ジョルジュ・ルーミエ
試飲日 2000年7月16日
場 所    神奈川県内JR沿線某所
照 明 白熱灯 et 皆既月食
種 類 フランス ブルゴーニュ産AOCワイン
生産者 Domaine Georges Roumier ( Chambolle - Musigny)
Vintage 1980年代
テーマ ルーミエの名作を皆既月食の夜に。
ワイン
Corton Charlemagne 1986
   Bonnes Mares 1987


 ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエは赤ワインの名手であり、ブルゴーニュ十傑に入る トップドメーヌである。そのトップドメーヌの名品を試飲した。熟成の頂点に達しつつある 名醸ワインを飲める機会はそう多くない。しかもセラー蔵出し直後の完璧な保存状態のワインを、 である。さらに今宵は皆既月食。最高の環境で素敵なパートナーと楽しむワインに何の不満があろうものか。


<コルトン・シャルルマーニュ>
 ドメーヌ名のGeorges氏より数えて三代目の当主クリストフが作るコルトン・シャルルマーニュ は、その存在自体に価値がある。赤の名手が唯一造る白が世界最高峰の コルトン・シャルルマーニュであり、125ケース(記事参照)という少なさでは 市場で見かけることは、ほとんどない。 このワインの印象は、ルイラトゥールのそれとは趣が異なる。ルイラトゥールは コルトンシャルルマーニュの代表であり、基準であり、公式晩餐会の必須アイテムである。 その味わいはまさにコルトンシャルルマーニュそのもので、という表現も変だが、 万人が万人とも美味いというワインである。

 かたやルーミエは、通好みのワインに仕立て上げている。熟成がそうさせるのか、 単なるマロンフレーバーを超え、甘さの中に大人の渋みも併せ持っている。 この渋みは一瞬のためらいを覚えるが、飲み進むにつれ、その深みを堪能することとなる。 十分なとろみと、こくのある味わい、さらに前述の渋みは極上の辛口ワインが共通して持つ 甘味成分に、いい意味でひとヒネリを加えている。典型的なマロンフレーバーにルーミエの 小技が効いて、上品な黄金色は見る者を魅了しつづける。


<ボンヌ・マール>
 このボンヌ・マールを5月に飲んだときのコメントは、「とほほ」であった。13年の時が流れ、 その過ぎ去った歳月を取り戻すに余りある味であった。いや違う。13年もの時を重ね、 幾重にも纏った歳月の重みを骨の髄に染み込ませるに十分な味わいだった、だ。

 ワインはこの味を長い間待ち侘びて、ルーミエのセラーでひっそりと出番を待っていた。 品のよい茶褐色と漂う芳香は、ワインを口にする前にすでに私を打ちのめしていた。 丸みを帯びたタンニンには言葉を失わせ、とほほ、という表現はこのボンヌマールにこそ 当てはめられる。

 今回も同様の感動に包まれた。包まれてしまった。この包まれ具合はなんとも心地よい。 ボンヌマールといえばその名に似つかない猛々しさで知られる。このワインは熟させてこそ、 その本領を発揮するという。まさにそのとおりなのだろう。

 しかしロバートパーカーJrはその著書の中で、若かりしこのワインを絶賛している。 「ボンヌマールは傑出格にまで育つ力を秘める。というのも、目覚しい奥行きと熟度、芳醇さ、 すぐれた色調、なめらかで調和のとれたビロードを思わせる舌触りゆえ。果実味も見事なもので、 1987年産の数ある名品のひとつ。」(ブルゴーニュより抜粋)

 つまりはこういうこと。熟成によって美味くなるワインは最初からうまいもので、 その秘めた力は当初より垣間見られるのだと。ロバートパーカーの卓越した テイスティング能力には脱帽せざるを得ない。彼のつけた点数によってワインの価格が 影響を受けるのも、納得できる。

 私にはこのボンヌマールの熟成を待つ経済力はない。しかし、追い求めれば今回のように 熟成された逸品に出会えるはずだ。ブルゴーニュは希少だが、その欲求度によって必ず手に 入るものなのだと信じている。たとえばこのボンヌマールのように、である。


<記事>
コルトンシャルルマーニュ 0.6ha 1975年入手 出荷数:1200〜1400本 (1995年は882本)


<おまけ><ルロワについて>
 前日に飲んで絶賛したルロワのボーヌ・サン・ヴィーニュも上記のワインの間に試飲した。 ルロワのボーヌ1級は名作であるが、やはりご当地屈指のドメーヌが造りだすグランクリュには、 残念ながら及ばなかった。これは至極当然だ。ワインの第一は場所なのだから。 ルロワとルーミエを比較するのは、そもそも無意味である。それぞれの個性を 楽しむべきである。しかしどうしても比べたいなら、同一畑の同一ビンテージの条件が必要だ。 場所もランクも年号も違っていては、評価のテーブルにはつかない。
 ワインにはそれぞれの特徴があり、その特徴を最大限に引き出してこそ喜びを堪能できる。 ワイン自体に罪はないが、選ぶ人間の力量によってそのワインの価値が変わる。 飲み手の立場や知識によって本領を発揮できず、駄目の評価を一方的に押し付けられるとしら、 それはワインに酷な話である。


<ドリンキングレポート>
 クロ・ヴージョ1996
 シャンボール・ミュジニ1995


以上


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