ドニ・モルテ考  にしかたゆうじ 2006/02/11
 2006年1月30日午前(11時ごろ)。ジュブレ・シャンベルタンに本拠地を構え、ブルゴーニュを代表する造り手の一人ドメーヌ・ドニ・モルテ当主ドニ・モルテ氏が拳銃自殺にて他界されました。享年50。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。ここに故人の思い出などを少しばかり記してみたいと思います。

 ドメーヌ・ドニ・モルテはフランスの評価本「ル・クラスマン」で、DRCやルロワなどと同じく最高評価の三ッ星評価を得ている造り手で、個人的には、ジュブレ・シャンベルタンの新御三家(ベルナール・デュガ・ピィとクロード・デュガと共に)と呼んでいます。彼の造るワインはモダンスタイルと評され、入念な畑仕事は最高レベルの尊敬に値し、新樽100%の濃くって強い味わいは、ボルドー好きな人たちからも支持を受けやすく、どちらかといえば、アメリカ人好みのテイストを特徴としています。

 私と彼のワインとの出会いは、1996年ビンテージに遡ります。当時、ワインセミナーに通い始めた頃に、1996年のマルサネ・ロンジュロワとジュブレ・シャンベルタン、そしてジュブレ・シャンベルタン・オー・ベレを短期間に集中して飲み、それはボトルの数にしても相当な量に上りました。同じワインを集中して大量に飲みながら、そのたびにドニ・モルテの甘くて、時に切ないチョコレートのような香に心ときめき、喚起の声を上げたものです。そして運命的な出会いとも言いたい、1996年ブルゴーニュ・シャルドネとの出会いは、まさに強烈で、それは当時の憧れのワイン、コルトン・シャルルマーニュに共通する奥深い味わいで、価格の枠を超え、強烈なインパクトを私に与えたのでした。そのインパクトの強さをして、立ち上げたばかりのホームページにその感動を記させ、それは回顧録だったにもかかわらず、その味わいを思い出すたびに、パブロフの犬よろしく、唾があふれてくるのでした。

 「いとしのドニ」

 ドニ・モルテの甘酸っぱくも、ふっくらとした味わいは、ブルゴーニュワインの輝きに彩りを与え、ブルゴーニュのトップスターばかりを飲み続けながらも、その存在感は消えることはなかったのです。ドニのおいしさをして、ブルゴーニュを決断するような、そんなおいしさでした。

 その後、いろいろあってブルゴーニュのドメーヌを巡るようになって、トップスター系のドメーヌのほとんどをめぐりましたが、ドニ・モルテへの訪問だけは、なかなか適いませんでした。マスコミ嫌いで有名なドニ・モルテは、異国の訪問者を容易には受け入れず、「そんな時間があるのなら、畑に出ている」」と言われ続け、ジュブレ・シャンベルタンのドメーヌめぐり完全制覇の夢は、容易には適わなかったのです。しかし、ドニへの思いに関しては、誰にも負けることはないという自負は、結局はドニ・モルテからドメーヌ訪問の許可をうるにいたり、形作られました。毎回つたないフランス語を駆使して電話しては、断られること約1年。ようやく訪問の許可が出た時の喜びようは、ほかの造り手の許可とは比べようもないほどでした。

 そんな、いとしのドニでしたが、数年間にわたり何十本も意識して飲み、すべてのアペラシオンも複数のビンテージで飲んだことで、ある程度の結論もつき、また高騰しつづける価格に一歩引きつつ、ある程度の距離感をもって接するようになります。この距離感がワインセミナーで、自らが独占的に飲むのではなく、そのワインを紹介しうる原動力になったのですが、この話は長くなるので、追々ということで・・・。

 最近は、自然派ワイン台頭の波を受け、自ら率先してドニ・モルテのワインを求めることはなくなり、店頭で見かければ、「値段も高くなったなあ」と嘆きながら、ボトルを触るだけの日々も続きました。若いビンテージのドニ・モルテのワインに共通する新樽香と濃くって強い二次元的な味わいに、それを飲む前から味わいの想像ができ、(それはほとんど裏切られません・・・)、少しばかり距離を置きたくなったのです。これは、時を同じくして嵌ることになる自然派ワインの薄くてぼんやりとしながらも、三次元的な余韻の長さに心奪われてしまったからでもあります。

 しかし、ドニ・モルテのワインは、ワインセミナーで用いれば、参加者の(特にブルゴーニュに馴染みのない方の)心を一気に引き寄せる力を持っています。それはあたかも数年前に初めてドニ・モルテのワインを口にした私自身の時のように・・・。特にボルドー好きな人たちが、初めておいしいブルゴーニュに接しようとする時、その入口にドニ・モルテは欠かせない存在です。思うに、ボルドーの左岸から右岸を経て、ブルゴーニュにたどり着いた人たちは、パカレ的な、あるいはジョルジュ・ルーミエ的なおいしさからではなく、ドニ・モルテ的な味わいからのほうが、ブルゴーニュをイメージしやすいと思います。これは熟した果実味と新樽香のなせる業かと思いながらも、インパクトの強いワインは、ボルドー右岸のサンテミリオン・スタイルとも共通項を見つけやすく、ブルゴーニュといえば、ただ薄くてすっぱいだけの記憶しかなかった人たちに、「むむむ」と考えさせる力を持っているのです。そんなドニ・モルテの魅力に惹かれ、そのワインを大切に扱おう人々と接することは、ワインの次なる喜びにも通じ、共感という名の元に、なんだかとてもうれしい瞬間なのでした。

 ブルゴーニュを飲み進めるうちに、ドニの新樽香は、すこし飽きてくる印象を持ちますが、それでも熟成の妙が表現されると、一気に「いとしのドニ」の頃に戻ることができます。甘く切ないモードに突入するからです。この甘酸っぱさは、初恋の頃の思いに似て、なんとも感傷的になりやすく(自分だけという説もありますが・・・)、ワインという飲料の不思議な力に感謝したりします。

 訃報を受け、先日、2000年のジュブレ・シャンベルタン1級を某店で某氏らと一緒に飲みました。このワインはセミナーの定番ワインであり、過去にケース単位で抜栓しているものですが、その夜も、熟成の妙に到達したピノ・ノワールの優しい味わいに、心と身をゆだねつつ、今ではその香や味わいに醸造上のテクニックなどを見出せるようになってしまっている身をして、それでも静かに楽しむことができ、ロブマイヤー・バレリーナ・グラスVの内側のガラス面を静かに濡らすジュブレ・シャンベルタン1級は、ブルゴーニュワインに魅了された頃の、あのいとしのドニの味がして、また訪問した時のドニ・モルテ氏の甲高い声や、仕草が走馬灯のように思い出されては、一枚板で作られたカウンターに空になったボトルを置きつつ、そのラベルを何度も摩っては、その長めの余韻に浸るのでした。

 ジュブレ・シャンベルタンをディジョン発60系統のバスで訪問する時、ラボーという名のバス停で降りると、その脇の建物はドメーヌ・ドニ・モルテの醸造所。またすぐそこの畑は、彼が所有する村名畑です。季節を問わず、どこよりも美しく手入れをされた畑は、旅人をやさしく、時に無関心に、歓迎してくれます。バスを降りたり、あるいはそこでバスを待ちながら、醸造所に止めたトラクターのチューニングをしたり、ボルドー液の噴射口の手入れをするドニ・モルテ氏の姿を思い出しては、難しそうに頭を抱える氏の後姿が脳裏をかすめます。

 ドメーヌ・ドニ・モルテ・・・。彼は生前に、自分の名が前面に出たようなワインではなく、ジュブレ・シャンベルタンなりのテロワールが表現されたワインを造ることが目標だと語ったことがあります。若いうちは、ドニ・モルテ節ともいえるパーソナリティが際立つワインが多いですか、彼のワインをしばらく熟成させれば、畑のテロワールがようやく開花して、大地の恵みが味わえるのだとするならば、人の命よりも長いワインの寿命に、ある種の感慨を持ちつつ、数年後にワインを抜栓するのも悪くない作業かもしれません。

 故人をしのび、ワインをあける。ワインを造った人だけが持ちうる最高の極みがここにあるような気がして、ワイン造りの尊さを改めて実感したりするのでした。(おっとこれは、絵画や音楽にも共通しますね)。

 ドニ・モルテ氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


つづく


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