ドメーヌ・ジャン・タルディ
Vigneron : Domaine Jean TARDY et fils
ヴィニュロン : ドメーヌ・ジャン・タルディ
本拠地 : ヴォーヌ・ロマネ村
看板ワイン : 特級エシェゾーなど
特徴 : ファミリー・ドメーヌの前に立ちはだかる壁
備考 : 小作契約終了の危機を乗り越えて・・・
エシェゾーの畑にて ギヨーム・タルディ氏

ドメーヌ・ジャン・タルディの憂鬱 - ブルゴーニュの現実と突破力 -

 ヴォーヌ・ロマネ村の名門ドメーヌ・ジャン・タルディの若き当主ギヨーム・タルディは、ブルゴーニュワインの大きな壁に果敢に挑戦しているヴィニュロンである。彼の苦闘をここに紹介することによって、ブルゴーニュの抱える現実の一端を知ることができればと思い、筆をとることにした。

 ドメーヌ・ジャン・タルディはギヨーム・タルディの祖父ヴィクトル・タルディが創設したドメーヌで、隣のフラジェ・エシェゾー村から転居したばかりのヴィクトルは、自らの畑を所有しておらず、1920年に、ヴォーヌ・ロマネ村の名士カミュゼ家(現在のドメーヌ・メオ・カミュゼ)からぶどう畑を小作賃貸契約(メタヤージュ)によって借り受けて、ワイン造りをスタートした。その後、ヴィクトルの息子ジャン・タルディは、1966年にドメーヌ・カミュゼと特級クロ・ド・ヴージョとヴォーヌ・ロマネ1級レ・ショーム、ニュイ・サン・ジョルジュ1級ブドーの畑について賃貸小作契約(メタヤージュ)を締結し、今日のワイン造りを本格スタートさせたのだ。

 そして、その契約が2007年をもって終了する。

 フランス社会においても契約の履行は最も尊重され、そしてそれが更新されることは、まずないようで、最近の事例(ドメーヌ・ジャック・フレデリック・ミュニュレに戻ったニュイ・サン・ジョルジュ1級クロ・ド・ラ・マレシャルやドメーヌ・コント・リジェ・ベレールによる特級ラ・ロマネ)と同様の展開を見せると予想される。メオ・カミュゼ家との小作契約が終了すると、耕すべく畑が消滅することから、ジャン・タルディは早くからメオ・カミュゼ家以外の地主と掛け合い、耕作畑の拡大化を実施してきた。まずは1981年にパストゥグランの畑を獲得し、続いて3つの村名畑を、シャンボール・ミュジニ(1984)、ニュイ・サン・ジョルジュ(1989)、ヴォーヌ・ロマネ(1999)の順に確保した。そして2002年にはパリ在住の資本家より特級エシェゾーをトリューの小区画に確保し、今年2006年よりフィクサン村の区画も耕作可能となったのである。

 ここで、ドメーヌ・ジャン・タルディの畑(村名と小区画名)を耕作面積と共に、リストアップしよう。

 1ha00a ブルゴーニュ・パストゥグランとグラン・オルディネール
 0ha32a シャンボール・ミュジニ レ・アテス
 0ha45a ニュイ・サン・ジョルジュ バ・ド・コンブ VV
 0ha34a ヴォーヌ・ロマネ ヴィニョー
 0ha42a フィクサン ラ・プラス (2006より)
 1ha55a ヴォーヌ・ロマネ1級 レ・ショーム
 1ha05a ニュイ・サン・ジョルジュ1級 ブド VV

 0ha26a 特級クロ・ド・ヴージョ グラン・モーペルテュイ
 0ha34a 特級エシェゾー トリュウ VV

 現在のドメーヌの面積は、合計すると5ha72aとなるが、赤字の3区画は、それぞれにジャン・タルディにとっての看板的ワインであり、その区画がメオ・カミュゼ家との契約により2007年に終了する。赤字を除くと、所有畑はちょうど半減し、2ha87となる。この面積では、親子ふたりの家族ワイナリーといえども経営の存続は大変厳しく、ましてや稼ぎ頭のワインを失い、高値で売ることができないパストゥグランとグランオルディネールの区画が、小さい耕作面積の1/3以上を占めることから、ドメーヌ・ジャン・タルディにとって最大の危機が、まさに、来年に迫ってきている。

 そして、これがブルゴーニュの現実なのである。世界的な銘醸地ブルゴーニュの畑を、それも特級畑や一級畑を購入することは、資金的にも、限られた面積的にも、非常に厳しく、家族経営ワイナリーにとっては、2006年に開始されたフィクサンのように、新たなる小作契約を結ぶか、宝くじに当たるかでしか、畑の拡大は困難のようである。(しかし、その一方で資金的に余裕のある大ドメーヌによる買収劇も活発化しているが・・・)

 ギヨーム・タルディは、今後どうするのか、エシェゾーの畑で問うてみた。「畑は、今後も探し続ける。今はオート・コート・ド・ニュイのシャルドネに興味がある。そしてぶどう果汁の購入という手段も検討している。」

 ぶどう果汁の購入によるワイン造りは、ドメーヌワインのカテゴリーには入らず、ネゴシアンワインとなるが、彼は栽培の段階から親密にタッチして、単なるネゴシアンワインとしてではなく、ドメーヌワインと同様の、高品質なワイン造りを実現したいという。この考え方は、天才醸造家・故ジェラール・ポテルの息子で、自ら立ち上げたネゴシアン業で大躍進を続けるニコラ・ポテルと同じである。従来のネゴシアンワイン=商売ワインを打破し、ドメーヌ・ジャン・タルディが造るもうひとつのワインという位置づけの元、今後もワイン造りを続けていきたいとのだという。そして、できることなら、そのぶどうは従来のアペラシオンであるレ・ショームやブドーを確保したいのだという。

 そういえば、ピュリニー・モンラッシェの名門ドメーヌ・エチエンヌ・ソゼは、相続手続きにより分割・半減された畑から収穫するぶどうだけでは、ワイナリー経営はできないと判断し、エチケットにドメーヌ名を外し、ただ単にエチエンヌ・ソゼとだけ明記して、ネゴシアンワインの取り扱いを並行することによって、経営の安定化を図っている。ソゼの手法は、ギヨーム・タルディに大いに参考になることだろう。

 ワイン造りにおいて、畑作業を最も重視し、大地に最大限の敬意を払うドメーヌ・ジャン・タルディ。その精神は祖父から父へ、そして父から子へと受け継がれ、ワイン造りの情熱は、契約社会の狭間に押しつぶされようとしながらも、絶えることはなさそうである。

 国道74号線に面した自宅兼醸造所の半地下のカーブは、それほど広くなく、しかし、そこの半分が空きスペースとなってしまう恐怖は、ギヨーム・タルディに迫りながらも、2007年問題を如何に克服するのか、その手腕が問われると共に、彼の必然性と行動力に大いに期待したいと思うのだった。

 華やかな食卓を飾るブルゴーニュワインにあって、ジャン・タルディが抱える問題は、テーブルでの会話にふさわしくないのかもしれない。しかし、一杯のワインを楽しむ時、そのワインの裏側や過程を知ることもまた、ワインの楽しみの一つであり、現場の情報を共有することは、華やかな食卓に、いつもとは違った思いを乗せることができるだろう。ワインは大地の恵みであり、天の恵みでもあるが、それは人の手によって造られる。造り手の苦労を知らなければ、知らないなりに楽しめるが、知ってなお、違う楽しみが味わえるところもまたワインの奥深さと思うにつけ、ここにドメーヌ・ジャン・タルディの直面する壁を紹介してみたのだった。

 彼のワインを飲むとき、今まで感じられなかった味わいが、グラスの中に現れるとうれしい・・・。


ギヨーム・タルディ氏と特級エシェゾー

以上

2006/05/29 (2006年春 本人へのインタビューとドメーヌから頂いた資料を基に構成)

 


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