昨年末から今年にかけて、ムルソーというよりは世界の二大ドメーヌであるコント・ラフォンとコシュ・デュリを飲む機会に恵まれた。非常に幸せなことであるが、ふと思ったことがあるので少しまとめてみたい。 1998年ビンテージが少し変なのだ。 某氏らをして、1998年の両者のワインを2.5文字で表現するとこうなる。 「うにゃ」。 そうなのである。決してまずくはないが、明らかに盛りを過ぎていて、すでにその使命を終えようとしているのだ。両者そろって他のビンテージにあるような感動が1998年にはない。モンラッシェをして今がピーク。高額のワインであるにもかかわらず、その価格に見合ったワインになっていないのは、至極残念であり、マイセラーにあと一本残るコシュ・デュリをとっとと飲んでしまおうという焦燥感が額に出ているこの頃である。
まずは、PARKER'S WINE BUYER'S GUIDE Sixth Edition Robert M.Parker,Jrwith Pierre-Antoine Rovani と Stephen Tanzer's International Wine Cellar Issue 86 、ブルゴーニュ委員会B.I.V.B公式サイト 、オスピスドボーヌ公式サイトから資料を探ってみよう。 それらによると、1998年のコート・ド・ボーヌ、特にムルソーとピュリニー・モンラッシェは読むに耐えない厳しい年だったようである。1998年は冷害(寒さ、霜・雹)と夏の酷暑による日焼け現象、うどん粉病の発生、収穫期前後の雨(幸運にも天気予報が的中し、雨の降る前に収穫は終えられたようである)など、およそブドウ栽培にとって好ましくない状況が続いた。しかし極限られた数の優秀な生産者はそんな逆境にもメゲズ、優良なワインを造ったという。1998年はパーカーをして「poor vintage for white Burgundies」と表現させ、コント・ラフォンにとっても「the hardest vintage of my life」(註)と嘆かかせている。コート・ド・ボーヌでは冷害や葡萄の病気により腐敗したブドウの破棄を余儀なくされ、コント・ラフォンは通常なら最低でも200樽は出来るところを120樽しか生産できず、コシュ・デュリも日焼け現象によりダメージを受けたブドウの除去作業にピンセットを使っての厳しい作業が続いたようである。さらに追い討ちをかけるように、コシュ・デュリのコルトン・シャルルマーニュの畑にヘリコプターが落下し、45本の樹が損害を受けてしまった。まさに「踏んだり蹴ったり」というよりは「踏まれたり蹴られたり」の状況であり、資料を読み進むにつれて、私の目にも涙が浮かんでくるほどだった。もしもコシュ・デュリの当主ジャン・フランソワ・コシュが関西人だったなら、「んなあほな。おっさん。勘弁してえな。洒落にならんで。自分」と道頓堀で呟いていることだろう。 大ダメージを受けたムルソーとピュリニー・モンラッシェにあって比較的被害が少なかったのは、平地部分の村名格畑であり、地中深く根を生やした樹だったようである。ムルソーのほとんどの畑が被害を受け(特に斜面側)、特級モンラッシェとビアンヴニュ・バタール・モンラッシェは被害を免れたが、シュバリエ・モンラッシェの一部と斜面上部の1級畑はだいぶやられたようである。シャサーニュ・モンラッシェは比較的起伏が少なく、被害は最小限に食い止められ、結果的にこの三つの村でもっとも優良なワインが出来たようだ。そしてコルトンの丘は南向きのため、日焼け現象の影響をもろに受けた可能性があり、ジャン・フランソワ・コシュの悲壮な顔が道頓堀の水面に浮かぶというものだ。 んんん。きびしい。資料を読めば読むほど、厳しさが募る。 ロバート・パーカーはこの二大ドメーヌの1998を評価をどのようにしているのだろうか。パーカーは非常に分かりやすい対応をしている。コシュ・デュリに対しては、その評価をコルトン・シャルルマーニュとピュリニー・モンラッシェ アンセニェール(村名畑指定)だけにとどめ、あえて黙殺しているようでもある。コント・ラフォンに対しては、比較的多く試飲しているものの(モンラッシェ・ペリエール・シャルムのいわゆる看板ワイン3つ)、やはり評価を避けているきらいがある。 ステファン・タンザーはどう見ているのか。コシュに対してのインタビューでは「平均的」と返答され、わずか18hl/haという低収穫量のムルソー・ペリエールとコルトン・シャルルマーニュに同じ得点91-94をつけている。そしてコルトン・シャルルマーニュをして超熟タイプと予想している。コント・ラフォンに対しても評価は高く、1997年ほどではないにしろ、90点台前半の評価である。モンラッシェをして「若いうちから飲みやすいにちがいない」と予想している。このコメントに対しては、試飲結果と異なり当然異論があるが、ここはじっと我慢して話を進めよう。 ところで余談ながら、コシュデュリは1998年ビンテージから看板ワインに限ってエチケットを変更している。そしてコント・ラフォンは、この年、マコンのドメーヌを買収し、ムルソーからはかなり離れた地に遠征しだしている頃だったりもする。(そのマコンのワインは1998が初ビンテージだが、エチケットが間に合わず、買収先のエチケットをそのまま使用した。試飲)。 さて、上記のデータを踏まえつつ、試飲の結果に戻ってみよう。納得できない味わいに根拠を見出してしまった感が否めない、というのが率直の感想だ。若いうちに楽しむにはいいが、熟成させるにはボロが出てくるということだろうか。熟成には熟成に耐えるほどの要素が必要だ。しかし、1998にはそんな要素は感じられない。酸が弱いのである。白ワインから酸を取ったらただの水、とは誰かの弁だが、なるほどきりりと閉まった酸こそが、熟成を支えているのだ。その酸がない。逆を言えば、水のように飲める。 では、1998年のビンテージを飲むには、どうすればいいのか。両者のワインをたくさん持っている人には、年号の違いによる味わいの差が楽しめるので、特に避ける必要もないだろう。ビンテージの差を知ることも大いなる楽しみの一つなのだから。彼らの苦労をその年のワインを飲むことで共有したい。1998は苦楽の苦を共にするワインかもしれない。そしてモンラッシェを水代わりに飲む人には、どんなビンテージも関係ないだろう。そんな大金持ちになってみたい。 しかし、両者のワインを初めて飲む人には、この年は避けるべきだろう。他の年に見られるような感動や心の動揺からは少し縁遠い存在だからだ。両者とも現実離れした価格設定のため、少ないチャンスは有効的に活用したい。まずは1997年や2000年のワインを飲んで、彼らのすばらしさを語りたい。そしてその後に余裕があれば、1998を薦めてみたい。さすがに1997や2000は1998よりも相当の高値が予想され、二の足も踏みがちだが、どどんと攻めるには申し分ない味わいが期待できるので、保存状態さえしっかりしているならば、超お勧めである。 なぜに1998の出来栄えにこだわるのか。それは両者のワインが高価だからである。世界最高峰の名のゆえにプレミアムがついたワインだからこそ、ビンテージ情報も気にかかる。価格どおりの味わいが提供されるのなら、なんら問題はないが、明らかに価格とのバランスを欠くと当然批判の眼にさらされることになる。トップ・ドメーヌの辛いところだろう。そしてその批判もまたトップ・ドメーヌこそでもある。ちなみにパーカーは高額で取引される1998をその価値に見合っていないと断言している。 とにもかくにも、1998の両者のワインは、持っているのなら、早めに飲んだ方が良いというのが、今回の結論。まずは一本飲んでみて、その味わいによって、さらに熟成させるか、今飲むか、アサリの酒蒸し用に使うか、判断されるのがよろしいかと思う次第だ。せっかくのワインはおいしいうちに飲みたい。そう信じるがゆえにあえて・・・。 最後に1998ビンテージの飲み頃について私の質問に答えた同じムルソー村のホープ フランソワ・ミクルスキの言葉を紹介し、この稿を締めたいと思う。そしてコシュ・デュリとコント・ラフォンからも、ぜひともコメントを寄せてほしいと思っている。 「1998年は今が飲み頃です」 (2002年12月現在 原文フランス語 訳にしかた)。 参考資料 補足 註 PARKER'S WINE BUYER'S GUIDE Sixth EditionのP403とP533より引用 敬称略 以上 |