ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ
試飲日 2002年02月26日
場 所    神奈川県某所
照 明 蛍光灯
種 類 フランス ブルゴーニュ地方AOCワイン
生産者 D.R.C. (Vosne-Romanée)
Vintage 1985
テーマ この星の奇跡
ワイン RICHEBOURG
<リッシュブール 1985>
 抜栓後少し待ってINAOグラスへ。色合いは写真の通り(詳細は割愛)。味も割愛。
 このリシュブールは一体全体何なのだろう。この究極のワインを試飲させて頂いたことにまずもってお礼申し上げると共に、この機会に恵まれた幸運にひたすら感激する次第である。今回は味わいや色合いなどを列挙することに全く意味を見い出せないので、口に含んだ後の体に起こった変化についてレポートしたい。

 まず、このリシュブールを口に含んだ瞬間、涙腺が刺激され瞳に溢れんばかりの涙が溜まっていることに戸惑った。涙でグラスが滲んで見える。味覚を司る細胞に、このピノ・ノワールが触れた瞬間、背筋が震え、筋肉が明らかに硬直した。やむなくすると、炎を感じるほどに細胞が燃え始め、全身に汗が滴り落ちんとする。口に含んでいる間の、何ともいえない満足感は恍惚と表現しうる心の震えである。激しい動悸を感じ、息遣いが荒くなるにつれ、自分の頭蓋骨の重さをひしりと感じる。頭がクラクラするほどの感動という甘っちょろい感触ではなく、真に自分の重力に抵抗を感じてしまうのだ。それほどこのリシュブールは丸く、無抵抗な、雲の中を突き進んでいる感覚とでも表現すれば言いのだろうか。わからない。筋肉の震えに呼応するかのように、脳髄の中心にあるであろう生命を感じる細胞が激しく動揺してくる。脳髄がピノ・ノワールに染みて、今まで経験したことのない周波数に対応できず、次ぎにとるべき指令を出せずにいる。飲みこんだ後の感覚もまた異次元の戸惑いである。長すぎる余韻は、すでに余韻という言葉では言い尽くせないほどの領域に達しており、未だもって強くアグレッシブな感覚にもかかわらず、真綿で包んだようなやさしさに頬を摺り寄せたくなる。余韻という名のフルフェイスのヘルメットをいつまでも被りつづけ、心臓の鼓動だけがいつもよりも早いピッチでこだまする。ドクン・ドクンと耳の奥に聞こえる命の鼓動を、この古びたピノノワールに見出すとき、この広い宇宙で、この地球という星に生まれた奇跡に感謝せざるを得なくなる。うううううううううううう。この震えを、ずっと感じていたい。

 少し冷静になって、ロブマイヤーの通称ヴォーヌ・ロマネグラスで味わうと、完璧という言葉が頭に浮かび、この感動をそれ以外の言葉に出来ないのは日本語の構造的な欠陥と錯覚しがちである。リーデルのソムリエシリーズ・ブルゴーニュ(通称ポマールグラス)に注げば、酸味を若干感じる分だけ強さが全面に出てきて、これまた一興だ。

 1985というブルゴーニュにとって前世紀を代表するビンテージにして、DRCのリシュブールという偉大な畑と、熟成状況が保証された完璧な歳月が、今こうして目の前に現れた。17年の歳月を得て、この星の奇跡を目の当たりにした。これが開高の言う「土の唄」なのだろう。今までワインを飲んできて良かった。このワインは過去に飲んだ幾千ものワインを代表し、このワインが頂点に君臨してもなお、今まで飲んだワインがあってこそと思うこの気持ちがうれしい。

 また、昨年末に試飲した1998(註参照)との比較も面白い。最新ビンテージと熟成ビンテージを飲むことで、DRCのリシュブールの姿が鮮明に浮き上がってくる。線で結ばれた「土の唄」が、譜面から浮き上がって見え、最高の歌声が響き、伝わってくる。


<参考>
 ロバート・パーカーのブルゴーニュによれば96点(当時)。ちなみにこの年のロマネ・コンティは100点満点である。また、1978年と並び、あるいはそれ以上とも言われるグレートビンテージにして、翌年のチェルノブイリ原発の事故や1992年のマダム・ルロワの退任等このビンテージを神格化させる情報は余りある。しかし市場にほとんど出ないので、おそらく今回のワインは私の生存中には決して再会できない逸品だろう。このワインは試飲前の前日の午前よりボトルを立てて準備されていた。澱はかなりあり、大き目のそれが歳月を何も語らずとも物語っていた。

 Bouteille No. 008094 / 11006


<余談 1>
 ここ2ヶ月の間で、すでに4本目(註)のDRCは上記の通りとんでもない結果となった。正直、DRCをたて続きに飲んでも感動はそこそこだろうとかんぐっていた。今回のお話を頂戴したときも内心そんなに乗り気ではなかった。しかし、DRCのリシュブールはそんな邪念を吹き飛ばす勢いであった。残すはロマネ・コンティ。どんな出会いになるか今から楽しみだ。いつかは、きっと、である。


<余談 2>
 そういえば1985年はどんな年だったのだろう。17年も前の話だ。今一つ記憶が弱い。思い当たることといえば映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の設定年にして、筆者自身高校生だったことくらい。おニャン子クラブが全盛期で、バブルの予感。そうだ。このリシュブールをきっかけに、1985年は忘れがたい年として永遠に心に刻まれると思われるので、近いうちに某伊勢原図書館に行って某女史の助言を借りながら資料を整理したいものだ。


(註) DRCのほかの三本 (2001/12/26-2002/02/26)
 
1992 ラ・ターシュ 
 1996 エシェゾー 
 1998 リシュブール


以上
 


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