた結果ミラノに戻ることにした。オペラでは電車 に間に合わず、映画では2本ぐらい見ないと間が持たない。電車ならば本も読めるし金も掛からない。 それに第一、暖房が効いている。僕の「同じ道は行かない」という信条はこうもあっけなく捨てられて しまったわけだ。

 駅に向かう途中酒屋を見付けた。ショーウィンドーにイタリアの銘醸ワインが飾られている。 ボルドーで大量にワインを買う予定であったが、せっかくイタリアにきているのだから無視する事も ない。中に入るとオヤジさんが友達と談笑している。ワインはイタリアものばかりでなく、フランスの シャトーワインもあった。しかも僕の欲しいワインが所狭しと並べられている。一例を挙げれば、 シャトー・ムートン・ロートシルトの83年が15000円くらい。これは安い。日本で買えばこの 3倍はしそうだ。最近のラフィットやオー・ブリオンも1万円そこそこだ。シャトーヌフ・ド・パブの 年代物もある。イタリアンワインのコーナーに目を向けると、これまた銘醸品が並んでいる。僕は 嬉しくなって主人に掛け合った。この店で日本に送ってくれるか。それが可能なら是非何本か買い たいと。イタリア語しか話さない主人とも何とかコミュニケーションできた。ここで思い切って買うこ とにしよう。僕のもうひとつの信条「目が合ったら買う」に従うのだ。結局、ガイヤ社のバルバ レスコと出発前にソムリエ世界一の田崎真也氏が雑誌で紹介していたブルネッロ・ディモンタル チーノそれにバローロの3本を買った。合計で32000円くらい。さすがに3本も買うと安く ないが、特にガイヤ社のバルバレスコは日本では入手し辛いので、金額の問題ではなく、ここでしか 手に入らないという焦りが僕に決心させたようだ。

 カードで支払いを済ませた僕はご主人のワインを包む手をじっと見ていた。なかなか年季の入った 暖かそうな手をしている。バローロには専用の箱があるという。他の2本は紙でくるくると巻いて いる。そして主人は僕に3本のワインを丁寧に手渡してくれた。

 おや、ご主人、日本に郵送してくれると言ったじゃないか。僕は慌ててイタリア語の会話集を 見ながら交渉したが、主人はとりつく島もない。どうやら、これを持って郵便局に行けば日本に 送れるから、と言っている。僕が途方に暮れていると、主人は友達との会話を楽しみ出した。 話がちゃうやんか。大阪弁で抵抗してみたものの全く相手にされず、僕はなぜだか3本ものワインを 抱えて店を出ざるを得なかった。辺りは暗くなっている。3本のワインを抱えたまま、旅は続け られない。かと言ってせっかくの銘醸ワインを返品するのも惜しい。僕は仕方なく郵便局まで抱えて いくことにした。

 今思えばここからのやり取りはドラゴンクエストさながらだった。主人に郵便局の 場所を聞くと、ここからそんなに遠くない。郵便局では窓口を一度間違えたが、正規の窓口で交渉を 開始した。担当の女性によるとワインはこのままでは送れないので、梱包が必要だとのこと。なるほど 梱包までは自分でしろというわけか。梱包できる場所を聞くと、住所のメモをくれた。地球の歩き方 の地図でその場所を尋ねると、地図が小さすぎてこの地図では説明できないらしい。彼女は角を 曲がった所に観光案内所があるので、そこで詳しい道順は聞いてくれと言った。僕は仕方なく ワインを抱えて観光案内所へ向かった。

 ここで貰う予定のなかった地図を入手、メモを渡しその場所 にマークをしてもらう。郵便局員は遠くないと言っていたが、その指定された場所はかなり遠かった。 道行く人にマークされた付近で場所を尋ねるがここで間違いはないと言う。僕は自分が探しているの は梱包屋さんだとばかり思っていた。梱包ということは文房具店のことだろうか。この辺りを歩いて いると、ちょうどマークしてもらった円の中に文房具店を見付けた。この店で郵便局に教えてもらった 店を聞こうと思ったが、客の順番を待っている間に、ここで梱包してもらおうという妥協点を見付けて しまった。ここかもしれない。僕の順番が回って来て早速交渉開始。ところが僕のイタリア語が 通じない。仕方なく英語で説明するが、要領を得ない。お客もだいぶ列を作り出してしまった。 ここは休憩がてらに客たちを先に会計させることで決着した。この店も結構繁盛しているようだ。 お客の青年が僕らのやり取りを見ていたらしく、自分の会計の時に通訳を買って出てくれた。彼の お陰で意思の疎通が図られ、店の主人も納得してくれたようだ。僕が梱包用にセーターを取り出して ワインを包んでいると、家庭の主婦が英語で話し掛けてきた。見るとなかなかの美人であり、英語も うまい。彼女が言うには、セーターでくるむのもいいけれど、私だったら新聞紙をくちゃくちゃに してクッションにするわとアドバイスしてくれた。なんかどうでもいいことかもしれないが、こういう その町に住む人々との会話というのは本当に心が温まる。地元の人の親切が、異国での寂しさの 隙間に入り込んでくるのだ。

 ようやく僕の番が復活したようで、やおら主人は倉庫からダンボールを 持ってきて梱包を始めた。サイズがうまく合わず苦労していたが、セーターを入れたり、ブツブツの シートでカバーをしてくれたり、どうにか梱包に成功した。イタリアでは郵送の際、紐で縛って 専用の金具をつけるようで、主人は梱包の出来栄えに満足の様子だった。これを郵便局に持って いけばいいよと教えられ、300円くらいの料金を払い、さらに重くなった荷物を抱え郵便局へ 急いだ。すでに5時は過ぎており、真っ暗だった。この時間で郵便局が閉まっていたら洒落になら なかったので、小走りに目指した。幸いそこは中央郵便局だったのでまだ開いていた。完壁に梱包 された荷物を差し出すと少し局員の様子が違う。どうやら指定された所で梱包も郵送もできたとの こと。それでも、もうここまで戻ってしまったので今更往復もできない。郵便局ならちゃんと仕事 しろと交渉すると、嫌々ながら荷物を受け取った。

 郵便関係の書類をワインごとに書かされて、なおかつイタリアでの住所も必要だという。今夜 夜行でフランスに向かう予定の僕に住所があるはずもなく、仕方なく昨夜のミラノのペンションの 住所を書いた。箱に住所も書けと言われ、漢字で自宅の住所を記入すると、局員がアルファベットで 書くよう指示してきた。だがよくよく考えるとイタリアの郵便局員がこの荷物を運ぶのはイタリアの 空港までで、まさか日本の僕の自宅まで運ぶはずはないだろう。だから日本国内の住所は日本語の ままのほうが都合は良さそうだ。ただ国名だけはGIAPPONEまたはJAPANと書かなければ ならないが。僕の指摘をよそに郵便局員はわざわざ漢字の住所に×を付けて、アルファベットの アドレスを丸で囲んだ。まあ、無事届けば問題はないので、ここであえて印象を悪くすることもない だろう。

 さていよいよ会計だが、これが何と1万円以上もする。僕が驚いて交渉するとこれはあくまでも 別サービスなので、この金額で都合が悪ければ先程の指定した場所へ行けと言われた。僕は疲れて いたし、辺りは真っ暗だし、その場所は遠いしの三拍子揃っていたので、その金額で観念することに した。思わぬ出費に失望しながら、財布を覗くとリラがなかった。カードもトラベラーズチェックも 使えないとのこと。銀行も閉まっている。ここまで交渉して金がなくて送れないとは、みっともない 話だ。僕が諦めていると局員が何やら話し掛けてきた。カードでの支払いはできないが、向かいの ローマ銀行のキャッシュサービスで現金が引き出せると言う。これはいい情報だ。荷物を預けたまま 僕は銀行に向かった。道路に面したところにその機械はあった。どうやら銀行のCDではなく、 VISAカードの現金サービスのようだった。日本ならば駅のコンコースとか、建物の中にあるような 機械だが、こちらでは道路にむき出しだった。言葉はヨーロッパ各国の言葉が選べ、僕は英語のキーを 選択した。一部不明な単語もあったが暗証番号を入力するといとも簡単に現金を引き出すことが できた。無事1万円相当のリラを獲得した僕は郵便局に戻り、先程の局員に支払った。レシートを 発行して貰い、このワイン騒動は決着したのだった。

 この騒動も当然イタリア語が主流で補助的に英語が使われていた。どうやら僕は会話の8割方は 理解できていたのだが、残りの2割を分からないまま、自分でいいように解釈していたようだった。 そしてその2割は決定的な部分だったりして、日本語でならあっという間に解決する出来事にも、 これ程までの労力を必要としてしまうのだ。ドラゴンクエストでも、話をいい加減に聞いていると 後でどこへ行ったらいいのか分からなくなる。あれと同じだ。ふー。自分のふがいなさを恥じなが らも、目的自体は達成できた喜びが僕の疲れを癒そうとしていた。

 トリノの駅に向かいながらのウィンドーショッピングは、ワイン獲得の後だけに余裕があった。 アルマーニやベネトンの店を覗いては、日本に帰る頃にはこれらの衣装に身を包んでお洒落に なろうと思った。ただ今回の旅は始まったばかりだ。夜行列車やイタリア南部の貧困さを考えると、 買い物は帰国直前にしたほうが安全だ。

 トリノの駅で今日初めて日本人に出会ったが男だったし、面倒臭かったのでとくに話し掛け なかった。駅の売店で菓子とビールを買って電車に乗り込んだ。結局今日も一日中歩いてしまった ようで、冷えていないビールでも十分体に染み込んできた。

 ミラノ中央駅に戻って、朝のトイレに戻って見ると、綺麗に掃除されていた。あの山が無くなって いてなんとなく残念な気持ちになった。

 駅で夜食とワインを買い込んで、僕は久しぶりの夜行電車に乗り込んだ。ヨーロッパを走る国際 電車は、コンパートメントといって6人掛けの部屋に区切られている。この部屋も座席を前面に ずらすと一つの部屋になって、ゆっくり足を伸ばして眠ることができる仕掛けになっている。夏の 観光シーズンともなれば満席にもなるが、今は11月後半のシーズンオフで、乗客はそんなに多く なかった。僕はファーストクラスの禁煙席に陣取って出発を待った。部屋の電気を消して扉を閉めて 侵入者を防いでいたつもりだったが、誠に残念ながら一人のアメリカ人の青年が入ってきてしまった。 ここは予約席かと尋ねられ違うよと答えた。彼も安心したようで自分の荷物を棚に上げて、寛ぎ だした。僕は昼間の疲れが出てきていたので、適当に挨拶だけで済まそうと思ったが、彼はいろいろ 質問してきた。若干面倒臭かったが、キャンディーをくれたのでその一粒に愛想を振り撒いて しまった。彼はこれからパリに行くという。僕は手前のディジョンで降りるつもりだと答えた。動き 出した電車の中でしばらく弾んだ会話も僕の疲れから、とぎれがちになった。青年も気を遣って くれて、照明を消してくれた。いい奴だった。

 暗くなった室内に再び明りがっいたのは乗車券の確認のときだった。ヨーロッパの駅には改札は なく、乗客は車内で乗務員に切符を見せるシステムになっていて、その乗務員がやってきたのだ。 僕がユーレールパスを見せると、それを確認して別の部屋へと向かっていった。ちょっと待て。電気 点けっ放しだと、言いたかったが言いそぴれた。僕と目が合った青年が笑顔で再び消してくれた。 かなりいい奴だ。

 深夜電車はトリノについた。昼間の出来事を思い出して、やっぱりミラノに戻ってよかったと 思った。電車の中は暖かくて快適だ。僕は再び目を閉じて、ゆっくりと眠りに就いたのだった。

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