2002年度オスピス・ド・ボーヌ競売会 潜入レポート  にしかたゆうじ
 2002年11月17日(日曜日)にフランス・ボーヌ市内のオスピス・ド・ボーヌで恒例の第142回ワインオークションが開かれた。いわゆる栄光の三日間の中日に行われるボーヌ最大のイベントであり、2002年ビンテージの動向を占なう上でも、世界中のワイン関係者と愛好家が注目するワインオークションだ。

 この行事。ブルゴーニュ魂として参加しないわけにはいかないだろうということで、アポなし・宿無しの状態でボーヌに乗り込んでみた。半ば強引で、当てにしていたコネクションもあっさり使えず苦労したりもしたが、競売会の責任者や地元紙(Bourgogne Aujourd'hui)発行人の父親に相談したりして、何とか潜りこむことができた。準備をしなかった割りには、なかなか興味深い体験ができ、また現地で修行中の日本人シェフたちとも出会え、大いに酒が飲めた夜だった。


<目次> 
 1.オスピス・ド・ボーヌとは何か
 2.栄光の三日間
 3.オークション直前の試飲会 どうすれば試飲できるか
 4.オスピス・ド・ボーヌのワインの特徴
 5.第142回オークションの見学方法と落札結果
   5-1 オークションの見学方法
   5-2 オークションの落札結果
   5-3 オークション全体の結果 
 6.夜のメリーゴーランドの前で、モツ煮込サンドウィッチにルーミエを飲んでも許されるのか。



1.オスピス・ド・ボーヌとは何か
 HOSPICES DE BEAUNE。慈善施療院。オスピス・ド・ボーヌ。
 ブルゴーニュの中心地ボーヌにある慈善施療院(養護ホーム)は、その運営費を寄進されたブドウ畑から造られたワインをオークション(競売)することで賄っている(註1)。その歴史は古く、1443年にブルゴーニュ公国のフィリップ善良公のもとで財務長官を務めていたニコラ・ロランが創設した病院が始まりとされている。ワインは当初は私的な取引で売買されていたが、1851年(註2)から今日のオークション形式に変わったという。で、今回が142回目である。数が合わないのは、おそらく戦争などで中止された年があったのだろう。オークションが行われるのは原則として(註3)11月の第三日曜日で、栄光の三日間の中日に行われている。オスピス・ド・ボーヌのワインには賛否両論あり、その年の出来不出来を占なう意味合いを重視する者もあれば、単なるお祭りとして、ご祝儀相場のワイン取引だという冷めた見方もある。それはともかくボーヌ最大のイベントには間違いがなく、ワインの試飲やオークションの参加はブルゴーニュを愛するものには一度は見てみたいイベントの一つだ。


 ワインはコート・ド・ボーヌ地区を中心に、39のキュベ(=寄進者)がある。ワインはすべて新樽で熟成され、寄進者ごとに、樽のまま競売にかけられる。そして競り落とした者が別の場所で樽熟させた後にボトリングする。エチケットは右の通り指定された様式が用いられ、ワイン名にプラスしてキュベ名と落札者の名前、住所などが記されることになっている。 オスピスの立て看板

註1 純粋に競売会だけの収入によって運営されているかは調査中。ただオスピスの会計自体にはブルゴーニュ魂は関心がない。
註2 1859年からという説もあり、そうすると中断した年はなくなる。どちらが正しいかは調査中。
註3 醸造過程の遅れや大統領選挙などで日程がずれたりすることもある




2.栄光の三日間 Les Trois Glorieuses  目次に戻る
 11月の第三日曜日を挟んで三日間にブルゴーニュで開催されるイベントの総称。

 初  日 クロ・ド・ヴージョ城での利き酒騎士団の叙任式と晩餐会
      La confrèrie des Chevaliers du Tastevin

       誠に遺憾ながら招待されなかったので詳細不明。
       夜八時から宴が始まるらしく、昼間の厨房は大忙しだった。

 二日目 ボーヌでのオスピス・ド・ボーヌでのワインオークション
       Vente aux enchères des Hospices de Beaune
       一般客も見学と試飲ができる。
       詳しくは下記参照。

 最終日 ムルソーでの収穫を祝う昼食会
       Les Paulee de Meursault
       誠に残念ながら案内状は届かず詳細不明。
       畑の持ち主主催による個人的な昼食会の意味合いが強いらしい。
       なお、尊敬する堀さんのサイト LA MER DU VINに当日の模様が詳細にレポートされている。

 なおブルゴーニュのボジョレー地区では11月の第三木曜日に解禁されるボジョレー・ヌーボーの大イベントがあるが、
 コート・ドールの人々(特に造り手)の関心はあまり高くなかったことも付け加えておこう。




3.オークション直前の試飲会 どうすれば試飲できるか  目次に戻る
 さて、いよいよ本題。11月の第三日曜日にオスピス・ド・ボーヌで開かれるオークションとそれに先立って行われる試飲会に参加するにはどうすればいいのだろうか。自らがワイン商であるならば、正規の手続きを踏めばいいのだが、ここではちょっと旅行者気分で立ち寄ったときの参加方法について紹介しよう。


 まずは当日ボーヌの町にいる必要がある。ボーヌはパリから約2時間。パリから行く場合はパリのGare de Lyon駅からのTGVでディジョンDIJIONに向かう。ここからリヨン行きの各駅電車に乗って通常はニュイ・サン・ジョルジュ駅の次、ディジョンから数えて二つ目だ(一日に二度ジュブレ・シャンベルタン駅とヴージョ駅に止まるので要注意)


 ボーヌ駅はボーヌの市街のはずれにあり、ここから、とにもかくにも、まっすぐ歩いて城壁の内側に行く必要がある。駅の前には親日家のマダムが経営するホテル・フランスがあるので、カフェで茶をいただきながらボーヌの情報をゲットするのも悪くないだろう。満席の部屋にキャンセルがあるかも知れず、寄らない手はない。


 さて城壁の内側はかなり入り組んでいるが、なんとか辿り着けなくもないだろう。道は泣きながら覚えるものである。そしてボーヌに着いてまず行くべきは観光案内所。ここでさまざまな情報を入手しよう。市内の地図やホテル情報などだ。オークション情報も入手できるが、言語に壁がある者には多少辛い部分もあるが、英語は通じるので、まずは何とかなるだろう。(なんだかちっとも案内になっていないな)


 観光案内所の目の前が、実はオスピス・ド・ボーヌの施設オテル・デューなのだが、ここは観光名所化していて、オークションの実務は別の場所で行われている。目指すは観光地ではなく、あくまでもオークションとその試飲だ。ここで注意したいのは、オークション会場と試飲会場は別の場所であるということ。オークションは観光案内所に隣接するホールで行われるが、試飲会場は少しばかり郊外にある。場所は観光案内所で聞くのが最も手っ取り早いが、意外に近そうで遠いのがたまにキズだ。


 
 試飲会場は通称ヌーベル・オスピス・ド・ボーヌと呼ばれているオスピス・ド・ボーヌの新しいカーブだ。ボーヌのニコラ門(ここをまっすぐ行けば国道74号線でコルトンの丘にいける)を背に左に直進。ブシャール社(有名なブシャール・ペール・エ・フィスではない方)の前を通って、さらに直進する(通りの名 = Avenue de l'Aigue)。右手に下町を思わせる小川が流れる道をそのまま歩いて、一路畑を目指そう。十字路に出たら右手側に電話ボックスがあるはずだ。そこを右折する(通りの名 = Avenue Guigogne de Salins)。巨大なフランスらしからぬガラス張りの青い病院を回りこむように左折する。角に墓石屋さんがあるので、ここは分かりやすい。右手に墓地を見ながら正門前に店を構える花屋さんの売れ行きなど気にして歩くことしばし、写真の建物が目の前に現れてきたらそこが目的地だ。ニコラ門から歩いてだいたい20分くらいかな。
 
 場所が分かっても開催時間を知りたい。オークションは11月の第三日曜日の午後。試飲はその日の午前中と前々日の金曜日に行われるのだが、前の週に行っても正門に張り紙などはなく、私はここで情報収集のため悪戦苦闘するわけだが、その模様は割愛して結論だけを紹介しよう。
 

 表1 試飲会の状況
オスピス・ド・ボーヌ競売前の試飲会  (競売は日曜の午後2時半から)
試飲日 時 間 試飲場所 試飲料金
11月15日(金) 8:30-10:30 14:00-17:00 Nouvelle cuverie des Hospices
(avenue des Stades )
13ユーロ
(約1600円)
11月17日(日) 8:30-10:30 ----
 INAOグラスは4ユーロで販売(高い)。事前にお土産屋さんなどで2から3ユーロで購入可能なのでグラスは持ち込もう。
 試飲の合間用のパンは1.5ユーロで買えるが、市内のパン屋なら半値以下で買える。

 

 上記はあくまでも2002年の例なので、来年どうなるかはブルゴーニュ魂としてもなんとも言えない。私は日曜の午前中に7時半から並んだが、8時になるまで誰も来なかったので、もう少しゆっくり着てもいいだろう。ただあまり遅くなると入場制限されるので、かなり待たされる。トイレは当然ないので(施設内の別の場所にはトイレはあったが、係員は無情にも貸してくれなかった・・・)、女性陣は水分の取りすぎに注意した方がいいかもしれない。男としてもこの辺りは住宅街なので、ちょっとむずむずする。意外に車通りも人通りもあるので、膀胱には少し酷な場所かもしれない。膀胱の貯水能力が勝つか、人通りが消えるのを待つか。あとは運を天に任せることにしたい。そして、この時期のブルゴーニュは朝八時でもまだ暗く、寒い。雨もシトシト降りやすいので雨具と防寒対策も必要だろう。防寒としてはアルコールが効き目が大きいが、これから試飲するのに酔うわけにもいかず、のんべいには辛いところだ。


 さて無事にオスピス・ド・ボーヌの内部に潜入できたわけだが、ここからが意外に大変だ。競り落とされるキュベが多く、赤と白合わせて39(特級クロ・ド・ラ・ロッシュだけは2つのキュベのうちのどちらか一方なので、正確には38)にも及ぶ。これを全部試飲するわけだから相当体力もいるのだ。試飲はあくまでもテイスティングに徹し、口に含んだワインは飲み込まず、ほきださないと、多分出口でふらふらになる。(私はもとをとるために、後半の白は飲み込んでいたが・・・セコイ)


 ところで今の時期ブルゴーニュのドメーヌを訪ねると、大抵2002年の試飲は断られる。時期が早すぎるためだ。しかしオスピス・ド・ボーヌは11月第三日曜日に競り落とさなければならず、必然的にワインとして発育途上のワインを試飲せざるを得ない。それはどういうことかというと、試飲するたびにタンニンが歯茎を刺激し、10いくつ試飲した時点で、歯茎は乾き切り、ごつごつとした嫌な感触を感じざるを得なくなる。これは結構辛い。だから要所要所でパンを売っていたりする。なるほど、絶妙のタイミングだ。しかしこのパンは高いので、パスしたい。持参した水で口をゆすぎ、再スタート。私の後ろにはマコンの天才醸造家ギュファン・エイナン氏がいる。少しびっくりするも、ちょっとうれしかったりもする。なぜ一般客にまぎれて試飲しているのか不明だが、しばらくご一緒させていただくことにした。


 表2 試飲順
A.O.C キュベ数
まずは赤ワイン
サビニー・レ・ボーヌ 3
ペルナン・ヴェルジュレス 1
オーセイ・デュレス 1
モンテリー 1
ボーヌ 9
ヴォルネイ 2
ヴォルネイ・サントノ 2
ポマール 4
コルトン 2
クロ・ド・ラ・ロッシュ 2
マジ・シャンベルタン 1 ジャン・マリー・ギュファン氏(ドメーヌ・ギュファン・エイナン及びメゾン・ヴェルジェ社長)
ここから白ワイン (別室にて)
プイィ・フュイッセ 1
ムルソー 7
コルトン(白) 1
コルトン・シャルルマーニュ 1
バタール・モンラシェ 1
合 計 39

 上記のほかに、2001年に収穫された葡萄を使って造られたマールが3キュベ フィーヌが1キュベ、エントリーされているが、試飲は出来なかった。そして一つ一つのキュベについてのテイスティングコメントは紙面の関係で割愛しようと今、決めた。

 

4.オスピス・ド・ボーヌのワインの特徴  目次に戻る
 ここでオスピス・ド・ボーヌのワインについて触れておこうと思う。オスピス・ド・ボーヌは畑最優先のブルゴーニュにあって、ある意味異色の造り方をされているので、ここら辺を抑えなければ話が完結しない。


 例えば、ポマールの代表的な造り手のドメーヌ・ジャン・ガローデが造るポマール・ノワゾンを例にとってみよう。このワインはAOC上はポマールの村名ワインである。ノワゾンとは小区画畑の名前で、ジャン・ガローデはこの小区画畑から収穫されたぶどうだけをワインにすることで、ポマールに続けて畑名をエチケットに添えている。当然ポマール村内の違う畑のぶどうを混ぜてしまったら、ポマール・ノワゾンは名乗れず、ただのポマールとなるわけだ。畑の素性が詳細になるほど、ワインの個性が引き立ち、味わいの違いが顕著になる。フランス人はこれをテロワールと呼び、開高健は土の唄()と呼んだ。


 ブルゴーニュでは畑が最優先であり、畑名=ワイン名の方程式を大切にする。単なるポマールよりも畑が特定できるポマール・ノワゾンのほうが素性がはっきりする。テロワールの違いが分かれば、飲み手もそのワインを飲む前にその味わいが想像できるので、合わせる料理やシチュエーションを考えやすくなる。そしてレストランでは、この手助けをするのがソムリエの仕事のひとつだ。


 ところがオスピス・ド・ボーヌのワインは畑ごとではなく、寄進者ごとにワインをブレンドしている。例えば、ポマール・キュベ・ダム・ド・ラ・シャリテを例にとって見よう。このポマールはAOC上は村名ポマールであり、それぞれの小区画畑は下記の通り。面積は資料によって異なるが、オスピスで樽の上に掲げられた資料を基にした(写真参照)。

表3 ポマール・キュベ・ダム・ド・ラ・シャリテの場合
ワイン名 Pommard Cuvée Dames de la Charité


収穫は2002年9月21日
パーセル名 (小区画)  表記順 AOC 面 積
Les Noizons village 0.26ha
Les Petits Epenots 1er cru 0.42ha
Les Combes dessues 1er cru 0.16ha
La Refène 1er cru 0.31ha
Les Rugiens -Bas 1er cru 0.10ha
Les Rugiens -Hauts 1er cru 0.18ha
 

 ある姉妹によってオスピスに寄進されたキュベ・ダム・ド・ラ・シャリテ(直訳で慈悲のご婦人たち)のワインは、上記のように6つの畑から収穫されたぶどうをブレンドして醸造している。これは、オスピスでは寄進者ごとにひとつのキュベとして、寄進された畑をすべてブレンドしてワインを造るためである。一番上のノワゾンが村名格のため、ワイン自体は村名ポマールであり、もしこのノワゾンを含めなければ、ポマール1級のAOCを獲得できるのだが、オスピスではそういう小ざかしい対応はしていない。大人のゆとりというべきか、寄進者に対する最大の配慮だろう。そしてそういうAOC上の格付けを問題視することなく、通常このキュベが特級ワインを除いて赤ワインでは最高額で落札されているのだ。まさに知っている人は知っているというワインの見本のようでもある。


 実際に試飲してみると、確かにうまい。エプノとリュジアンというポマールを代表する畑の実力を思い知る。その味わいは他者を圧倒し、個人的には特級マジ・シャンベルタン・キュベ・マドレーヌ・コリニョンの次に印象深いワインであった。ちなみに、1996年はかのドミニク・ローランが落札しており、2003年1月現在都内某所のワイン売り場では、ポマールとしては破格の24,500円(消費税含まず)で販売されている2003/01/08追記


 ブルゴーニュでは、畑ごとにワインを造り、いくつかの畑をブレンドする場合は、醸造上の理由によるところが大きい。たとえば、ドメーヌ・ドニ・モルテは村名ジュブレ・シャンベルタンに5つもの畑指定ワインを持っており、これはまさしくテロワールを尊重する結果の現われだ。またドメーヌ・デュジャークではモレ・サン・ドニ村の3つの1級畑をブレンドしてモレ・サン・ドニ1級をリリースしているが、これはそれぞれの畑の面積が小さすぎるために、単独のパーセル名(小区画畑名)での醸造に支障をきたすための処置である。余談ながらこのモレサンドニ1級には3つの1級畑のほかに、特級クロ・ド・ラ・ロッシュの若木もブレンドされているので、かなりお買い得でもある(ジャック・セイス氏談)


 しかしオスピスでは、単独畑名でリリースするのではなく、あくまでAOCの範囲以内で寄進者ごとのキュベでリリースする。畑のブレンドを嫌う傾向にあるブルゴーニュにあって、まさにこれこそがオスピスの特徴なのである。ちなみにポマール・キュベ・ダム・ド・ラ・シャリテは23樽もあり、それを4つに分けて競売にかけられている。23樽あれば畑ごとのリリースも可能なはずなのに、敢えてしないところがオスピス・ド・ボーヌのこだわりなのだ。(23樽 = ボトル6,900本分)


 そして寄進された畑一つ一つに歴史と重みがあり、それぞれに焦点を当ててみるのも一興だが、紙面の都合で割愛せざるを得ないところが辛くもあり、楽だったりもする。


表4 オスピスドボーヌ・テクニカルレポート
約61ヘクタール 9月初旬に吹いた冷風の後すばらしい天候に恵まれた
収穫時期 9/17から9/26まで
白ワイン 潜在アルコール度数13.4℃から14.4℃ 新樽100% 平均収穫量42hl/ha
赤ワイン 潜在アルコール度数13.1℃から14.6℃ 新樽100% 平均収穫量33hl/ha
樽詰め 10/18に樽詰め完了



5.第142回オークションの見学方法と落札結果  目次に戻る
 さて、ようやく試飲を終えて、午後から始まるオークション会場へと向かう。オークション会場は観光案内所の裏手のホールで行われる。ここはボーヌの中心地であり、ここへの行き方は特に必要ないだろう。前日から会場の設営準備もしているので、比較的簡単に場所は把握できるだろう。


5-1オークションの見学
 当日の会場周辺は警官が要所要所にいて、何も悪さはしてないものの、どうもビビッテしまうのは悲しい性かもしれない。会場入り口にはセキュリティシステムも導入されているような、物々しさだった。会場に隣接する広場では、ワインに欠かせない樽作りのデモンストレーションもやっているし、裏手のメリーゴーランドのある広場では鼓笛隊が軽快なマーチを演奏し、ミスボーヌに選ばれた3人娘が壇上で素敵な笑顔を振りまいてくれていた。まさにお祭りムード一色で、道には出店が出ていてとても和やかな雰囲気だったりした。 . .

 さて、オークションは午後2時半から開催されるのだが、事前に有料入場券を持たないものとしては、立見席に並ぶ必要がある。ホール内はすでに電光掲示板や主催者席・競売参加者席などの準備も整い、あとは時間が来るのを待つばかりとなっている。立見席は会場の後ろ側から入るようだ。ちょうどボーヌ市内の数少ない公衆トイレ(有料)の脇が入り口となっているようで、気の早い観光客はすでに列を作っている。列の先頭を確認し、警備の警官や並んだばかりの観光客に、ここに並べばオークションの見学が出来るかどうかを確認する。皆一様に「Oui (そうだ)」と答える。先にトイレで余計な水分を放出した後、私も列の最後尾に並んだりした。私の前にはすでに100名近くの人々が並んでいて、一瞬「油断した」との思いが募った。本屋で立ち読みなどせずに、はじめから並べばよかったと思いつつ、後悔先に立たず。係員による一定の数に達すると入場を断られるとの情報が俄か心に動揺をもたらす。60人限定との噂が飛び交い、列を離れるものも数人いたが、とりあえず待つよりほかに手立てもなかろう。


 ところで、某ヤマダ電機の開店セールでは早朝から列を作って、お目当てのパソコンや冷蔵庫をゲットするのだが、そこには係員が常駐していて、開店を待っている間でも、トイレとコンビニのためなら係員に申告すれば列を離れてもいいことになっている。今思えば、これはなかなかいいシステムだ。しかしボーヌではそれは許されないようで、ただひたすら列を離れず待ち続ける。やむを得ず列を離れる場合でも前後の人たちにその旨を伝えておかないと、戻ってきたときに自分より後ろに並んだ人たちから非難の声を浴びることになる。言葉に自信がないのなら、ひたすら待ち続けないと、後ろから猛攻撃を受けかねないので、トイレのために列を離れるときは、ご近所に自分の意思が伝わるまでトイレは我慢した方がいいかもしれない。私は並ぶ前に用は済ませていたので、楽勝だったが、この時期のボーヌは冷えるので、あらよという間に催すかも知れず、水分は控えめが良い。


 さて、オークションの開始時間よりも20分ほど早く、立見席の門が開かれた。並んだ順に自分が好きな場所に立つのだが、私の順番では、入場こそできたものの、すでに四列目であり、皆図体がでかく、頭と頭の間からようやく会場全体が見渡せるような位置だった。私の後ろにももう一列できており、例えるならば満員電車のひとつの車両に入れられて、横の窓から外の景色を眺めるような、そんな状況だった。 .

 立見席は所定の人数が入ったようで、振り返ると入り口は閉ざされて、入りきれなかった人たちがガラス張りのホールを取り囲んでいた。ふう。何とか入り込めたが、よく見えない。しかも競売者席はまだまばら。主催者席にもほとんど誰も座っていない。やばい。始まる前から疲れている。オークションが始まったのは立見席入場から30分もたった頃で、開会を告げる男性の長い挨拶(本当は短かったかもしれないが、精神的に校長先生並みの長さだった)が終わり、オークションが始まった。


 オークションはキュベ( = 寄進者名)のナンバー順に行われる。試飲はワインの軽い順から行われるのだが、キュベにはそれぞれナンバーがふってあり、NO.1のキュベからスタートした。ひとつのキュベは30樽なり12樽なりあり、ひとつのキュベをまとめて落札するのではなく、キュベを3つ4つのロット単位に分け、そのロットごとにオークションにかけられていく。例えば最初にオークションにかけられたボーヌ・キュベ・ダム・オスピタリエールは30樽あり、それを6樽ずつの5ロットに分けた上で、それぞれを落札するシステムになっている。


 電光掲示板はAOC名・キュベ名・キュベの小ロットが表示され、一樽あたりの金額が競り上げられていく。金額はユーロ、フラン、ドルの順に最後は円でも表示されていた。一樽は約300本分のワインに相当する。最初のキュベの第一ロット6樽分のオークションは2000ユーロ/樽からスタート。主催者側が壇上で蝋燭に炎をともす。この火が消えてしまわないうちに落札するのが決まりのようで、次々と声が上がっていく。結局落札額は5200ユーロ/樽で、日本円にして約624,000円(€1 = ¥120)だった。これは前年の平均価格よりも低価格だ。落札額が決まると、その金額とそれを競り落とした人たちの名も発表されいく。そして5つに分けられたボーヌ・キュベ・ダム・オスピタリエールはそれぞれのロットが、5200 ・ 5200 ・ 5100 ・ 5100 ・ 5100という価格で落札されていった。ちなみに最初のロットを競り落とした人物と、私は後にドメーヌ・ジャン・ルイ・トラペのカーブ内でワインを酌み交わすことになるのだが、それはまた別の話。


 小ロットの最初の価格がキュベ全体の価格に影響するようで、多少の前後はあるものの、第二ロット以降は最初のロットが基準価格となっているようでもあった。ちなみにボーヌ・キュベ・ダム・オスピタリエールの競が終わるのに、およそ20分程度かかり、それを立見席の私は前の親父の禿げ頭の脇からずっと立ちっぱなしで眺めているのだった。結構辛いのだ。


 蝋燭の火が消えてしまうわないうちに・・・。といいつつも結構臨機応変に対応しているようで、途中で火が消えてしまったり、短時間では決まらずにdeuxième feu ドゥジエム・フュ(二度目の火)を公言して競を続けたりしている。そして落札額が突然高騰すると場内にどよめきが起こり、拍手が沸き起こる。なかなかオークションらしい盛り上がりだ。立見席とはいえ、現場を共有する喜びに包まれたりもする。日系企業も数社落札した模様だ。


 オークションは延々と続く。途中ルイ・ジャドの社長や醸造長が親しげに友人たちと語らう姿も見受けられ、興味のないキュベでは、ここは語らいの場にもなっているのだろう。なんだかんだといいながらもオークションは休憩なしに続けられ、立見席にも変動が見られる頃となる。かれこれ二時間近くも満員電車状態にいると、先頭に並んだ人たちも疲れてくるようで、徐々に前列へと進むことが出来る。ひとり減ってはまた一人減っていく。ここで体を満員電車の関取ゲームよろしく体勢を整えているうちに、知らぬ間に手摺のある最前列へと登りつめる事が出来た。


 ラッキーだ。しかし私の体力も限界に近づいている。39キュベもあるのにまだ10キュベ分も終わっていない現実は、目の前をクラクラさせるのに余りある。しかし私には目標があった。マジ・シャンベルタンの落札結果を知りたかったのだ。マジ・シャンベルタンは11番目のキュベ。オスピスの最高落札キュベの結果を知ってこそ、ここに来た甲斐もあるというものだ。と思って並んでみたものの、後日よくよく調べるとクロ・ド・ラ・ロッシュの方が落札額は高いようで、まあ、知らぬが仏ということで勘弁してもらおう。さらに言うと白のバタール・モンラッシェのほうが落札価格は高く、恥の上塗りだったりもする。ちなみにマジ・シャンベルタンは他のキュベが前年よりも価格を下げるなか一人、気をはいていた。


 マジ・シャンベルタンのオークションが終わると一気に脱力感が支配的となった。もう限界。立ちっぱなしに別れを告げて、どこかでワインでも飲もうと思った。何しろオークションはまだ三分の一も終わっていないのだから。。。しかし、トイレ休憩もなくひたすら競り続ける姿に一種の感動を覚えたものだった。オスピスの試飲会場でもらった価格一覧表にギブアップの文字を入れ、会場を後にすると、そこに数日前にニュイ・サン・ジョルジュで酒を酌み交わした日本人シェフが立っていた。再会を喜びつつ、酒を探してボーヌ市内を練り歩くことにした。今日は祭り。酒にはまったく困らなかった・・・。



5-2オークションの落札結果(前半)  目次に戻る

表5 落札結果一部抜粋
No. キュベ ロット名  数字はユーロ/樽 樽 数
A B C D E
1 ボーヌ Cuvée Dames Hospitalières 5200 5200 5100 5100 5100 合計30樽 各6樽 
2 ヴォルネイ・サントノ Cuvée Gauvain 5600 5500 - - - 合計12樽 各6樽 
3 サビニー・レ・ボーヌ Cuvée Arthur Girard 3800 3800 3800 - - 合計20樽 A=6樽 BCは各7
4 ポマール Cuvee Dames de la Charité 5800 6000 5900 6100 - 合計23樽 A=5樽 他は6樽 
5 ボーヌ Cuvée Guigone de Salins 4600 4600 4500 4500 4300 合計35樽 各7樽 
6 クロ・ド・ラ・ロッシュ Cuvée Cyrot-Chaudron 14400 - - - - 合計2樽のみ 
7 ボーヌ Cuvée Brunet 4000 4000 4000 - - 合計15樽 各5樽
8 コルトン Cuvée Charlotte Dumay 5700 5700 5900 6200 6200 合計32樽 A-Cは6樽、DEは各7樽
9 ヴォルネイ Cuvée Blondeau 3400 3500 3500 3300 - 合計24樽 6樽ずつ
10 ボーヌ Cuvée Cyrot Chaudron 3500 3600 3500 - - 合計20樽 A=6樽 BC=各7樽
- ここでスペシャルキュベの競売  省略(超ご祝儀相場のため) 
11 マジ・シャンベルタン Cuvée Madeleine Collignon 16200 18200 18000 18400 - 合計18樽 AB=4樽 CD=各5樽
12 以下省略(せざるを得ない事情あり) 39キュベまで続く
 表の見方 No.1を例にすると
 No.1のキュベは30樽分醸造されていてあり、それをAからEまで5つのロットに分け、それぞれについて競売にかける。
 数字の単位はユーロで、5200の場合は、1樽につき5200ユーロという意味。
5200x6樽=31200ユーロでこのロットが競り落とされた。
 為替レートを€1=120円と換算すると、5200ユーロ=624,000円。31200ユーロ=3,744,000円

 No.6とNo.10はアペラシオンは違えど同一キュベ。このあたりを研究するのも面白い。ここと関係が深いキュベは他に2つある。


 本来ならばすべての落札結果を報告したかったが、長時間の立ちっぱなしにより疲労困憊。翌日の新聞に記事を探したが、見当たらなかったので、詳細は断念せざるを得ない。しかし、トータルの結果は知っているので、それでお茶を濁してしまおう。ちなみにオスピスの公式サイトにはすべての結果が公表されている。


 ところでこの金額だが、高いと見るか安いとみるか。1樽で300本のワインが造れるとして、例えばキュベ番号1のボーヌ・キュベ・ダム・オスピタリエールの5200ユーロ/樽はどんなもんだろうか。5200ユーロならば一本あたりに換算して、約17.33ユーロだ。日本円で約2000円あまり。落札の段階では樽に入っているだけなので、この樽を落札者の別のカーブに移し、適当な期間熟成させ、瓶詰めして出荷。日本に送る場合は通関費用や輸送コストがかかり、費用回収までの利息分も上乗せし、ちゃんと利益も確保しなければならない。落札してからが相当な費用と時間がかかりそうだ。ところで17ユーロ出せば、パリ市内でも普通の造り手なら村名クラスが買える。一流どころでもACブルゴーニュは確実に買える。すでに瓶詰めされているワインとほぼ同額かと思うと、なかなか辛いものがあるだろう。確かにマジ・シャンベルタンやポマール・キュベ・ダム・ド・ラ・シャリテほどのワインならば十分に高値で取引されるだろうが、ご祝儀相場の厳しい現実も垣間見られたりする。しかし、ここはオスピスの慈善の精神に則り、自らが寄進するつもりで落札するべきなのかもしれない。商売根性を前面に出すべきではないのだと肝に銘じるままに・・・。高いか安いかは落札者が判断すべきことで、最終的には消費者の判断だろう。また落札後の支払方法についてもオスピス発行の小冊子では紹介していて、いろいろ融通を利かせているようだ。分割払いやその支払期限など、なかなか面白かったりもする。


5-3オークション全体の結果

表6 2002年の全体像
. 樽数 総落札額(ユーロ) 円に換算(€1 = ¥120) 前年比(金額ベース)
白ワイン 111 782,500€ 93,900,000円 -15.36%
赤ワイン 580 2,697,700€ 323,724,000円 -7.66%
ワイン全体 691 3,480,200€ 417,624,000円 -9.51%
その他 17 9,120€ 1,094,400円 -4.76%
総量 708 3,489,320€ 418,718,400円 -9.5%
 円-ユーロレートは最近円安に振れていて、銀行で現金化しようとすると1ユーロ130円近くする。12/07現在


表7 過去十年の落札結果 (ユーロ導入前はフランを換算、小数点以下省略 為替レート 1ユーロ = 120円)
平成 年号 樽総数 落札額合計 円建 特記
14 2002 708 3,489,320€ 418,718,400円 ブルゴーニュ魂潜入
13 2001 696 3,845,999€ 461,519,880円 9.11テロ発生
12 2000 727 5,272,997€ 632,759,640円 ミレニアム
11 1999 729 4,732,600€ 567,912,000円 1900年代最後の年
10 1998 577 3,765,338€ 451,840,560円 .
09 1997 617 3,602,556€ 432,306,720円 ヨーロッパてぶら旅
08 1996 719 2,873,459€ 344,815,080円 .
07 1995 565 2,004,704€ 240,564,448円 .
06 1994 558 1,836,553€ 220,386,360円 .
05 1993 759 1,658,260€ 198,991,200円 .
 Catalogue de la vente des vins fins de la récolte 2002参照


 2002年の落札総額は日本円にして約4億2000万円だ。これを高いと見るか安いと見るか。樽の数は708で、一樽から300本のワインが造られるとして、その数おおよそ21万本。一本あたり約2000円だ。この数はブルゴーニュの特徴が出ているかと思われる。例えばボルドー地方、メドック1級格付けのワイン シャトー・ラフィット・ロートシルトを引き合いに出してみよう。ロバート・パーカーの「ボルドー第三版」によれば、シャトー・ラフィット・ロートシルトの平均年間生産量は1万8000〜2万ケース(279ページ参照)。ボトル数で21.6〜24万本だ。ブルゴーニュ中の畑を集めたオスピス・ド・ボーヌのそれよりも多い。ボルドーの一つの村のひとつのシャトーが生産するワインよりもオスピス・ド・ボーヌは少ないのだ。一見すると20余万本の生産量、そして4億円以上の落札額は高額にみえても、実はボルドーと比較すればその規模が見えてくる。思わぬところからもブルゴーニュは数が少ないといわれる数字的な裏づけも取れたりする。


 さて、2002年の落札結果は総じて前年の2001年を下回り、総額で9.5%の減少だった。これは何を物語るのだろうか。ワインとしての評価は2002年は非常にすばらしく、1999年や1990年に匹敵する可能性を秘めた年にもかかわらず、2001年よりも落札額が下がったのは、ワインの価格がワインそのものの個性や味わいよりも、需要と供給のバランスによって成り立っていることの現われとみることができるだろう。2001年9月のテロ以降急激に減速した世界経済の影響を受け、需要と供給のバランスが崩れたのではないだろうか。偉大な年を予感させる「ふれこみ」にもかかわらず、値を下げた事実は大きい。1999年が前世紀を代表しうる偉大な年にして豊作だったことと、2000年の評価がそれを上回らず、在庫がだぶついている事実も影響大だ。まさに供給過多の状態に陥っているがための下落とみることができる。また1999年や2000年の落札結果を見ると、その高騰ぶりは群を抜いていて、特に2000年のそれは今年の1.5倍以上であり、2000年という世紀の節目のミレニアム効果が落札価格を押し上げたのだろう。そして2001年はニューヨークでのテロ発生というショッキングな事件が世界中を震撼させ、特にアメリカ市場ではワインどころの騒ぎではなくなった。日本でもワインブームの盛り上がりと沈静化、そしてなによりデフレスパイラルから抜け出せない状況が続き、ワイン市場の冷え込みが落札価格に影響を及ぼした見ることも出来る。アメリカと日本というブルゴーニュにとって最大の顧客の足元が揺らいでいるのだ。今年は、ワインを高く買おうとする要素はなく、そして明らかに高騰しすぎた価格に歯止めがかかった格好だ。

 
 今年のオークションはテロ以降の世界経済の悪化をオスピスの落札結果からも十分読み取れる。アメリカ経済や日本のデフレ現象を総合的に考えるとワインを通して世界経済が見えてくるから面白くもある。また上記の図をグラフ化すれば、日本のバブル前後の株価にそっくりであり、歴史は場所を変えて繰り返されているような思いもしないでもない。

 ついでにここで為替レートにもふれておこう。今回のレポートは1ユーロ=120円で計算しているが、最近の円安傾向を考慮して、ためしに1ユーロ=130円で計算してみた。今年の落札総額は3,489,320€なので、これに130をかけると、453,611,600円だ。なんと10円の相場違いで34,893,200円も違う。3400万円ですよ。少しびっくり。さすがに分母が億単位になると、10円の差で思わぬぼろ儲けが出来るのか。失敗した。なぜ1ヶ月前に4億円をユーロに換えておかなかったのだろう。後悔先に立たずである。


 話を戻して、消費者として2002年のオスピス・ド・ボーヌのワインをどう、とらえればよいのだろうか。
 ここで別表を用意した。

表8 値を上げたキュベ (オスピス公式サイト参照)
No. ワイン キュベ 01年落札額/樽 2002年落札額/樽 02年円建 上昇率 樽数2001→2002
11 マジ・シャンベルタン Madeleine Collignon 15,071€ 17,756€ 213万円 17.8% 17 → 18
18 ポマール Billardet 4,740€ 5,020€ 60万円 5.9% 30 → 30
25 コルトン Docteur Peste 6,440€ 6,800€ 82万円 5.5% 30 → 32
29 ボーヌ Rousseau-Deslandes 3,600€ 3,880€ 47万円 7.7% 30 → 30
33 クロ・ド・ラ・ロッシュ Georges Kritter 16,000€ 18,000€ 216万円 12.5% 2 → 2
39 バタール・モンラッシェ Dames de Flandres 22,800€ 29,800€ 358万円 30.7% 4 → 3
 落札額は各ロットの平均で、上昇率は樽ベース。1樽=228g=300本 
 クロ・ド・ラ・ロッシュの別キュベは値を下げている。

 しかしバタールモンラッシェは樽の段階ですでにビン換算で12,000円もする。辛いな。 1ユーロ=120円(四捨五入)


 全体で9.5%の下落となった今年のオークションにあって昨年度より樽ベースでの落札額を上げたキュベが上記の6キュベだ。今年の競が低調に終わりつつ、それでも値を上げた原因はなんだろうか。最大の理由はその「品質」ではなかろうか。そもそも2002年は偉大な年のひとつにあげられる可能性を秘めている。葡萄の粒は非常に小さく、凝縮していて、天然アルコール度数も近年稀に見るほど高い。ブルゴーニュのトップドメーヌたち(例えば、ベルナール・デュガ・ピィやドニ・モルテなど)の鼻息も荒く、その偉大さはまだ未知数ながら、相当のものと期待できるのだ。高品質のワインは当然需要と供給のバランスを突破するほどのパワーがあるのだろうか。とにかく、この低調オークションにあって落札価格を上げたキュベは注目に値する。ただしバタール・モンラッシェは3樽に減少しており、需要と供給の関係が浮き彫りになったりしているが・・・。そして表では割愛したが、オスピスの看板とも言うべきNo.25のコルトン・キュベ・ドクトール・ペストを最高価格(ロット番号= D。1樽あたり7,200ユーロ 合計7樽)で落札したのは、ルイ・ジャド社である。ルイ・ジャドが敢えて高価格で競り落とした理由を、実際にそのワインを飲んで、知りたい欲望に駆られる。


 ふと考えると、この偉大なワインになりうるキュベを、敢えて今(瓶詰め直後)、市場に出すこともない。ワイン市場が再び安定を取り戻し、高品質ワインに惜しげもなく大枚をはたく時代が再来したときに、そこっと市場に出したらどうなるか。ドメーヌの鼻息以上に、競り落とした商人たちの興奮も目に浮かぶというものだ。これらのキュベを落札できるほど資金的にも余裕があると見受けられる企業なのだから、大金は大金の下に集まるという集金力のいったんが一消費者には悲しげに映る。ただクロ・ド・ラ・ロッシュを落札したのは、キュベ名と同じKRITTER BRUT DE BRUT社なので、自社のフラッグシップ的な要素もあり(ボーヌ・キュベ・モーリス・ドルーアンをドルーアン社が毎年落札するように)、一概には何とも言えないところが、終わらないワイン談義のいいところである。


 また、2002年の高品質にテーマを絞れば、全体として低調に終わった落札結果は消費者サイドとしては大歓迎だろう。おいしいワインが、懐を痛めずに購入できるチャンスがあるのだ。いいものがより安く買えるチャンスかもしれない。2002年のオスピスが日本市場に出回るにはまだ時間もかかるが、少し待ち甲斐もあるかもしれない。なお、オスピス・ド・ボーヌの特徴の稿で紹介したポマール・キュベ・ダム・ド・ラ・シャリテは生産量が2樽増えたこともあり、3.3%ほど値を下げていた。このくらいの幅だと、輸送コスト等で償却されかねず、あまり安くならないのだろうか。そもそも日本の価格を知らないので、さらに日本で意識したことはなかったので、出会ったときの楽しみにしたいところである。



6.夜のメリーゴーランドの前で、モツ煮込サンドウィッチにルーミエを飲んでも許されるのか。  目次に戻る


 2002年度第142回オスピス・ド・ボーヌの潜入レポートも妙に長くなってしまったが、最後に競売会を抜け出した後の足取りを紹介して、この稿を終わりとしたい。


 競売会を体力の限界により途中退場した私は、会場に一人の青年を見つけた。ボーヌのレストランで修行する某氏だった。彼と目が合うなり、飲み会が決定し、夜の酒場へと繰り出すことになった。当日と前日はボーヌのお祭りが開催されていて、出店やワイン会がいたるところで行われていた。はじめは某氏とグラス2ユーロのワインを飲んでいたのだが、某氏の友人が途中から加わり、せっかくボーヌにいるのだから、世界最高のワインが飲みたいという要求に直面した。彼らはボーヌにいながらブルゴーニュのワインを飲んだことがないという。すでに酒が入っているので、高級ワインはためらわれたが、彼らのそんな願いをかなえなければ、ブルゴーニュ魂の旗を降ろさねばならないと、根拠があいまいながら思い込み、高級ショップへ行くことにした。ボーヌはそもそもネゴシアンの街であり、お土産用のネゴシアンワインを大量に飾っている。いわゆるドリンキング・レポートに登場するようなワインは意外にも限られた場所でしか売っていない。市内のワインショップではなかなか売っていないし、売っていたとしても日本の価格と比べて安いことは安いが、重い荷物を考えると二の足を踏みたくなる価格だったりもする。個人的にはニュイ・サン・ジョルジュの某店のほうが品質・価格ともベターなのだが、この時間から移動は出来ない。やむを得ないが、ボーヌでワインを探すことにした。


 ボーヌ市内でちょくちょく顔を出していた店に入り、1999年のシャンボール・ミュジニ ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエをセレクトしてみた。30ユーロ程度で10ユーロずつ割り勘にした。試飲用のグラスは持っていたが、ソムリエナイフを持ち合わせていないので、その場で抜栓してもらう。これでワインは手に入った。そして市内のメリーゴーランドのある公園に陣取ってみたものの、つまみがない。腹も減っていた。某氏たちはよくモツ煮込み系のサンドイッチを食べているという。一見ソーセージ風だが、煮込んであり、皮を破ると中身がとろけ出てくるタイプで、庶民派サンドウィッチの代表格。その屋台が目の前にある。臭みがあり、一種独特の食べ物だった。日本ではまず売れないと太鼓判を押しておこう。そこへルーミエを合わせようというのだから、屋台のおばちゃんもびっくり。現場系モツ煮込みと繊細なルーミエのシャンボール・ミュジニを、屋外の、しかもメリーゴーランドではしゃぐ子供たちの前でベンチに座って頬ばるのだ。ワインと合う合わないという相性以前の問題が、そこに鎮座していたが、無視した。


 夜のメリーゴーランドは美しいと思いつつ、サンドイッチに集中しないと中身のモツがこぼれてくる。パンの下に顎を持ってきて、下から舐めるように食べつつ、シャンボール。罪悪感を残しつつ、某氏らの歓喜の声が子供らのそれよりも勝っていた。「うめーーー。」バニラ香にカカオと黒系の果実が加わり、強烈な勢いのあるその味わいに、ブルゴーニュの魅力を感じているようだった。うまみ成分の塊。「これがブルゴーニュなんですか。今まで飲んでいたワインは、ありゃいったいなんですか」その問いに答えるよりも、もう一杯彼らのグラスにシャンボール。あっという間になくなってしまった。


 そこで今度は違うお店に入って1997年のモレ・サン・ドニ ドメーヌ・デュジャークを手に取るが早いか飲み始めてしまった。ほぼ同じ予算だった。ブルゴーニュ魂定番ワインは彼らの五臓六腑に染み渡り、なにやら宴会モード全開に突入。彼らのアパートに場所を移しつつ、ボーヌの寒い夜は深々と冷えていくのだった。

 
 本来ならば、こういうシチュエーションで飲むワインでないことは承知をしているが、あの場でなければ、ボーヌで料理人を目指す彼らにブルゴーニュのすばらしさは伝えられなかった。結果オーライ。彼らが日本で店を構えたら、そこで同じワインを優雅に楽しめれば、それはそれですばらしいのだと、自分に言い聞かせつつ。あの夜のルーミエはうまかった・・・。そんな違和感のある思い出とともに、オスピス・ド・ボーヌのオークション顛末は終わるのだった。


2002/12/12記


以上
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